画家を知る

五人を、横に並べる——鳥居清長の群像

鳥居派の当主が、美人画を描く

経歴に戻りたい。

鳥居派は、芝居小屋の看板を描く一門である。役者の姿を、太い線と誇張した姿勢で描く様式を持っていた。

その線は「瓢箪足蚯蚓描」と呼ばれる。足は瓢箪のように膨らみ、線は蚯蚓のようにうねる。力を示すための型である。

清長は四代目としてこの家を継いだ。当然、役者絵も描いている。

東錦 浜の女の踊り
《東錦 浜の女の踊り》。浜辺で踊る人物を描いた初期作。のちの様式とは体型が異なる。鳥居清長《東錦 浜の女の踊り》メトロポリタン美術館蔵

初期の作品を見ると、体型はまだ後年ほど長くない。様式は、十年ほどかけて作られている。

一気に到達したわけではない、ということだ。

家業の型を身につけたうえで、少しずつ別の方向へずらしていった。その積み重ねが1780年代に結実する。

そして1780年代、美人画で圧倒的な評価を得た。

役者絵の家に生まれた人が、美人画で頂点に立つ。当時としては、家業から外れた成功である。

なぜ、やめたのか

ところが1790年ごろから、清長は美人画をあまり描かなくなる。

かわりに芝居関係の仕事が増える。看板、番付、役者絵。鳥居派当主としての本来の職務である。

理由についてはいくつかの説明がある。家業に専念する必要が生じたとする見方が一般的だが、確かな記録があるわけではない。

同じころ、寛政の出版統制が始まっている。美人画は規制の直撃を受けた分野である。その影響を見る説もある。

いずれにせよ、彼の美人画の最盛期は十年に満たない。

その短い期間に、次の世代への影響を決定的に残した。

歌麿は、逆をやった

清長のすぐ後に出てくるのが喜多川歌麿である。

歌麿がやったことは、清長の逆だった。

清長は人物を横に並べ、全身を見せ、着物の全体を描いた。

歌麿は人物を一人に絞り、顔だけを画面いっぱいに取った。背景も、着物の裾も捨てた。

売り物の中身が、背丈から顔へ移っている。この転換については別のコラムで扱っている。

十年ごとに、売れる形が変わっていく。版画は流行商品だった、ということがよく分かる。

筆で描いた三人

版画だけでなく、肉筆の作品も残っている。

川辺の三人の女
《川辺の三人の女》十九世紀初頭。絹本着色の掛軸。横長の画面に三人が並び、右に柳、左に川が広がる。鳥居清長《川辺の三人の女》メトロポリタン美術館蔵

絹に描かれた横長の掛軸である。

右手前に柳が立ち、その根元に女が一人。中央に二人。左には川と対岸が広がる。

版画の続き物と、構図の考え方は同じである。人物を横に並べ、風景を帯として置く。

違うのは線だ。彫師を通していないので、筆の入りと抜けがそのまま残っている。

版画の線は、彫師が刃で作った線である。肉筆の線は、絵師の手が直接引いた線である。

同じ画家の作品でも、線の性質はまるで違う。

肉筆は一点物なので、値段も桁が違った。版画が庶民の買い物なら、肉筆は注文品である。

絵師にとっては、版画で名を売り、肉筆で稼ぐ、という構造があったと考えられる。

歌麿にも同じ構造が見られる。別のコラムで扱った掛軸がそれにあたる。

版画だけを見て「浮世絵師」を理解すると、この半分を見落とすことになる。

見立て——群像は、都市の絵である

ここからは書き手の見方である。

清長の続き物を、私は都市の絵として読みたい。

理由は、描かれている人々の関係にある。

彼らは家族でもなければ、物語の登場人物でもない。たまたま同じ場所に居合わせた人たちである。

隅田川の夕涼み、橋の下の舟遊び、藤棚の下。いずれも公共の行楽地だ。

そこでは、知らない者どうしが並んで立つ。互いに干渉せず、しかし同じ景色を共有する。

この状態は、都市に特有のものである。村では、居合わせた人はたいてい顔見知りである。

清長の画面には、その都市的な距離が写っている。誰も誰とも目を合わせず、それでいて不自然ではない。

百年後のパリで、スーラが同じような画面を描いた。日曜の公園に集まった他人たちの絵である。詳しくは別のコラムで扱っている。

両者に直接の関係はない。ただ、大きな都市が同じ主題を生んだ、とは言えるかもしれない。

もっとも、これは後世からの読み方である。清長が都市の孤独を主題にしたと示す記録は無い。解釈として受け取ってほしい。

八頭身は、どこから来たのか

体型についても、ひとつ考えを述べておきたい。

清長の人物が背高く描かれた理由として、西洋の銅版画の影響を挙げる説がある。当時、輸入された西洋の図版が一部の絵師に見られていたことは確かである。

ただし、決め手になる証拠は無い。

もうひとつ考えられるのは、判型からの要請である。

大判を横に二枚、三枚と並べる構図では、人物が横に太いと画面が詰まる。細く高い人物を並べたほうが、リズムが出る。

紙の形が、体型を決めた。そう読むほうが私には自然に思える。

いずれにせよ、確定はしない。並べておくにとどめたい。

ひとつだけ確かなのは、清長の八頭身が現実の観察から出ていないということである。

写生ではない。理想化でもない。画面の要請から出てきた形である。

そう考えると、この体型は装飾模様に近い。人体というより、縦に伸びる形の単位だ。

五人並べば、縦の形が五つ並ぶ。そのリズムが画面を作る。

人物を模様として扱う態度は、日本の絵画に古くからある。清長の群像も、その系譜に置けるだろう。

暮らしへ——並べて飾ってみる

最後に、実用的な提案をひとつ。

続き物という形式は、家に飾るときにも応用できる。

同じ作家、同じ シリーズ の作品を二枚、三枚と横に並べて掛ける。一枚ずつでも成立し、並べるとつながる。

大事なのは、間隔を狭くすることだ。作品どうしの隙間を、額の幅の半分以下にする。

離しすぎると、別々の絵に見えてしまう。近づけると、一つの横長の画面として読めるようになる。

高さも揃える。中心線を一本に合わせると、それだけで落ち着く。

飾る場所と光の条件についてはこちらのコラムで扱っている。

横に長い壁面を持っている人は、ぜひ試してほしい。清長がやっていたのは、まさにそれである。

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