名画の楽しみ方

布に、文字を縫う——アン・チェイスの手本布ほか九点

文字を一通り並べ、模様を縫い、最後に自分の名と年と齢を入れる。九点の作り手は、ほとんどが十代の少女である。生年と制作年を引き算してみると、十二歳の仕事が二点あることが分かる。針で書いた文字を読みたい。

刺繍の手本布
アン・チェイス《刺繍の手本布》メトロポリタン美術館蔵

布に、文字を縫う

作品を九点、記録の欄で並べてみる。

九点とも、布に糸で図と文字を縫ったものである。

一点だけ、紙に筆で書いたものが混じる。

そのうち二点は、手本布と呼ばれる。

文字と模様を練習するための布だ。

残りは、絵として縫われたものである。

いずれも、画面のどこかに文字が入る。

名前、年、齢、詩の一節。

縫う糸と、地の布

九点の技法の欄を見ると、材料が分かれる。

地の布は、麻か、毛織か、絹である。

縫う糸は、羊毛か、絹か、シェニールである。

麻の布に羊毛の糸なら、素朴な仕上がりになる。

絹の地に絹の糸なら、光沢が出る。

つまり、材料の組み合わせで印象が変わる。

館の技法の欄は、地と糸を分けて書く。

前の回で、支持体と絵具を分ける話をした。

同じ考え方が、布にも使われている。

手本布とは、何か

手本布は、縫い方の見本である。

上から順に、いろいろな縫い方を並べる。

まず、文字を並べる。

大文字を一通り、小文字を一通り。

数字も並べる。

そのあとに、模様や図を縫う。

最後に、名前と年と齢を縫い込む。

つまり、練習と署名が一枚に収まっている。

糸で書く、ということ

糸で文字を作るには、方法がいくつかある。

一つは、点を並べて線にする。

一つは、糸を布に渡して留める。

一つは、細い糸で輪郭だけを縫う。

どれを使うかで、文字の太さが変わる。

そして、文字の大きさも変わる。

細かい文字なら、細い糸と細かい針目が要る。

九点の文字を拡大すると、その差が見える。

館の記録は、そこまでは書かない。

名を、縫い込む

九点のうち何点かには、名前が縫われている。

そして、年が添えられる。

ときには、齢も入る。

つまり、誰が、いつ、何歳のときに作ったか。

前の回で、絵に齢を書き込む例を見た。

同じ内容が、布に糸で縫われている。

材料は違うが、書く内容は変わらない。

刺繍の手本布
アン・チェイス《刺繍の手本布》1721年。館の記録では、毛織の布に絹糸の刺繍。縦31.1センチ、横21センチ。作者は1709年の生まれと記される。番号は2010.356。メトロポリタン美術館蔵。アン・チェイス《刺繍の手本布》メトロポリタン美術館蔵

縦長の布である。

地は、淡い褐色である。

上から下へ、帯が交互に並ぶ。

模様の帯と、文字の帯が入れ替わる。

模様の帯には、葉や花が横に連なる。

色は、緑と赤と青である。

文字の帯には、単語が並ぶ。

文字は、細かく密である。

いちばん下の帯に、年が縫われる。

数字は、四つ並ぶ。

全体に、傷みと色褪せが見える。

生年が、記録に残る理由

館の作者の欄には、生没年が入る。

なぜ、少女の生没年が分かるのか。

家の記録が残っているからだ。

前の回で、家の聖書に生死を書き足す話をした。

その記録が、そのまま伝わる。

そして、布と一緒に館へ入る。

つまり、物と情報が離れずに来た。

離れていれば、名も齢も分からない。

九点の欄が埋まっているのは、そのおかげである。

十二歳の仕事

いま見た一点の作者は、1709年の生まれである。

そして、作られたのは1721年。

つまり、十二歳のときの仕事である。

館の作者の欄に生年があるので、引き算ができる。

前の回で、二つの欄を突き合わせる話をした。

ここでも、同じことができる。

生年と制作年の差が、作り手の齢になる。

十二歳で、これだけの文字を縫っている。

縫うことを、教える理由

当時、縫うことは実用の技術だった。

衣服を作り、繕う。

家の中の布を、すべて自分で扱う。

だから、必ず身につけさせた。

そして、上手であることは価値になった。

つまり、手本布は技術の証明書である。

前の回で、肖像が身分を示す話をした。

手本布も、似た働きを持っている。

家の中で、飾って見せる。

学校で、作られる

こうした手本布は、学校で作られた。

女子の学校では、縫うことを教えた。

読み書きと同じくらい、大事な教科である。

そして、仕上がった布は家に飾られる。

つまり、成績表のようなものだ。

娘がこれだけできる、と示す。

だから、名前と年を縫い込む。

誰の作かが分からなければ、意味がない。

学校が、様式を作る

同じ学校で作られた布は、似ている。

構図も、色も、縫い方も揃う。

先生が、手本を示すからだ。

だから、様式で学校が分かることがある。

館は、そういう場合に学校名を作者の欄に入れる。

つまり、様式から出所を判断している。

前の回で、様式から作者を推し量る話をした。

同じ方法が、布にも使われている。

学校の名が、作者の欄に入る

九点のうち一点は、作者の欄が変わっている。

人の名ではない。

学校の名である。

正しくは、誰それの学校、という書き方だ。

つまり、その学校で作られたことは分かる。

しかし、作った本人の名は分からない。

前の回で、工房の名が作者の欄に入る話をした。

学校も、同じ扱いを受けている。

刺繍絵
エリザベス・フォルウェルの学校《刺繍絵》1800年ごろ。館の記録では、絹地に絹糸、絵具、墨、紙。縦55.9センチ、横69.9センチ。番号は10.125.416。メトロポリタン美術館蔵。エリザベス・フォルウェルの学校《刺繍絵》メトロポリタン美術館蔵

横長の額に入る。

中央が、楕円に切り抜かれる。

楕円の外は、暗い赤である。

四隅に、小さな星形の飾りがある。

楕円の中に、三人の人物が立つ。

いずれも白い衣を着る。

中央に、四角い台がある。

台の面に、細かい文字が書かれる。

背後に、柳が枝を垂らす。

右奥に、水面と木立が見える。

空は、淡い青である。

台の面に、文字を書く

いま見た一点の中央には、台がある。

その面に、細かい文字が入る。

これは、縫ったのではない。

紙に書いて、貼ったものだろう。

館の技法の欄に、墨と紙が挙げられる。

つまり、糸と絵具と墨と紙が混ざっている。

前の回で、材料の欄の細かさを見た。

ここでは、四つの材料が並ぶ。

顔だけ、描く

刺繍絵では、顔を描くことがある。

糸で顔を縫うと、表情が出しにくい。

そこで、絹地に絵具で顔だけ描く。

そして、衣や背景を糸で縫う。

つまり、部分ごとに技法を変える。

九点のうち三点の技法の欄に、彩色が挙がる。

前の回で、分業の話をした。

こちらは、一人の中での使い分けである。