名画の楽しみ方

同じ写真が、二つの番号に付いている——ダニエル・ハンティントンの写生帖

ブラック山、レイク・ジョージ
ダニエル・ハンティントン《ブラック山、レイク・ジョージ》1870年ごろ。館の記録では、紙に鉛筆。縦14センチ、横22.2センチ。番号は36.124のaの裏。見開きで、湖と山が左右にまたがる。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ハンティントン《ブラック山、レイク・ジョージ》メトロポリタン美術館蔵

そして、その裏である。

こちらは横長のまま使われている。

見開きいっぱいに、湖と山が広がる。

左に木の茂み、中央に水面、右に山の連なり。

レイク・ジョージは、ニューヨーク州の北にある湖である。

同じ紙の表に人がいて、裏に湖がある。

帳面を縦に持てば肖像、横に持てば風景。

持ち方が変われば、描くものが変わる。

女性の肖像
ダニエル・ハンティントン《女性の肖像》1870年ごろ。館の記録では、紙に鉛筆。縦14センチ、横22.2センチ。番号は36.124のcの表。腰かけた姿を、帳面を縦にして描いている。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ハンティントン《女性の肖像》メトロポリタン美術館蔵

三枚目の紙も、同じ作りである。

表には、腰かけた女性がいる。

やはり縦に持ち替えている。

顔はわずかに上を向き、両手を膝の上で組んでいる。

衣の襞が、下に向かって流れる。

肖像画家らしい線である。

ハンティントンは、ニューヨークで肖像を描いて生きた人である。

館の記録は、生年を一八一六年、没年を一九〇六年と書く。

生まれた場所も死んだ場所も、同じニューヨークである。

デラウェア川、東の支流、ウォルトン、1871年
ダニエル・ハンティントン《デラウェア川、東の支流、ウォルトン、1871年》1870年ごろ。館の記録では、紙に鉛筆。縦14センチ、横22.2センチ。番号は36.124のcの裏。見開きに、川と丘が広がる。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ハンティントン《デラウェア川、東の支流、ウォルトン、1871年》メトロポリタン美術館蔵

その裏は、また風景である。

川が右から左へ流れ、奥に丘が重なる。

題には、川の名と、支流の別と、町の名が入っている。

デラウェア川の東の支流、ウォルトン。

場所を、三段階で特定している。

この細かさも、その場で書かれた文字から来ているのだろう。

一八七一年の夏

九点の題を、年で並べてみる。

cの裏に一八七一年。

gの裏とhの表に一八七一年。

hの裏とiの表に一八七一年。

ggの裏にも一八七一年。

年の書かれていないものもあるが、書かれているものはすべて同じ年である。

館は、制作年の欄を「一八七〇年ごろ」としている。

題に一八七一年と入っているのに、欄は一八七〇年ごろである。

これは矛盾ではない。

帳面は一年で使い切るとは限らない。

前の年から使い始めた可能性があるので、幅を持たせている。

題の年は、その頁に書かれた年。

欄の年は、帳面全体に与えた年。

二つの年が、別の意味で並んでいる。

ウィラード・パーカーの肖像、1871年
ダニエル・ハンティントン《ウィラード・パーカーの肖像、1871年》1870年ごろ。館の記録では、紙に鉛筆。縦14センチ、横22.2センチ。番号は36.124のggの裏。椅子にもたれた男性を、帳面を縦にして描いている。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ハンティントン《ウィラード・パーカーの肖像、1871年》メトロポリタン美術館蔵

最後の一点は、帳面のずっと後ろの頁である。

枝番が、ggまで来ている。

椅子にもたれた男性が、片手を膝に置いている。

やはり縦に持ち替えて描かれている。

題には、名前が書かれている。

ウィラード・パーカー。

館の記録は、この人物が誰かを説明していない。

名だけが残っている。

画面の下に、鉛筆の書き込みが見える。

そこから読み取った名だろう。

なお、コーンウォールという地名は各地にある。

館の記録は、州の名を書いていない。

同じ帳面の他の頁にニューヨーク州の地名が並ぶので、その近くだろうと考えられる。

しかし記録がない以上、断定はしない。

嵐の王という名の山が、その土地にあった。

分かるのは、そこまでである。

鉛筆という、持ち運べる道具

九点の技法の欄は、ほとんど同じである。

紙に鉛筆。

一点だけ「白みがかった織り目の紙」と、紙の質まで書かれている。

織り目の紙は、機械で漉いた、目の細かい紙である。

十九世紀には、ごく普通の帳面の紙だった。

鉛筆は、写生帖と相性がよい。

インクのように瓶が要らない。

乾くのを待たなくてよい。

芯を削れば、線の太さも変えられる。

そして、消せる。

嵐の王を描いた見開きを、もう一度思い出してほしい。

稜線は一本の線で引かれている。

そのそばに、薄い線が何本か残っている。

決める前に、当たりを取った跡である。

鉛筆だから残っている。

インクなら、この迷いは消えるか、そのまま黒く残るかのどちらかになる。

薄く引いて、上から強く引き直す。

この二段構えが、鉛筆の写生帖の描き方である。

寄贈者の名は、頭文字だけ

出所の行を、もう一度読んでみる。

「エス・ビー・ライスター氏の寄贈、一九三六年」。

九点とも、同じ行が入っている。

一冊まるごとが、一人の手から館へ渡ったことになる。

ただし、名は頭文字だけである。

ライスターという姓の前に、二つの文字があるにすぎない。

この人が画家とどういう関係だったかは、記録に書かれていない。

親族なのか、買い集めた人なのかも分からない。

分からないまま、名前だけが残っている。

年に注目すると、一九三六年である。

画家が死んだのは一九〇六年。

三十年の隔たりがある。

そのあいだ、この帳面がどこにあったかは、記録に出てこない。

写生帖は、遺品として家に残ることが多い。

家に残り、代が替わり、あるとき館へ渡る。

そういう筋道を想像することはできる。

しかし、記録がない以上、そこまでである。

二十六を超えた、という合図

この帳面の枝番には、少し変わった作りがある。

aからzまで使い切ったあとが、aa、bb、ccと続く。

ab、ac、ではない。

同じ文字を二つ重ねる方式である。

当サイトで見られる範囲では、ggまで来ている。

つまり、zのあとに七枚ある。

紙の枚数は、少なくとも三十三枚。

面の数にすれば、六十六になる。

もっとも、抜けている枝番もある。

すべての面が公開されているわけではない。

それでも、番号の作りを見れば、帳面のおおよその厚さが分かる。

一冊が何枚だったか。

その情報は、絵の中にはない。

番号の中にある。