名画の楽しみ方

布に、文字を縫う——アン・チェイスの手本布ほか九点

縫えない文字は、書く

細かい文字は、縫うのが難しい。

糸は太く、布の目は粗い。

小さな文字は、潰れてしまう。

だから、紙に書いて貼る。

あるいは、布に直接筆で書く。

つまり、文字だけ別の方法で作る。

前の回で、技法が混ざる例をいくつか見た。

必要があれば、材料を変える。

手書きの手本
ピーター・イービー《手書きの手本》1780年。館の記録では、紙に墨と水彩。縦20.6センチ、横32.4センチ。番号は34.100.76。メトロポリタン美術館蔵。ピーター・イービー《手書きの手本》メトロポリタン美術館蔵

横長の紙である。

白黒の写真で写される。

周囲に、細い枠が描かれる。

いちばん上に、文字が一列に並ぶ。

大文字が、順に続く。

その下に、一行の見出しがある。

さらに下に、文章が数行入る。

文字は、装飾的に崩される。

左右の下に、丸い花の飾りがある。

全体が、額に入る。

紙は、淡い色である。

装飾書体という、技術

紙の手本には、装飾的な書体が使われる。

文字を大きく崩し、渦を加える。

線を太くしたり細くしたりする。

これも、練習の一部である。

読みやすさより、形の美しさを競う。

前の回で、読ませる文字と見せる文字の話をした。

装飾書体は、後者に近い。

そして、その技術は証書や記録にも使われた。

紙に書く、手本

いま見た一点は、布ではない。

紙に、墨と水彩で書かれている。

内容は、布の手本布と同じである。

文字を一通り並べ、文章を書く。

そして、名前と年を入れる。

つまり、材料が違うだけだ。

館は、この種の紙を手本と呼ぶ。

そして、装飾的な書体の名も添える。

課業の内容が、分かれる

男子は、書く練習をする。

女子は、縫う練習をする。

そういう分かれ方が、当時はあった。

もちろん、例外もあっただろう。

しかし、残っている作品を見ると、傾向がはっきりしている。

館の作者の欄に並ぶ名が、それを示す。

八人が女性の名、一人が男性の名。

前の回で、記録から傾向を数える話をした。

九点では少ないが、傾向は見える。

男性の作り手

九点のうち、この一点だけが男性の名である。

残る八点は、いずれも女性の名だ。

紙に書く手本は、男子も作った。

布を縫う手本は、女子の課業だった。

つまり、材料と性別が結びついていた。

館の記録は、そこまでは書かない。

作者の名と、生没年があるだけである。

並べてみて、気づくことである。

刺繍絵
メアリー・ライト《刺繍絵》1754年ごろ。館の記録では、麻布に羊毛と絹の糸で刺繍。縦19.4センチ、横19.4センチ。作者は1740年から1829年と記される。番号は46.155。メトロポリタン美術館蔵。メアリー・ライト《刺繍絵》メトロポリタン美術館蔵

正方形の小さな布である。

黒い木の額に入る。

中央に、女性が座る。

赤い衣を着て、両手を膝に置く。

顔は、正面を向く。

その周りに、花と蝶が散る。

右に、木が斜めに伸びる。

足もとに、小さな動物が二匹いる。

下の縁に、文字が二つ並ぶ。

左は季節を示す語、右は頭文字である。

地の織り目が、細かく見える。

頭文字だけを、縫う

名前を全部縫うと、場所を取る。

だから、頭文字だけにすることがある。

二文字か、三文字。

前の回で、絵の署名の頭文字を見た。

布でも、同じ工夫がされている。

そして、頭文字だけでは誰か分からない。

家の中では、分かっていたのだろう。

館は、別の資料から名を特定している。

作者の欄に、名がある。

季節の名と、頭文字

いま見た一点の下には、二つの語がある。

一つは、季節を示す語。

もう一つは、作り手の頭文字である。

つまり、題と署名が並んでいる。

前の回で、頭文字の署名の話をした。

布の上でも、同じ形式が使われている。

そして、この一点は十四歳ごろの仕事になる。

生年と制作年から、そう計算できる。

一枚だけが、残る

揃いのうち一枚だけが残る。

これは、よくあることである。

家が分かれれば、分けて持つ。

売れば、ばらばらになる。

そして、傷めば捨てられる。

前の回で、画帖の四葉だけが残る例を見た。

同じことが、布にも起きる。

館の記録は、一枚のことしか書けない。

残りがどこにあるかは、分からない。

四季を、揃いで作る

季節の名が入るということは、揃いがあったかもしれない。

春、夏、秋、冬。

四枚組で作られた可能性がある。

いまは、一枚だけが館にある。

前の回で、揃いの一部だけが残る話をした。

同じことが、ここでも起きている。

館の記録は、揃いについては書かない。

書かれるのは、この一枚のことだけである。

冬
ハンナ・ジェイン・ロビンソン《冬》1819年。館の記録では、麻布に絹とシェニール糸の刺繍と彩色。縦45.1センチ、横50.2センチ。作者は1807年から1890年と記される。番号は2013.113。メトロポリタン美術館蔵。ハンナ・ジェイン・ロビンソン《》メトロポリタン美術館蔵

横長の布である。

黒い額に入る。

上のほうに、横長の帯がある。

帯の中央に、季節を示す語が大きく入る。

その下に、詩が数行縫われる。

帯の下に、絵が広がる。

中央に、赤い建物が立つ。

その左右に、葉の落ちた木が並ぶ。

手前に、道が横切る。

道に、犬が一匹立つ。

いちばん下に、名前と月が縫われる。

詩を、縫い込む

いま見た一点には、詩が縫われている。

数行の短い詩である。

そして、その上に季節の名がある。

つまり、絵と題と詩が一枚に収まる。

前の回で、詩を書き込む絵の話をした。

こちらは、詩を糸で縫っている。

材料が変われば、手間も変わる。

一文字ずつ、針を通す。

十二歳の仕事が、もう一点

いま見た一点の作者は、1807年の生まれである。

作られたのは1819年。

つまり、十二歳のときである。

前に見た手本布の作り手と、同じ齢だ。

九点の中に、十二歳の仕事が二点ある。

この年ごろに、こうした課業が行われたのだろう。

館の記録は、そこまでは書かない。

生年と制作年を並べて、読む側が気づく。