署名は、どの隅に置かれるか——レンブラントからモネまで九点、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)
右上。中央左。左上。中央右。左下。右下。下の中央。九点の絵を並べると、署名の位置が七通りに分かれた。館の記録は、文字の内容を書く前に必ずその位置を書く。なぜ場所が先に来るのか。三百年ぶんの署名を、置かれた隅から読んでいきたい。

九点の絵の、署名の位置を書き出す
絵画を九点、記録の欄で並べてみる。
どれも銘記の欄に、文字の位置が書かれている。
右上。中央左。左上。左上。中央右。
左下。右下。下の中央。左下。
九点で、位置が七通りに分かれた。
隅に署名する、といっても隅は四つある。
そのうえ、辺の中央も使われている。
館の記録は、位置を必ず先に書く。
何が書かれているかは、そのあとである。
順序が逆になることはない。
位置が先に来るのは、なぜか
銘記の欄の書き方には、型がある。
まず場所、次に文字、必要なら訳。
この順序は、どの館でもほとんど同じだ。
理由は、おそらく単純である。
欄を読む人は、まず現物を探す。
画面のどこを見ればよいかが要る。
文字は小さく、絵具に紛れている。
位置がなければ、探すのに時間がかかる。
だから位置が先に来る。
記録は、読む人の手つきに合わせて並んでいる。
そう考えると、この欄は目録ではない。
現物へ戻るための、道順である。
絵に名を書く習慣は、いつからか
西洋の絵に署名が増えるのは、十五世紀からである。
それ以前にないわけではない。
石の彫刻や写本には、古くから作り手の名が入る。
ただし、板に描いた宗教画には少ない。
絵は工房の仕事で、注文主のものだった。
誰が描いたかは、契約書に書かれる。
画面に書く必要はない。
それが変わっていく。
画家が名を出すようになり、絵に書き込むようになる。
理由の説明は、いくつもある。
工房から個人へ、という説明が多い。
ただ、はっきりした一つの原因は分からない。
分かるのは、書かれた署名が残っているという事実だけだ。
そして書かれた以上、位置が生まれる。
位置が生まれれば、記録する側は書き留める。
いま読んでいる欄は、その積み重ねである。

暗い室内に、女性が正面を向いて座る。
黒い上着に、白い大きな襟を掛ける。
頭には白い布をかぶる。
左手を腹の前に置く。
その手が、小さな赤い花をつまむ。
右手は肘掛けの上で軽く開く。
右奥に、赤い布を掛けた台がある。
台の上に、小さな果実らしいものが乗る。
背景は褐色で、輪郭はほとんど溶けている。
画面の右上だけが、わずかに明るい。
そこに文字が置かれている。
右上は、暗い背景の中の明るい場所
いま見た一点の署名は、右上にある。
同じ画家の別の一点は、中央の左にある。
どちらも、背景の中である。
人物の姿には掛からない。
これは技術の問題でもある。
署名は、絵具が乾いてから置くことが多い。
厚く塗った場所に重ねると、乗りが悪い。
背景の薄い層のほうが、筆が走る。
そして、背景は暗い。
暗い場所に暗い文字を置けば、目立たない。
明るすぎる場所に置けば、絵の邪魔になる。
その折り合いが、隅につく。

女性が一人、上半身で描かれる。
古代ローマの物語の場面である。
自らの命を絶とうとしている姿だ。
右手に短剣を持ち、刃を胸へ向ける。
左手は開いて、こちらへ差し出される。
顔はやや傾き、目は伏せられる。
衣は金と白で、袖が大きく膨らむ。
胸元に鎖と飾りが下がる。
背景は暗く、何も描かれない。
その左側、腰の高さあたりに文字がある。
人物の輪郭のすぐ外である。
近づかなければ、まず気づかない。
文字は、絵具のどの層に乗っているか
署名は、絵の上に置かれた文字である。
だから、絵具の層の話になる。
下から順に、地塗り、下描き、絵具の層が重なる。
その一番上に文字が乗ることが多い。
乾く前に書けば、下の色と混ざる。
乾いてから書けば、その上に浮く。
どちらであるかは、拡大すれば見当がつく。
館は、そこまでは欄に書かない。
書くのは位置と文字である。
ただし例外がある。
絵具を掻き落として書いた場合だ。
筆の柄の先で、まだ柔らかい絵具に線を引く。
すると、下の層の色が線として現れる。
この方法で名を書いた例が、実際にある。
そういうときは、館も欄に書き添える。
書き方が普通でないからである。
普通でないことだけが、記録に残る。
これは、記録という仕組みの性質である。
左上に置く、二つの例
九点のうち二点は、左上に署名がある。
いずれも二十世紀初めのアメリカの絵だ。
一点は室内の人物、一点は立ち姿の肖像である。
左上は、西洋の絵では珍しい位置ではない。
ただし、右下ほど多くはない。
書き始めの位置だから、という説明を見かける。
文字を左から右へ書く習慣に合わせている、と。
もっともらしいが、確かめようがない。
館の記録も、理由は書かない。
書かれるのは位置と文字だけである。

若い女性が、右を向いて立つ。
黒い服に白い襟と袖口をつける。
両手で紙を持ち、目を落として読む。
手前に丸い机がある。
机の上に、器がいくつも並ぶ。
白と青の大きな壺が右にある。
左に、蓋の開いた箱が置かれる。
箱の中に、青い紙のようなものが見える。
小さな灰色の壺と、黒い台に載った器もある。
壁は淡い褐色で、何も掛かっていない。
その壁の左上に、文字が入る。
背景が明るいので、文字は暗い色で置かれる。