五人を、横に並べる——鳥居清長の群像
続き物という発明
清長の代表作の多くは、一枚では完結しない。

これは大判二枚続きである。所蔵館の記録では、二枚それぞれが縦37センチ、横25センチ。
左の紙には三人。縁台に腰かけた女、団扇を持って立つ人物、その手前を歩く女。
右の紙にも三人。並んで歩く女たちが、左を向いている。
二枚を並べると、六人が一つの場面にいる。背後には川と対岸が横に伸びる。
重要なのは、それぞれの紙が単独でも成立していることだ。
左だけを見ても絵になる。右だけでも絵になる。並べると、もっと良くなる。
これは版元にとって都合がよい。一枚ずつ買う客にも、揃いで買う客にも売れる。
構図の作り方にも工夫がある。
二枚の境目に、人物を跨がせない。誰かの身体が紙の継ぎ目で切れると、一枚で見たときに壊れてしまう。
かわりに、視線と姿勢でつなぐ。右の紙の人物が左を向き、左の紙の人物が右を向く。
向き合っているわけではない。ただ、視線の方向が対岸を指している。
それだけで、二枚は一続きに見える。
背景も同様だ。川と対岸の線が、二枚にわたって同じ高さで続く。この横線が接着剤になっている。
継ぎ目で切ってよいのは、風景だけ。人物は切らない。この原則が守られている。

三枚続きになると、画面はさらに横へ伸びる。
上部を橋の骨組みが横切り、その下に舟が並ぶ。人物は十人を超える。
舟の縁、簾の水平線、橋桁の斜め材。横方向の線が何本も引かれ、画面を左右につないでいる。
日本の絵巻や屏風は、もともと横長の画面を持っていた。清長の続き物は、その形式を版画へ持ち込んだものとも読める。
ただし、絵巻とは決定的に違う点がある。
絵巻は右から左へ巻きながら見る。時間が流れる。場面が移り変わる。
続き物は違う。三枚を同時に壁に並べ、一目で見る。時間は流れない。
同じ横長でも、見る手順が違えば別の形式になる。
大判とは、どれくらいか
寸法も確認しておきたい。
大判は、縦37センチ、横25センチほど。A4より少し大きい。
二枚続きなら横50センチ、三枚続きなら横75センチになる。
三枚続きは、両手を広げたくらいの幅がある。壁に貼れば、それなりの存在感になる。
当時これがどう飾られたかは、確かなことが分かっていない。糊で壁に貼った、屏風に貼った、そのまま重ねて保管した——いずれの記録もある。
いま美術館では、三枚を額に入れて並べて展示することが多い。ただし当時の見え方を再現しているとは限らない。
私たちが見ている「作品としての三枚続き」は、かなり後世の扱い方である可能性がある。
横に並べると、何が起きるか
構図の話をしたい。
人物を横一列に並べると、絵は「場面」ではなく「行列」になる。
物語が進まない。誰かが誰かに何かをする、という関係が生まれにくい。
かわりに出てくるのが、比較である。
隣り合った人物の背丈、着物の柄、髪型、姿勢。見る側は、自然にそれらを見比べる。
つまり清長の続き物は、着物と髪型の見本帳としても機能する。
当時の版画は、流行の情報源でもあった。誰が何を着ているかを見るために買われた面がある。
横に並べる構図は、その用途にきわめて適している。
もうひとつ、横並びには技術的な利点もある。
人物が重ならないので、輪郭が交差しない。彫るのも摺るのも楽になる。
奥行きのある構図では、手前の人物が奥の人物を隠す。隠された部分の処理が要る。
横一列なら、それが要らない。全員の全身が見える。
着物の全体を見せたい絵にとって、これは決定的な条件だった。
見せたいものが構図を決め、構図が体型を決める。順序としてはそうなる。
背景は、どう扱われているか
もう一枚見ておきたい。

ここでは背景がある。ただし、扱いが独特である。
上部から藤の花房が垂れ、下端に緑の地面。そのあいだに、遠景の木立が細い帯として入る。
奥行きを示す要素は、この帯だけだ。しかも人物より上に置かれている。
人物の足元から遠景までの距離が、描かれていない。
西洋の遠近法なら、手前から奥へ地面が連続して退いていく。ここではその連続が省かれている。
人物は「近い」、風景は「遠い」。その二つが、あいだを飛ばして重ねられている。
この省略は、破綻に見えない。むしろ画面が整理されて見える。
理由は、人物と風景で描き方を変えているからだ。
人物は輪郭線がはっきりし、色も濃い。風景は線が細く、色が薄い。
線の太さと色の濃さで、遠近が示されている。地面の連続は要らない。
西洋の風景画が、暗い前景で枠を作り、中景を明るくし、遠景を霞ませたのと、目的は同じである。手段が違うだけだ。
その手法については別のコラムで扱っている。
この空間の作り方は、のちにヨーロッパの画家たちを驚かせることになる。日本の版画が渡したものについては別のコラムで扱っている。

小さな判型の作品もある。中判では人物は二人程度に収まり、続き物のような広がりは無い。
判型が構図を決めている。横に長い紙を得たとき、清長はそこに人を並べた。
逆に言えば、彼の様式は大判の続き物という条件に最適化されていた、ということでもある。
条件が変われば、様式も変わる。中判の作品に、続き物ほどの強さは無い。
画家の様式を「その人の個性」だけで説明すると、こういう関係を見落とす。
紙の大きさ、彫りの手間、売り方。それらが様式の半分を決めている。