一枚の台紙に、番号が七つ——ジョージ・カトリンの厚紙絵九点
厚紙の左下、台紙に貼った札、裏の鉛筆書き、橙色の蝋筆、桃色の絵具、そして粘着テープ。同じ一枚の上に、七つの時期の番号が重なっている。誰も消さなかったおかげで、この絵の通ってきた道が読める。番号の層を古い順にほどきたい。

一枚の絵に、番号が六つある
絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。
九点とも、同じ画家の手による。
そして、九点とも同じ作りをしている。
厚紙に油彩で描き、それを台紙に貼る。
その台紙に、番号が書かれている。
一つではない。
三つ、四つ、多いものでは六つ以上ある。
書かれた道具も、場所も、それぞれ違う。
館は、そのすべてを写している。
台紙という、もう一つの面
台紙は、絵ではない。
絵を貼るための、灰緑の板である。
しかし、そこにも文字がある。
しかも、表と裏の両方にある。
つまり、台紙は記録の場所になっている。
絵の面は汚したくない。
だから、周りの余白に書く。
前の回で、木枠に書く例を見た。
台紙も、同じ役目を果たしている。
絵の周辺が、情報を担う。
番号の置かれる場所
まず、絵の描かれた厚紙の左下。
そこに、記号と数字が斜線でつながれる。
次に、台紙の上の中央。
小さな紙が貼られ、そこに数字がある。
さらに、台紙の裏。
鉛筆で、同じ数字が書かれる。
そして、色の蝋筆で別の数字が書かれる。
赤い絵具で書かれたものもある。
つまり、表と裏の両方に番号がある。
厚紙に描く、という選択
九点とも、支持体は厚紙である。
布でも板でもない。
厚紙は、軽い。
まとめて運ぶのに向いている。
そして、安い。
大量に描くなら、材料費が効いてくる。
この画家は、同じ主題を何度も描き直した。
若いころに描いた絵を、晩年に写し直す。
数が多ければ、厚紙が現実的である。
材料の選択に、仕事のやり方が出ている。
番号は、何を数えているのか
同じ絵に六つの番号があるということは、六通りの数え方があったということだ。
画家が付けた通し番号。
展示のときの番号。
売られたときの番号。
保管の箱の番号。
そして、館に入ってからの番号。
それぞれの持ち主が、自分の順序で数え直す。
前の持ち主の番号は、消さない。
だから、重なって残る。

横長の厚紙が、灰緑の台紙に貼られる。
厚紙の中央に、三人が立つ。
中央の人物は、羽根の冠をかぶる。
長い衣をまとい、正面を向く。
その左に、女性が立つ。
白い衣を着て、手を前で組む。
右に、もう一人が立つ。
槍を持ち、飾りのある衣をまとう。
背景は淡い青と白で、何も描かれない。
人物の足もとに、影が薄く落ちる。
台紙の上の中央に、小さな札が貼られる。
楕円に切り抜く
九点のうち六点は、画面が楕円に見える。
台紙の窓が、楕円に切られているからだ。
四角い絵の上に、楕円の窓を重ねる。
すると、角が隠れる。
こういう見せ方は、当時よく使われた。
版画の額装にも、写真の台紙にも使われる。
柔らかい印象になる。
そして、角の傷みが隠れる。
館の記録は、画面の形までは書かない。
寸法の欄も、台紙ごとの数字である。
同じ数字が、表と裏に
九点のうち何点かは、同じ数字が二度現れる。
表の札に書かれた数字。
裏に鉛筆で書かれた、同じ数字。
つまり、写して控えている。
なぜ二度書くのか。
表の札は、剥がれるからだろう。
紙を貼っただけのものである。
剥がれれば、番号が分からなくなる。
だから、裏にも書いておく。
丸で囲まれた数字
裏の数字には、丸で囲まれたものがある。
館は、丸で囲まれた、と書き添える。
丸で囲むのは、区別のためだろう。
別の番号と混ざらないようにする。
あるいは、確認済みの印かもしれない。
館は、そこまでは書かない。
囲まれている、という事実だけを書く。
読む人が、意味を考える。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央から手前に、暗い平原が広がる。
人と馬が、点のように散らばる。
小さな天幕が、いくつも見える。
左奥に、低い丘がある。
空は、上が暗い褐色である。
下のほうが、わずかに明るい。
朝の光が、地平から差す。
全体が、褐色と灰色に沈む。
台紙の上に、小さな札がある。
道具が、時期を語る
書き込みの道具を並べてみる。
黒い墨。
鉛筆。
橙の蝋筆。
青の蝋筆。
桃色の絵具。
そして、粘着テープの上の文字。
このうち、粘着テープはいちばん新しい。
二十世紀に入ってからの道具である。
蝋筆も、比較的新しい。
鉛筆と墨は、古くからある。
道具の新旧が、書き込みの順序を示す。
蝋筆で書かれた、別の数字
九点のうち三点は、色の蝋筆で数字が書かれる。
橙の蝋筆。
青の蝋筆。
館は、色まで書く。
なぜ色を書くのか。
書いた人が違うことを示すためだ。
鉛筆で書いた人と、橙の蝋筆で書いた人は別だろう。
道具が違えば、時期も違う。
色は、書き手を分ける手がかりになる。
前の回で、インクの色が二人の手を示した例を見た。
同じ考え方である。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央に、大きな天幕が立つ。
天幕は淡い褐色で、上が開く。
その周りに、人が輪をつくって座る。
三十人ほどが並ぶ。
中央に、数人が立つ。
背景は淡く、地平が低い。
空は白に近い。
地面は緑と黄褐色である。
台紙の上に、札が貼られる。
紙を貼り、また貼る
台紙の上の札は、何度も貼り替えられている。
古い札の上に、新しい札を貼る。
古い札が破れれば、下が覗く。
九点のうち二点で、それが起きている。
館は、破れた紙の下に数字が見える、と書く。
つまり、地層のようになっている。
いちばん下に、絵具で直接書いた数字。
その上に、紙の札。
さらにその上に、別の札。
剥がせば読めるが、剥がさない。
桃色の絵具で、書かれた数字
九点のうち二点は、台紙に絵具で数字が書かれる。
桃色の絵具である。
紙を貼るのではなく、直接書いている。
そのうち一点は、上から紙が貼られた。
その紙が破れて、下の桃色の数字が覗く。
つまり、二つの番号が重なっている。
館は、その状態をそのまま書く。
破れた紙の下に、桃色の数字が見える、と。
見えているものを、見えているとおりに書く。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央に、十数人が輪をつくる。
腕を組み、身をかがめる。
頭に、羽根の飾りを付ける。
足を上げ、動きの途中を見せる。
背景は淡い水色である。
地面は黄緑で、平らである。
遠景は、ほとんど描かれない。
人物の影が、短く落ちる。
台紙の上に、破れた札が残る。
海を渡った絵
この画家の絵は、生前に海を渡っている。
大きな展示のために、まとめて運ばれた。
そこで長く保管され、また戻ってくる。
新聞の断片は、その時期の名残だろう。
包み紙として使われた新聞が、貼りついた。
館は、読めた語だけを写す。
月の名が一語。
もう一語は、途中までである。
それだけでも、どの国の新聞かは分かる。
紙片が、移動の証拠になっている。
新聞の切れ端が、貼りついている
九点のうち一点は、裏に新聞の断片がある。
館は、読めた語だけを写す。
一語は、月の名である。
もう一語は、別の言葉の途中までだ。
どちらも、この地方の言葉ではない。
海の向こうの言葉である。
つまり、この絵は一度その国へ渡ったのだろう。
そこで、新聞に包まれて保管された。
紙が貼りつき、剥がれずに残った。
一片の紙が、移動の跡を語っている。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は横長の長方形である。
中央から右へ、暗い平野が広がる。
人と馬が、列をなして進む。
いずれも小さく、点のようである。
左に、細い木立が並ぶ。
奥に、明るい水面が光る。
空は、上が黒く垂れる。
地平の近くだけが、橙に染まる。
夕方の光である。
台紙の縁に、褪せた札が見える。
粘着テープに、書かれた札
この一点の裏には、粘着テープが貼られている。
その上に、まとまりの番号が書かれる。
売りに出されたときの区分だろう。
いくつかまとめて一組にする。
その組に番号を振る。
粘着テープは、二十世紀の道具である。
つまり、これは新しい書き込みだ。
前の回で、書き込みの時期を判断する話をした。
道具の種類が、時期を示す例である。
博物館の札が、文字を隠す
九点のうち三点は、裏に別の博物館の札がある。
その札が、下の書き込みを隠している。
館は、そこを正直に書く。
札に隠れて、一部が読めない、と。
読めないものは、読めないと書く。
札を剥がせば読めるだろう。
しかし、剥がさない。
札そのものも、来歴の一部だからである。
読むために剥がせば、別の記録が失われる。
見えないものを、どう調べるか
札の下の文字を読む方法は、いくつかある。
強い光を裏から当てる。
目に見えない波長の光を使う。
こうすれば、紙を剥がさずに下が見えることがある。
館は、そういう方法を試したのだろう。
それでも読めなければ、読めないと書く。
前の回で、消えた文字の調査を書いた。
隠れた文字も、同じ扱いを受ける。
調べ尽くしたうえでの、読めない、である。
剥がすか、残すか
この判断は、しばしば難しい。
古い札の下に、もっと古い書き込みがある。
どちらを優先するか。
いまは、たいてい残すほうを選ぶ。
見えないものは、写真や別の方法で調べる。
物には、できるだけ手を加えない。
前の回で、消えた文字を補わない話をした。
同じ考え方が、ここでも働いている。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は、周囲がぼかされる。
中央に、二十人ほどが密集する。
いずれも、腕を上げる。
手に、細長い棒を持つ人もいる。
頭に、羽根の飾りが並ぶ。
足もとに、影が短く落ちる。
背景は白に近く、何も描かれない。
人物だけが、浮かび上がる。
台紙の上に、小さな札がある。
年が一点だけ書かれている意味
九点のうち、年が読めるのは一点だけである。
その一点の年が、九点全体の目安になる。
同じ組の中で、同じ材料、同じ寸法。
まとめて作られたと考えるのが自然だ。
だから、年の欄には幅が書かれる。
一つの確かな年と、様式からの推し量り。
その二つを合わせて、八年の幅になる。
前の回で、幅で書くか括弧で書くかの話をした。
ここでは、幅が選ばれている。
画家の名と、年
九点のうち二点には、画家の名が書かれる。
一点は、名と、描いたという語の頭文字。
もう一点は、名と年である。
年は1861年。
館の年の欄は、1861年から1869年となっている。
つまり、幅がある。
書かれた年は、その幅の最初にあたる。
一点だけ年が読めるので、そこが基準になる。
他の八点は、様式と紙から推し量られている。
数字の並びから、分かること
九点の記号と数字を並べてみる。
87、89、92、96、102、105、108、109、131。
いずれも近い範囲に集まっている。
つまり、まとまった一群の中の九点である。
もとの組は、数百点あったはずだ。
そのうち、この館に来たのが何点か。
残りは、別の場所にある。
番号の連続が、失われた全体を示している。
一つの数字が、その先を想像させる。
記号と数字の、組み合わせ
九点すべてに、同じ形の番号がある。
記号が一つ、斜線、そして数字。
数字は、87から131まで散る。
つまり、通し番号である。
同じ組の中で、順に振られている。
この番号は、厚紙の左下にある。
いちばん古い番号だろう。
画家自身か、その周辺の人が付けたと思われる。
館は、そこまでは書かない。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央に、円錐形の天幕が四つ並ぶ。
いずれも淡い褐色である。
上に、細い棒が突き出す。
手前に、人が数人座る。
犬らしい姿も見える。
右奥に、馬に乗った人の列が進む。
地面は緑で、なだらかに続く。
空は淡い青で、雲が薄い。
地平が、低く長い。
括弧に入れられた数字
いま見た一点の裏の数字は、括弧に入っている。
館は、括弧ごと写す。
なぜ括弧が付いたのか。
疑わしい、という意味かもしれない。
あるいは、参考の番号という意味かもしれない。
前の回で、館が使う角括弧の話をした。
こちらは、書いた人が付けた括弧である。
館の記号ではない。
その区別も、写すことで保たれる。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央から右へ、平原が広がる。
人と馬が、長い列をつくる。
先頭は右奥へ向かう。
手前の数人は、馬に乗る。
左奥に、青い丘が見える。
丘の稜線は、なだらかである。
空は青く、雲が細く伸びる。
地面は黄緑で、平らである。
台紙の上に、札が貼られる。

横長の厚紙が、台紙に貼られる。
画面は楕円に切り抜かれる。
中央に、大きな天幕が一つ立つ。
淡い褐色で、上に棒が突き出す。
その手前に、白い敷物が広がる。
数人が、その上に座る。
左に、緑の木が茂る。
右に、細い枠が立つ。
背景は淡く、地平が低い。
空は白に近い。
台紙の上に、札が貼られる。
箱の番号という、保管の記録
最後の一点の裏には、箱の番号がある。
第二十四の箱、と書かれ、そのあとが読めない。
つまり、箱に入れて保管されていた。
大量の絵を運ぶには、箱に詰める。
箱ごとに番号を振り、中身を控える。
そして、絵の裏にも箱の番号を書く。
そうすれば、どの箱の絵か分かる。
これは、展示のための番号ではない。
運搬と保管のための番号である。
寸法が、九点とも同じ
九点の寸法は、すべて同じである。
縦46.7センチ、横62.4センチ。
一ミリの差もない。
つまり、同じ大きさの台紙を大量に用意した。
そこに、同じ大きさの厚紙を貼る。
規格が決まっている。
前の回で、同じ寸法の布をまとめて使う話をした。
ここでは、台紙まで揃えられている。
数をこなす仕事の、典型である。
六つの番号が、六つの時期を示す
九点の番号を並べると、順序が見えてくる。
いちばん古いのは、厚紙の左下の記号と数字。
次に、台紙に直接書かれた桃色の数字。
その上に貼られた紙の数字。
裏の鉛筆の数字。
蝋筆の数字。
粘着テープの札。
そして、いまの館の番号。
道具と場所が違えば、時期も違う。
一枚の台紙が、七つの時期を積み重ねている。
数え直すたびに、順序が変わる
なぜ、こんなに何度も数え直すのか。
持ち主が変わるたびに、必要が変わるからだ。
売る人は、売る単位で数える。
展示する人は、並べる順で数える。
保管する人は、箱の単位で数える。
館は、受け入れた順で数える。
それぞれの必要に、それぞれの順序がある。
前の番号は、その人には役に立たない。
だから、自分の番号を新しく付ける。
消さないことが、来歴を残す
しかし、前の番号は消されなかった。
書き足すだけで、消さない。
だから、いま七つの番号が読める。
そして、この絵がどこを通ってきたかが分かる。
売り立て、博物館、海の向こう、そしてここ。
番号は、地図のようなものだ。
前の回で、消さないことの意味を繰り返し書いた。
ここでは、それが最もはっきり出ている。
一枚の台紙に、旅程が積み重なっている。
題は、誰が付けたのか
九点の題は、いずれも場面の説明である。
誰が、何をしているところか。
これらの題は、画家自身が付けたものに由来する。
十九世紀の、外から来た人の言葉である。
館は、その題を歴史的なものとして残している。
題そのものが、記録の一部だからだ。
読む側は、そのことを踏まえて読む必要がある。
絵は、描かれた人々の記録ではない。
描いた人の見方の記録である。
番号の下に、絵がある
最後に、当たり前のことを書いておく。
これだけ番号が重なっても、絵は変わらない。
台紙の上の数字は、絵の外にある。
絵の中には、文字がない。
九点とも、画面には一文字も書かれていない。
前の回まで、画面の中の文字を見てきた。
この九点は、その反対である。
文字は、全部が絵の外にある。
それでも、館の欄は同じ形式で写す。
書かれた文字であれば、内か外かを問わない。







