画家を知る

散らかった家を、丁寧に描く——ヤン・ステーン

医者が来る

三枚目は、少し静かな絵である。

恋わずらいの娘
ヤン・ステーン《恋わずらいの娘》1660年ごろ。油彩・画布。縦86.4センチ、横99.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。ヤン・ステーン《恋わずらいの娘》メトロポリタン美術館蔵

室内である。左奥に扉が開き、外の光が入る。

手前に若い女が椅子に座っている。

金色の重い衣を着て、頭に手を当てている。

体を斜めに傾け、力が抜けている。

その傍らに男が立ち、腕を取っている。

脈を診る仕草である。医者らしい。

もう一人、後ろに立つ男がこちらを見ている。

床には器や道具が置かれ、犬が寝そべっている。

題は《恋わずらいの娘》。

十七世紀オランダの絵には、この主題が何度も現れる。

医者が来ても、原因は病気ではない。

恋の病だ、という筋書きである。

主題が繰り返される理由

同じ主題が繰り返されるのは、注文があったからだろう。

風俗画は、市場向けに描かれることが多かった。

教会や宮廷ではなく、市民が買う絵である。

だから、売れる主題が繰り返される。

恋わずらい、医者の往診、宿の騒ぎ、家族の音楽。

いずれも、話の分かる題材である。

見る人が、絵の前で状況を読み取れる。

読み取ったうえで、細部の工夫を楽しむ。

現代の連続ドラマに近い仕組みかもしれない。

型があり、その中で作り手が腕を見せる。

音楽が、家をまとめる

四枚目は、音楽の場面である。

家族の合奏
ヤン・ステーン《家族の合奏》1666年。油彩・画布。縦86.6センチ、横101センチ。シカゴ美術館蔵。ヤン・ステーン《家族の合奏》シカゴ美術館蔵

室内である。左に窓があり、光が入る。

中央の卓を囲んで、人々が音楽を奏でている。

リュートを弾く者、ヴァイオリンを構える者。

右手前には、大きな弦楽器が立てかけてある。

奥の壁には、額に入った絵が掛かっている。

床には犬がいて、猫もいる。

散らかり方は、先ほどの絵ほどではない。

しかし、皿や壺は床に置かれたままである。

歌う人の口が開いている。

音のある絵だ、とすぐ分かる。

楽器の意味

十七世紀の絵に描かれる楽器には、含みがあるとされる。

調和を表すとも、はかなさを表すとも説明される。

音は鳴った端から消える。だから、時間の短さの象徴になる。

一方、合奏がうまくいっている家は、まとまっている。

同じ楽器が、正反対の意味を持ちうる。

この曖昧さが、風俗画の読み解きを難しくしている。

当方としては、どちらか一つに決めない立場を取りたい。

絵の中の楽器は、まず楽器である。

そして、意味を担うこともある。

合奏という主題の広がり

家族が楽器を持ち寄って音を合わせる場面は、当時よく描かれた。

音が合うかどうかは、家の中がうまくいっているかどうかの比喩になる。

調子の外れた合奏を描けば、それだけで家庭の乱れを示せる。

逆に、整った合奏は秩序の絵になる。

この《家族の合奏》は、どちらとも取れる中間にある。

歌う人の口は開き、弦を押さえる指はきちんと弦の上にある。

けれども床には物が置かれ、犬と猫がうろついている。

整った音と、整わない部屋。その二つが同じ画面に共存している。

ステーンの絵は、たいていこの中間の状態にある。

完全な放蕩でも、完全な秩序でもない。

そのあいまいさが、見る人に読みの余地を残している。

家という舞台

六点のうち、四点は室内である。

残る二点は屋外だが、いずれも建物に接したテラスや棚の下である。

つまり、どれも「家の周り」で起きている。

戦場も宮廷も港も出てこない。

十七世紀オランダの風俗画が扱ったのは、この狭い範囲だった。

しかしその範囲の中で、描けることは尽きなかったらしい。

食事、音楽、看病、恋、祝い、酔い、しつけ。

家の中には、それだけの出来事がある。

いまも変わらない、と言ってしまえばそれまでだが。

芝居から取った場面

五枚目は、由来がはっきりしている。

アスカニウスとリュセル(音楽の稽古)
ヤン・ステーン《アスカニウスとリュセル(音楽の稽古)》1667年。油彩・画布。縦62.1センチ、横52センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ステーン《アスカニウスとリュセル(音楽の稽古)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さめの画面である。縦62.1センチ、横52センチ。

卓を挟んで、男女が向かい合う。

女はリュートを抱え、こちらへ少し顔を向ける。

男は身を乗り出し、女の手元を見ている。

卓には赤い織物が掛かり、楽譜が落ちている。

奥には寝台の垂れ幕が見える。

題にあるアスカニウスとリュセルは、当時のオランダの戯曲の登場人物とされる。

つまりこの絵は、芝居の一場面を絵にしたものである。

音楽の稽古という設定の裏に、恋の場面がある。

これも、当時の見る人には通じる文脈だった。

芝居と絵の距離

芝居の場面を絵にするという発想は、当時のオランダでは珍しくなかった。

都市には常設の劇場があり、市民が芝居に親しんでいた。

有名な戯曲の一場面なら、見る人は前後の筋まで思い浮かべられる。

絵の中の一瞬に、話の時間が背負わされることになる。

ステーンの絵が場面の途中に見えるのは、この習慣とも関係があるだろう。

彼の画面は、しばしば「この直前」と「この直後」を想像させる。

物が落ちかけていたり、口が開きかけていたりする。

止まった絵の中に、時間が閉じ込められている。

なお、この作の主題同定は所蔵館の記録にもとづく。

戯曲のどの場面にあたるかについては、細かい異論もあると聞く。

当方はその当否を判断できる立場にないので、記録の記述をそのまま紹介した。

小さい画面の効き方

この一枚は、六点の中でいちばん小さい。

縦62.1センチ、横52センチ。人ひとりが抱えられる大きさである。

人物は二人だけで、卓の上の物もそれほど多くない。

大きな画面で群衆を描くときとは、狙いが違う。

近くで見ることを前提にした絵だ、と考えられる。

女の指が弦を押さえる位置、男の目の向き、落ちた楽譜の折れ。

そういう細部を、顔を寄せて確かめる絵である。

家の壁に掛けて、通りすがりに眺める絵ではない。

同じ画家が、見る距離まで設計し分けていたことになる。