作品を知る

灯りは、道具の形で残る——ドリスコル・テルブシュ・谷文一ほか九点

灯りの語で九点を集めると、実物の灯具が四点、描かれた灯りが五点だった。実物の火はすべて消えていて、絵の中の火だけが点いたままである。蝋燭から油、電気、そして灯台まで、灯りの道具の幅を並べ、火が記録に残らない理由を考えた。

竹形の台をもつ牡丹文のフロアランプ
クララ・ウォルコット・ドリスコル《竹形の台をもつ牡丹文のフロアランプ》クリーヴランド美術館蔵

花の笠が、光っている

黒い台座から、細い茎がまっすぐ伸びている。

竹の節を模した、ブロンズの柱である。

その上に、大きな笠が開く。

笠の全面が、赤と桃色の牡丹で埋まっている。

花びらの一枚一枚が、色硝子である。

高さは157センチ。

人の背丈に近い。

ランプである。

つまりこれは、絵ではなく、部屋を照らす道具である。

竹形の台をもつ牡丹文のフロアランプ
クララ・ウォルコット・ドリスコル《竹形の台をもつ牡丹文のフロアランプ》1905年から10年ごろ。館の記録では、鉛線で組んだガラスとブロンズ。高さ157.5センチ。笠の直径55.9センチ。番号は2018.267。クリーヴランド美術館蔵。クララ・ウォルコット・ドリスコル《竹形の台をもつ牡丹文のフロアランプ》クリーヴランド美術館蔵

設計したのは、ティファニー工房のドリスコルである。

館の記録では、花のランプは庭を室内へ持ち込む試みだった。

電気の光で硝子を照らし、自然光の移ろいを作り直したという。

この牡丹の笠には、仕掛けもある。

指一本で笠が回り、光の量を変えられるのだと記録は書く。

夜は濃い赤の面を、昼は淡い桃色の面を使う。

一つの灯りで、夜と昼を切り替える設計である。

台座には、ティファニー工房の名が刻まれている。

ニューヨークの工房名と、型番の数字である。

設計者ドリスコルの名は、台座にはない。

工房の製品は、工房の名で世に出た。

設計した人の名前は、のちの調査で記録の欄に入ったのである。

ティファニーの硝子については、高さだけを測る器の回でも扱った。

あちらは花瓶、こちらは灯りである。

同じ工房の硝子でも、灯りになると寸法の欄が変わる。

高さのほかに、笠の直径が加わるのである。

光をどれだけ広げるかが、この道具の性能だからだ。

さて、当サイトは以前、画面のなかに光源を置く絵の回を書いた。

蝋燭やランプが、絵の中でどう光るかという話だった。

今回は、その逆側を歩きたい。

灯りは、道具である。

そして道具は、絵に描かれるだけでなく、実物のまま美術館に入る。

灯りの語で集めた九点には、実物の灯具が四点、描かれた灯りが五点ある。

道具の側から見ると、灯りの絵はどう見えてくるか。

九点で確かめたい。

机の上の、小さな火

実物の灯具を、まず三点続ける。

蛇を絞め殺す幼児ヘラクレスを載せたインク壺と燭台
セヴェロ・ダ・ラヴェンナ《蛇を絞め殺す幼児ヘラクレスを載せたインク壺と燭台》1510年から20年ごろ。館の記録では、ブロンズ。21×11×13センチ。番号は1954.798。クリーヴランド美術館蔵。セヴェロ・ダ・ラヴェンナ《蛇を絞め殺す幼児ヘラクレスを載せたインク壺と燭台》クリーヴランド美術館蔵

鳥の脚が、貝殻を支えている。

貝の上に、幼い子どもがまたがる。

高さ21センチのブロンズである。

館の記録では、これはインク壺と燭台を兼ねた道具だった。

貝殻がインクを入れ、どこかに蝋燭が立ったという。

台の鳥の脚は、鷲の爪から直接型を取ったとある。

貝も、実物そっくりに鋳られている。

十六世紀のパドヴァでは、こうした小さなブロンズが流行した。

古代風の像を机に置き、しかも実用にする。

書く手元には、インクと光の両方が要る。

一つの道具にまとめたのは、理にかなっている。

またがる子どもは、蛇を絞め殺す幼いヘラクレスらしい。

ただし持っていたはずの棒は、失われたと記録は書く。

貝殻のインク壺は、パドヴァに特有の趣向だったともある。

中世の画家は、ときどき貝殻を絵の具の器に使った。

その記憶が、机の道具に引き継がれたのかもしれない。

もっとも、この貝は小さすぎて実用には向かなかったらしい。

飾りとしての価値が、使い勝手より先に立つ道具だった。

来歴の欄には、後の持ち主として銀行家モルガンの名も見える。

机の灯りが、収集の対象へ変わっていった道筋である。

燭台一対
フランソワ・トマ・ジェルマン《燭台一対》1757年から58年。館の記録では、銀。全体は38.1×24.5センチ。台の直径19.9センチ。番号は1940.14。クリーヴランド美術館蔵。フランソワ・トマ・ジェルマン《燭台一対》クリーヴランド美術館蔵

こちらは銀の燭台である。

草花がうねるような腕が三本、それぞれ蝋燭の受け皿を掲げる。

同じものが二つ、一対で残る。

館の記録では、これはロシアの女帝エリザヴェータが注文した銀食器の一部である。

パリで作られ、ペテルブルクへ運ばれた。

最初の便だけで、270点の器が積まれていたという。

女帝は完成を見ずに亡くなり、食器は次の女帝の時代も使われ続けた。

台には、作り手の銘が刻まれている。

ジェルマン作、パリ、1758年、と読めるとある。

絵の署名をどの隅に置くか数えた回があったが、道具の銘は台の裏に隠れる。

灯りの道具は、食器でもあった。

晩餐の卓では、料理と同じ卓の上に光が並んだのである。

一対で作られたことにも、理由が読み取れる。

卓の左右に一つずつ置けば、光が均等になる。

灯具は、単独ではなく組で働く道具だった。

素材が銀であることも、灯りの性能の一部である。

磨かれた銀は、炎の光を映して返す。

受け皿のうねる飾りは、飾りであると同時に反射板でもあった。

灯籠
源右衛門《灯籠》1850年。館の記録では、色絵磁器。高さ29.5センチ、幅24.8センチ。番号は23.225.201。メトロポリタン美術館蔵。源右衛門《灯籠》メトロポリタン美術館蔵

三点目は、磁器の灯籠である。

六角の胴に、透かし彫りの格子が開く。

屋根には、つまみの飾りが載る。

肥前の窯で焼かれた、九谷風の色絵だと記録は書く。

火を入れれば、格子の目から光が漏れる仕組みである。

石の灯籠を、焼き物で小さく作り直した形といえる。

高さは29.5センチ。

庭に据える石灯籠より、ずっと小さい。

座敷や店先に置く大きさである。

釉薬には、細かいひびが入っている。

貫入と呼ばれる、焼き物の景色である。

火の入らない昼のあいだも、器として見て楽しめる。

灯りの道具は、消えている時間のほうが長い。

その時間のために、飾りが施されるのだと考えられる。

牡丹のランプも、銀の燭台も、この灯籠も、消えたままで美しい。

道具の灯具が美術館に入る理由は、そこにある。

ここまでの三点に、共通することが一つある。

火が、ついていないことである。

蝋燭は立っておらず、灯籠の中は空である。

美術館にあるのは、火を待つ器だけである。