画家を知る

都市と畑の、あいだに立つ——カミーユ・ピサロ

ピサロは、印象派展に八回すべて出品した唯一の画家である。畑を正面から描き、名所ではない場所を選び、働く人を画面に入れる。都市と農村のあいだで何を見ていたのか。厚紙に描かれた南国の風景から、点描の時期までを追いかける。

セント・トマスの入江
カミーユ・ピサロ《セント・トマスの入江》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

椰子の木と、桃色の雲

一枚の小さな絵から始めたい。

セント・トマスの入江
カミーユ・ピサロ《セント・トマスの入江》1856年。厚紙に油彩。縦24.5センチほど。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。カミーユ・ピサロ《セント・トマスの入江》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

熱帯の入江である。

左手前に椰子の木が数本、細い幹を高く伸ばしている。その根元には背の高い草が茂る。

正面には静かな水面。右手に岩の斜面が迫り、奥へ向かって湾が細くなっていく。

空は淡い青緑。そこに桃色の雲が二筋、横に流れている。

日の出か、日の入りか。水面の中央に、明るい帯が一本走っている。

岸辺に小さな人影が三つほど。網か棒のようなものを持っている。

左下に署名。「C. Pissarro 1856 St. T」と読める。

支持体は、厚紙である

材料も見ておきたい。所蔵館の記録では「アカデミー・ボード」——画用に作られた厚紙である。

画布ではない。縦25センチに満たない小品だ。

厚紙は安く、軽く、そのまま持ち運べる。屋外で描くための材料である。

コローがイタリアで紙に油彩を描いたのと、発想は同じだ。別のコラムで扱っている。

つまりこれは、現地で採られた習作に近い。

にもかかわらず、画面はよく整理されている。椰子の位置、湾の曲線、雲の帯。偶然の切り取りには見えない。

光が、逆から来ている

構図で効いているのは、光の向きである。

光源は、画面の奥——湾の出口の方向にある。

だから手前の椰子も、右手の岩も、暗い影として立つ。水面だけが明るい。

逆光の構図は、形を単純にする。細部が影に沈み、輪郭だけが残るからだ。

若い画家にとって、これは扱いやすい設定でもある。

これが、印象派の画家の絵である

この時点で、作者は二十六歳だった。

そして描かれた場所は、カリブ海である。フランスでも、ヨーロッパでもない。

カミーユ・ピサロは1830年、当時デンマーク領だった西インド諸島のセント・トマス島に生まれた。

父はフランス系ユダヤ人の商人。母はこの島の出身である。

少年期の一時期をパリの学校で過ごしたあと、島に戻って家業の店で働いた。

二十二歳のとき、店を飛び出してベネズエラへ渡り、二年ほど絵を描いて暮らしている。

パリに落ち着くのは1855年、二十五歳になってからだ。

つまり彼は、ヨーロッパの美術教育を最初から受けた画家ではない。外から来た人である。

そしてもう一つ。彼は生涯フランス国籍を取っていない。

生まれたときデンマーク領だった島の出身者として、その国籍のまま七十三歳で死んだ。

パリで五十年近く暮らし、フランス美術の中心にいながら、制度の上では外国人だった。

このことは、彼の立場を考えるうえで小さくない。

印象派展に、八回すべて出た

もう一つ、経歴で特筆すべきことがある。

1874年から1886年まで、印象派の画家たちは八回の展覧会を開いた。

モネもルノワールもドガも、途中で参加しない回がある。仲間割れも、方針の対立もあった。

八回すべてに出品したのは、ピサロただ一人である。

しかも1886年の最終回では、二十代のスーラとシニャックを招き入れることを主張した。年長の側が、新しい世代を押し込んだ形になる。

この回で《グランド・ジャット島の日曜日の午後》が公開された。別のコラムで扱っている。

自分の様式を守るより、場を続けることを選ぶ。そういう人だったようだ。

この記事の問い

ピサロは印象派の展覧会に、八回すべて出品した唯一の画家である。

にもかかわらず、モネやルノワールほど名前が通っていない。

その理由の一端は、彼の主題にあると考えたい。

彼が繰り返し描いたのは、畑と、そこで働く人と、そして最後には都市の通りだった。

この記事では、その移動を追いかけたい。カリブの入江から、フランスの畑を経て、パリの大通りへ。

もうひとつ、追いたいことがある。

彼は生涯にわたって、若い画家を助けた人だった。セザンヌもゴーギャンも、彼の助言を受けている。

自分の評価より、他人の仕事に関心を持つ。そういう人が、なぜあれほど多くの絵を描き続けられたのか。

作品と経歴の両方から、その辺りにも触れたい。

畑を、正面から描く

パリ近郊に落ち着いてからの一枚を見たい。

ポントワーズ、レ・パティの風景
《ポントワーズ、レ・パティの風景》1868年。油彩・画布。縦81センチ、横100センチ。カミーユ・ピサロ《ポントワーズ、レ・パティの風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

パリの北西、ポントワーズの近郊である。

左手前に、細長いポプラが一本立つ。その脇の小道を、麦藁帽子の男が歩いてくる。

中景には柵が横に走り、その向こうに畑が段になって広がる。

畑は色で区切られている。黄緑、深い緑、赤茶、淡い黄。作物と土の違いが、そのまま色の区画になっている。

奥には村の屋根が並び、右手に採石場らしい黄土色の崖が見える。

空は青く、白い積雲が大きく盛り上がっている。

画面の左端には、細く高いポプラが一本、上端まで突き抜けている。

この一本が効いている。横に広がる畑の帯に対して、唯一の強い縦線になっているからだ。

縦の線が一本あると、横の広がりが測れるようになる。定規のような役割である。

右下に「C. Pissarro. 68」の署名。