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上が丸い板に、対の夫婦——ヨース・ファン・クレーフェ

上端が半円になった板が二枚、向かい合う。手袋を持つ男と、数珠を持つ女。緑の背景と、緑の衣。十六世紀のアントウェルペンで、絵が商品として売られた町の作法を、六点でたどる。二枚を並べて初めて意味が通る、対の肖像という形式である。手袋と数珠が、それぞれの役割を示す。

ヨリス・フェゼレール
ヨース・ファン・クレーフェ《ヨリス・フェゼレール》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

手袋を持つ手

一枚の肖像から始めたい。

ヨリス・フェゼレール
ヨース・ファン・クレーフェ《ヨリス・フェゼレール》おそらく1518年。油彩・板。描かれた面で縦56.3センチ、横38.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヨース・ファン・クレーフェ《ヨリス・フェゼレール》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

板の上部が、弧を描いている。

四角ではなく、上が丸い。

その中に、男の上半身がある。

黒い帽子をかぶり、黒い衣を着る。

首元に、白い襟がわずかに見える。

顔は正面をやや外し、目はこちらへ向く。

頬はやや痩せ、鼻筋が通る。

画面の下では、両手が重なっている。

右手には、指輪がはまる。

左手には、灰色の手袋を握る。

背景は、深い緑である。

上が丸い板

この形に注目したい。

四辺のうち、上だけが弧になっている。

これは、板をそういう形に切ったためである。

理由は、額や飾り棚の形に合わせるためだろう。

あるいは、二枚を蝶番でつなぐ形式のためかもしれない。

十六世紀前半の北方では、この形がしばしば使われた。

いま額に入って壁に掛かっているが、もとの用途は分からない。

形だけが、その手がかりとして残っている。

対になる、もう一枚

二枚目は、その対である。

マルガレータ・ボーヘ
ヨース・ファン・クレーフェ《マルガレータ・ボーヘ》おそらく1518年。油彩・板。描かれた面で縦55.1センチ、横37.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヨース・ファン・クレーフェ《マルガレータ・ボーヘ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらも、上が弧を描く板である。

女性の上半身が描かれる。

頭には、白い布をかぶる。

布は肩まで垂れ、顔の輪郭を囲む。

衣は青緑で、袖口に毛皮の縁がある。

胸元は白い布で覆われる。

両手を胸の下で合わせる。

右手には、赤い花を持つ。

左手には、赤い数珠のようなものが下がる。

背景は、やはり深い緑である。

対の肖像の作法

二枚を並べてみたい。

寸法は、縦で一センチ、横で一センチしか違わない。

背景の緑も同じである。

板の形も同じ。

そして、男は右を、女は左をわずかに向く。

つまり、並べると向かい合う。

これは、対の肖像の原則どおりである。

当サイトの
板の表と裏に、別の絵でも、同じ形式を扱った。

同じ時期の北方では、広く行われていた作り方である。

花と、数珠

女性の持ち物を見ておきたい。

赤い花は、撫子の類だろう。

北方の肖像画では、婚約や結婚と結びつけて描かれることがある。

数珠は、信仰を示す。

つまり、二つの持ち物で、立場と信仰が示されている。

一方、男は手袋を持つ。

手袋は、身分と外出を示す持ち物である。

男は社会、女は家と信仰。

当時の役割分担が、持ち物に表れている。

緑の背景

二枚とも、背景は平らな緑である。

模様も、風景もない。

北方の肖像では、この処理がよく使われた。

理由は、肌の色との関係である。

緑は、赤みのある肌と補い合う。

だから、顔が引き立つ。

そして、平らな面は人物の輪郭をはっきり見せる。

同じ方法は、前回扱った十六世紀の画家にも共通する。

工房の型として、広く共有されていた。

描いた人について

ヨース・ファン・クレーフェは、一四八五年ごろに生まれた。

出身は、ライン川下流のクレーフェとされる。

一五四〇年か四一年に、アントウェルペンで没した。

アントウェルペンで画家組合に加わり、工房を構えた。

当時のアントウェルペンは、欧州有数の商業都市である。

港があり、金融があり、美術の市場もあった。

その市場に向けて、板絵が量産された。

ファン・クレーフェの工房も、その一つである。

美術が、商品として売られる町

十六世紀のアントウェルペンには、美術の常設市場があった。

祭壇画、小さな板絵、彫刻。

これらが、注文なしで作られ、売られた。

つまり、既製品である。

買い手は、店に並んだ中から選ぶ。

この仕組みは、当時としては新しい。

そして、量産のための工夫を生んだ。

同じ図柄を繰り返し描き、型を使い回す。

六点の中にも、その痕跡がある。

板という支持体

六点は、いずれも板に描かれている。

北方では、樫の板が主に使われた。

樫は堅く、木目が詰まっている。

薄く挽いても、反りにくい。

板は、まず何年も乾燥させる。

そのあと、接ぎ合わせて必要な大きさにする。

接ぎ目は、裏から見るとよく分かる。

表からは、下地と絵具に隠れて見えない。

年輪を調べれば、木が伐られた年が推定できる。

そこから、制作年の下限が出ることもある。

一五一八年という年

二枚の肖像は、おそらく一五一八年の作とされる。

画家が三十代前半のころである。

この時期、北方の肖像画には変化が起きていた。

人物を大きく、近くから描くようになる。

背景を平らにし、手を画面に入れる。

その型が、この二枚にも出ている。

顔だけでなく、手まで描く。

手が入ると、性格や職業が示せる。

手を、必ず描く

六点のうち、人物が写るのは五点である。

そのいずれにも、手が丁寧に描かれている。

握る手、持つ手、支える手、示す手。

指の関節、爪の形、皮膚の皺。

顔と同じくらいの手間がかかっている。

北方の絵の特徴の一つが、この手である。

顔と手だけが露出しているので、そこに描写が集中する。

衣は面として塗り、手と顔を細かく描く。

配分がはっきりしている。

三枚組の小さな祭壇

三点目は、形式が変わる。

聖人たちと寄進者のいる磔刑
ヨース・ファン・クレーフェ《聖人たちと寄進者のいる磔刑》1520年ごろ。油彩・板。中央の板は縦98.4センチ、横74.3センチ。左右の翼は各縦101センチ、横32.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・ブルーメンタール遺贈、1941年。ヨース・ファン・クレーフェ《聖人たちと寄進者のいる磔刑》メトロポリタン美術館蔵

三枚の板が、蝶番でつながっている。

中央が広く、左右が細い。

上部は、金色の飾り枠で縁取られる。

中央には、十字架が立つ。

その足元に、複数の人物が集まる。

青い衣の女性、赤い衣の人物。

背後には、山と川の風景が広がる。

左の翼には、二人の人物が立つ。

右の翼にも、二人が立つ。

いずれも、聖人と寄進者だろう。

三枚組という形式

三枚組の祭壇画を、三連祭壇画と呼ぶ。

中央が主題、左右が補助になる。

そして、翼は蝶番で閉じられる。

閉じれば、中央の絵が守られる。

つまり、持ち運びと保管に適した形式である。

この一点は、中央が縦98センチほどである。

祭壇画としては、小さい部類に入る。

大聖堂の主祭壇ではなく、個人の礼拝のためだろう。

家の一室や、小さな礼拝堂に置かれる品である。

寄進者を、描き込む

翼の人物に注目したい。

聖人と並んで、当時の服装の人物が描かれている。

これが寄進者である。

絵を注文し、費用を出した人物である。

祭壇画には、しばしばその姿が描き込まれた。

聖人の傍らに、自分を置く。

信仰の表明であり、記録でもある。

そして、後世の私たちには年代の手がかりになる。

服装から、時期が推定できるからである。

風景が、背景に広がる

中央の板の背後には、風景が描かれている。

緑の丘、青い山、細い川。

遠くへ行くほど、色が青くなる。

これは、空気の遠近である。

聖書の場面を、当時の北方の風景の中に置く。

エルサレムではなく、低地地方の景色に近い。

こうした置き換えは、北方の絵によく見られる。

見る人が、自分の土地と重ねられるようにする。

金色の枠

上部の金の飾り枠にも触れておきたい。

弧を描く形で、三枚の上端を縁取る。

これは、額の一部である。

板と額が、一体で作られている。

つまり、絵と枠を分けて考えていない。

いま美術館では、額を交換することがある。

しかし、この一点は当初の形式を保っているとみられる。

祭壇画では、枠も作品の一部である。

閉じたときの絵

三連祭壇画には、翼の裏がある。

閉じたとき、外側に見える面である。

そこには、しばしば別の絵が描かれた。

灰色だけで描いた彫像のような絵が多い。

開くと色が現れ、閉じると灰色になる。

平日と祝日で、開閉を変える例もあった。

この一点の翼の裏がどうなっているかは、公開画像からは分からない。

館の記録にも記載がない。

見えていない面が、必ずあることは覚えておきたい。

十字架の下の人々

中央の場面を、もう少し見たい。

十字架の足元に、複数の人物が集まる。

青い衣の女性、赤い衣の若い人物。

そして、右側にも数人が立つ。

いずれも、聖書に記された人物である。

顔立ちや衣の色で、誰かが分かるようになっている。

足元には、白い骨のようなものが描かれる。

この場所にまつわる言い伝えを示す図像である。

細部の一つずつに、意味が割り当てられている。

上下二段の画面

四点目は、構成が特殊である。

最後の審判
ヨース・ファン・クレーフェ《最後の審判》1525〜30年ごろ。油彩・板。縦123.8センチ、横86.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ブランディ夫妻の遺贈、1940年。ヨース・ファン・クレーフェ《最後の審判》メトロポリタン美術館蔵

縦長の板である。

画面が、上下に分かれている。

上には、雲と天がある。

中央に、赤い衣の人物が座る。

その周りに、翼のある人物が飛ぶ。

下には、緑の地面が広がる。

そこに、裸の人が大勢いる。

立つ人、うずくまる人、倒れる人。

数えると、五十人を超える。

最後の審判という主題

主題は、世界の終わりの裁きである。

天から裁きが下り、人が分けられる。

北方の絵で、繰り返し描かれてきた主題である。

構成も、おおむね決まっている。

上に天、下に地。

中央に裁く者、左右に分かれる人々。

この一点も、その型に従っている。

型があるから、見る人はすぐに主題が分かる。

小さな人体を、大量に描く

下半分の人物は、いずれも数センチしかない。

その中に、腕、脚、背、胴が描かれる。

姿勢は一人ずつ違う。

うつ伏せ、仰向け、膝立ち、走る姿。

つまり、五十以上の姿勢が描き分けられている。

これは、相当な手間である。

人体の姿勢を、多数覚えていなければ描けない。

素描の蓄積が、こうした場面で生きる。

裸体を、大量に描く

この一点には、裸体が大量に描かれている。

五十を超える人物が、いずれも衣をまとわない。

最後の審判という主題では、これが約束である。

生まれたままの姿で裁きを受ける、という考え方による。

つまり、裸体を描く口実が主題に組み込まれている。

画家にとっては、人体を研究する機会でもある。

同じ姿勢が一つもないのは、その練習の成果だろう。

主題の要求と、技術の訓練が重なっている。

恐ろしい場面の扱い

この主題には、恐ろしい場面が含まれる。

裁かれ、連れ去られる人々である。

画面の下部や隅に、そうした描写がある。

当サイトとしては、この点を書き添えておきたい。

宗教画は、慰めだけを描くものではない。

恐れを与えることも、目的の一つだった。

見る人に、行いを改めさせる。

絵が、そういう働きを期待されていた。

板の大きさと用途

この一点は、縦123.8センチである。

三連祭壇画の中央より、大きい。

しかし、大聖堂の祭壇画としては小さい。

つまり、個人の礼拝堂か、教会の側廊のための品だろう。

北方の板絵は、こうした中間の大きさが多い。

大聖堂の巨大な祭壇画と、手のひらの小品。

その間に、市民のための絵の市場があった。

六点の寸法は、いずれもその範囲に収まっている。

工房と、量産

ファン・クレーフェの工房は、大きかったとされる。

弟子や助手を抱え、同じ図柄を繰り返し作る。

とくに、聖母子の絵は需要が多かった。

同じ構図の作品が、各地の館に散っている。

どれが本人の手で、どれが工房の手か。

その判断は、いまも議論が続く。

館の記録も、慎重な書き方をする場合がある。

六点は、いずれもこの画家の作として登録されている。

当サイトは、その登録に従う。

果物のある聖母子

五点目は、静物が入る。

聖母子
ヨース・ファン・クレーフェ《聖母子》1525年ごろ。油彩・板。描かれた面で縦70.5センチ、横52.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジャックとベル・リンスキー・コレクション、1982年。ヨース・ファン・クレーフェ《聖母子》メトロポリタン美術館蔵

女性が座り、膝に幼児を抱く。

頭には白い布をかぶる。

衣は暗い青で、赤い布が膝に掛かる。

幼児は裸で、首に赤い数珠をつける。

左手に、丸い果実を持つ。

女性は、右手で開いた書物を押さえる。

画面の下には、金属の器がある。

その中に、葡萄と柘榴が盛られる。

手前には、切られた柘榴と、細い刃物が置かれる。

背後には、窓のように風景が開ける。

静物を、宗教画に入れる

下部の果物に注目したい。

葡萄、柘榴、そして刃物。

いずれも、意味を持つとされる。

葡萄は聖餐の酒、柘榴は復活と結びつけられる。

つまり、宗教的な意味を持つ静物である。

しかし同時に、質感の描写でもある。

金属の器の光、果実の皮の張り、刃物の刃。

意味と描写が、同じ場所で重なっている。

北方の絵に、この重なりは非常に多い。

窓の向こうの風景

背景の右には、風景が広がる。

丘、川、建物、そして遠くの山。

室内と屋外が、同じ画面にある。

こうした構成は、北方の聖母子像の定番である。

室内の親密さと、世界の広がりを同時に示す。

そして、風景の描写で腕を見せられる。

窓は、そのための装置である。

十六世紀の板絵では、繰り返し使われた。

幼児の描き方

幼児の体を見てほしい。

腹が出て、手足に肉がつく。

首が短く、頭が大きい。

つまり、実際の幼児の比率に近い。

中世の絵では、幼児は小さな大人として描かれることがあった。

十五世紀以降、観察にもとづく描写が増える。

この一点も、その流れの中にある。

もっとも、顔立ちは大人びている。

観察と型が、混ざっている。

眼鏡をかけた男

六点目は、人物が三人いる。

聖家族
ヨース・ファン・クレーフェ《聖家族》1525年ごろ。油彩・板。縦51.8センチ、横37.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・ブルーメンタール遺贈、1941年。ヨース・ファン・クレーフェ《聖家族》メトロポリタン美術館蔵

右に、女性が座る。

白い布をかぶり、赤い衣を着る。

膝に、裸の幼児を抱く。

幼児は、女性の胸に顔を寄せる。

左には、麦藁色の帽子をかぶった男がいる。

眼鏡をかけ、書物を持つ。

その前には、机がある。

机の上には、花を挿した壺、蝋燭、果物、刃物が並ぶ。

背景は、緑の布である。

眼鏡という細部

男の眼鏡に注目したい。

丸い枠が二つ、鼻の上に載る。

十六世紀の眼鏡である。

弦はなく、鼻で挟む形式だろう。

こうした細部が描かれるのは、北方の絵の特徴である。

聖書の人物に、同時代の道具を持たせる。

年配であることも、眼鏡で示される。

意味と観察が、また重なっている。

机の上の静物

机の上の品を数えてみたい。

花を挿した器、蝋燭、切られた果実、丸い果実、刃物。

いずれも小さく描かれる。

しかし、質感が描き分けられている。

陶器の艶、蝋の柔らかさ、果肉の湿り。

つまり、机の上だけを取り出せば静物画になる。

十七世紀の静物画は、こうした部分から独立したとされる。

その前史が、この一点に見える。

二人の視線

この一点の視線に注目したい。

女性は、幼児のほうへ目を落とす。

幼児は、女性の胸へ顔を向ける。

そして男は、書物へ視線を落とす。

つまり、三人とも、こちらを見ていない。

見る人は、この場に立ち会う立場に置かれる。

宗教画では、この扱いがよく使われる。

一方、目を合わせる作りにすれば、こちらへ語りかける絵になる。

視線の向きひとつで、絵と見る人の関係が変わる。

蝋燭という細部

机の上の蝋燭にも触れておきたい。

背が低く、皿の上に立つ。

火はついていない。

蝋燭は、命の長さを示す品としてよく描かれる。

火が消えた蝋燭なら、終わりを示す。

もっとも、単に机の上の道具である可能性もある。

意味を読む前に、その場にあって不自然でないかを見る。

台所や仕事机に、蝋燭があるのは当たり前である。

読みすぎない構えが要る。

六点の年代

六点の年代を並べたい。

おそらく一五一八年が二点。

一五二〇年ごろが一点。

一五二五年ごろが二点。

一五二五〜三〇年ごろが一点。

つまり、十年ほどに集まっている。

画家の三十代から四十代半ばにあたる。

工房が最も活発だった時期だろう。

肖像、祭壇画、聖母子、聖家族。

主題の幅が、そのまま注文の幅である。

受け入れの記録

六点の来歴も見ておきたい。

一九四〇年、一九四一年が二点、一九八二年。

そして、館の記録に年のないものが二点。

つまり、二十世紀の受け入れが中心である。

とくに一九四〇年前後に集中している。

欧州の情勢が不安定な時期でもある。

古い絵が市場に出て、米国の館が買う。

そうした動きが、この時期に起きていた。

板絵の伝統の中で

当サイトでは、北方の板絵を繰り返し扱ってきた。

板に描くということや
ブルッヘとアントウェルペンの板がそれである。

十五世紀から十六世紀にかけて、この地方の板絵は高い水準を保った。

細密な描写、透明な色、緑の背景、開いた窓。

その型が、世代を越えて受け継がれる。

ファン・クレーフェも、その受け手の一人である。

そして、量産の仕組みを加えた世代でもある。

六点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

六点の中の、白い布だけを見比べてほしい。

頭にかぶる布、幼児を包む布、机に掛かる布。

いずれも白いが、質が違う。

薄く透けるもの、厚く畳まれるもの、皺の深いもの。

白は、絵具としては単純である。

しかし、影の色で質感が変わる。

青みの影なら冷たく、黄みの影なら暖かい。

六点の白の影の色を、順に確かめてほしい。

そこに、この工房の技術が集中している。

白は、いちばん難しい色である。

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