灯りは、道具の形で残る——ドリスコル・テルブシュ・谷文一ほか九点
描かれた燭台は、数が意味を持つ
ここからは、描かれた灯りである。

画面いっぱいに、背の高い燭台がひしめいている。
数えると、七本である。
その間に、翼のある人物と、ひざまずく老人がいる。
聖書の黙示録の場面である。
聖ヨハネが、七つの金の燭台の幻を見るくだりだ。
館の記録では、デュヴェはフランス最初期の重要な版画家だった。
この版は、黙示録を描いた23点の連作の一枚である。
全部そろった本は、世界に七組しか知られていないという。
遠近法を無視して、面を模様のように埋める癖も記録は指摘する。
たしかに、燭台は空間に立っているというより、敷き詰められている。
ここで大事なのは、燭台の数である。
七つという数が、聖書の言葉どおりに数えられるように描かれている。
信仰の絵では、灯りの道具は数まで決まっている。
実物の燭台が一対で作られたように、描かれた燭台は七本で描かれる。
灯具は、単独ではなく、組で意味を持つ道具なのである。
燭台の形も見ておきたい。
七本とも、太い軸に節が重なり、上に皿が開く。
実物のジェルマンの燭台と、部品の構成は同じである。
軸があり、節があり、皿がある。
幻の燭台も、現実の燭台の文法で描かれるのである。
見たことのない道具は、幻の中にも立てられない。
なお、この作品の記録には寸法の欄がない。
書物として綴じられていた版画には、こうした欠けがときどきある。
版画で埋め尽くされた画面は、彫るのに何年もかかった。
記録では、この連作がデュヴェの最大の仕事だったとされている。
蝋燭一本で、部屋を作る

暗い部屋に、蝋燭が一本ともっている。
机の上の男が、頬づえをついてこちらへ顔を向ける。
白いシャツの胸元と、緑の上着の袖だけが明るい。
部屋の残りは、闇に沈む。
九点の中で、火がいちばんはっきり見えるのはこの絵である。
蝋燭一本の絵は、光より先に闇を描く絵でもある。
炎から遠いところを塗りつぶすことで、火の届く範囲が決まる。
描いたのは、ドイツのテルブシュである。
館の記録は、この画家の入会試験の顛末を書いている。
蝋燭の絵は、当時のパリではもう流行遅れだった。
それでも彼女は蝋燭の絵を王立アカデミーへ提出した。
結果は落選だった。
理由は、女性にこれほどの絵が描けたはずがない、というものだったとある。
テルブシュは、審査員の前で実際に描いてみせることを受け入れた。
そして二度目の申請で、入会を認められたという。
記録には、画業の始まりも一行で書かれている。
本格的に描き始めたのは40代、子育てを終えてからだったとある。
蝋燭の絵は、夜に描かれた絵だとは限らない。
だが、夜にしか描く時間のない人がいたことは想像できる。
これは記録の外の推測だから、そのように書いておく。
疑いを晴らす場所にも、おそらく灯りがあったはずである。
だが、その部屋の灯りは記録に残っていない。
残ったのは、絵の中の一本だけである。
行灯のそばに、幽霊が立つ

細長い画面に、背の高い灯りの台が立っている。
柱の先に、小さな火が見える。
その柱に重なるように、白い着物の女が浮かぶ。
輪郭は薄く、足元は消えている。
幽霊である。
描いたのは、江戸の画家、谷文一である。
文人画の大家、谷文晁の養子だと記録は書く。
灯台の柱には、金泥で書き込みがある。
内容から、1810年の12月に描かれたと分かるという。
館の記録には、そっくりな一幅が東京の寺にあることも書かれている。
怪談で知られた落語家が集めた、幽霊画の収集に含まれる一幅である。
文一自身は、幽霊を描くのが好きではなかったらしい。
人に勧められて試した、という言葉が伝わると記録は書く。
行灯の台をよく見ると、道具としての作りが分かる。
黒い柱の下に、油皿を載せる笠形の台が広がる。
九点の実物の灯具と、同じ種類の観察がこの絵にもできる。
描かれた道具は、実物の道具と同じ細部を持っているのである。
行灯の火は、部屋をほとんど照らさない。
だからこそ、見えるはずのないものが見える。
灯りの暗さが、この絵の主題を支えている。
幽霊に足が描かれないのも、灯りと無関係ではないだろう。
床に近いところは、火から遠く、闇に沈む。
見えない足元は、描かないほうが本当らしい。
これも推測だが、暗さの理屈には合っている。
蝋燭の学者の絵と、行灯の幽霊の絵。
東西の二点は、どちらも小さな火と広い闇でできている。
片方は火のそばに学問を置き、片方は火のそばに怪異を置いた。
夜の火の意味は、置くものしだいで正反対になる。
道具は同じでも、絵の主題は自由なのである。