十か月で消えた絵師——東洲斎写楽
女方を、どう描くか
写楽は女方も描いている。

女の姿である。
髪には櫛と簪が何本も挿さっている。
衣は淡い赤紫で、裾に黒が入る。
顔は面長で、目は細い。
ここで注意したいのは、顎から首にかけての線である。
丸くない。
角が残り、首が太い。
つまり、女方を演じる男の骨格が消されていない。
美人画であれば、この線はもっと細くなる。
写楽は、細くしなかった。
役者絵として描く以上、その人が誰かが分かることを優先している。
役の女ではなく、女を演じている人を描く。
そういう選び方に見える。
もう一人の女方
同じ芝居から、別の役者も残っている。

こちらは笠をかぶり、顔をやや右に向けている。
先の一枚より、顔立ちがやわらかい。
唇は小さく、目尻が下がっている。
同じ絵師が、女方ごとに描き分けている。
米三郎は角のある顔、富三郎は丸い顔である。
美術館の記録では、二点とも同じ演目に関わる役として登録されている。
同じ舞台の別の役者を、続けて描いたことになる。
見比べると、写楽が何を似顔の手がかりにしたか分かる。
顎の形と、目と目の間の幅である。
この二つを変えるだけで、別人になる。
笠の扱いにも触れておきたい。
笠は顔の上半分を隠しかねない道具である。
写楽は、笠を後ろへ傾けて額を出している。
道具に顔を譲っていない。
似せることと、美しく描くこと
役者絵には、二つの要求がある。
似ていること。
そして、買いたくなる絵であること。
この二つは、しばしば衝突する。
似せれば、皺も歪みも出る。
美しくすれば、誰の顔か分からなくなる。
多くの絵師は、間を取った。
写楽は、似せるほうへ寄せている。
そのぶん、当時の評価は割れたと伝えられる。
後年の随筆に、真を写しすぎて長く続かなかった、という趣旨の記述がある。
ただし、これは同時代の記録ではない。
売れなかったから消えたのか、別の事情があったのか。
そこは分かっていない、と書いておくべきだろう。
口上を読む人
役者以外の人物も、写楽は描いている。

年配の男が座り、大きな紙を両手で広げている。
頭は剃り上げられ、額に皺が寄る。
視線は紙の上にある。
これは口上、つまり芝居の前後に読み上げられる挨拶の場面である。
役者ではなく、劇場の進行を担う人物が主役になっている。
紙が画面の三分の一を占めている。
白いままの紙が、これだけ大きく置かれている。
文字は入っていない。
読まれている内容は、絵からは分からない。
分からないまま、読む姿だけが残る。
役者絵の枠から少しはみ出した一枚である。
美術館の記録は、この一枚を寛政六年七月の作としている。
月まで分かる作品が混じっているのは、芝居の興行に結びついているからである。
版元という商売
写楽の版画を出したのは、蔦屋重三郎という版元だとされる。
蔦屋は歌麿の美人画も手がけた。
当時の版元は、絵師を選び、彫師と摺師を手配し、売り方を決める立場である。
新しい絵師を売り出すには、仕様に金をかける。
雲母摺は、その一つだったと考えられている。
背景に雲母を使えば、店先で目を引く。
大判の紙も、それ自体が贅沢である。
つまり、写楽の最初の一群は、企画として作られている。
絵師一人が思いついて描いたものではない。
このことは、写楽を考えるうえで押さえておきたい。
芝居を見た人が、買う
役者絵の買い手は、芝居を見た人だとは限らない。
見ていない人も買う。
評判の役者の顔を、手元に置きたい人がいる。
いまの言葉でいえば、舞台写真に近い役割である。
ただし写真と違い、絵は解釈を含む。
どの一瞬を選ぶかを、絵師が決めている。
写楽は、決めの瞬間をよく選ぶ。
見得の直前か、直後か。
体が止まりきる手前の、力の残った姿である。
だから、静止した絵なのに、止まって見えない。
芝居を見た人には記憶の確認になり、見ていない人には想像の手がかりになる。
誰が彫り、誰が摺ったか
版画は、絵師だけでは作れない。
絵師が版下絵を描く。
彫師がそれを板に彫る。
摺師が色ごとに版木を替えて摺る。
色数だけ版木が要る。
九点のうち、色数の多いものは五版から六版を使ったとみられる。
髪の黒、衣の色、肌の色、輪郭の線。
それぞれが別の板である。
版木がずれれば、色が輪郭からはみ出す。
現存する版画を見ると、ずれの少ないものほど手がかかっている。
写楽の雲母摺は、いずれも摺りが揃っている。
腕のよい摺師が当たったということである。
色は、どこまで残っているか
版画の色は、時間とともに変わる。
とくに紅や紫は、光に弱い。
同じ図でも、保存の状態で印象が違ってくる。
九点を見比べると、そのばらつきが分かる。
背景の灰色が濃いもの、薄いもの。
衣の赤が鮮やかなもの、褪せて茶色に寄ったもの。
いま見ている色は、刷り上がりの色ではない。
そのことは、頭の隅に置いておきたい。
美術館の画像は、現状を写したものである。
当時の見え方を復元したものではない。
一枚いくらだったのか
値段の話も、少しだけしておく。
江戸の版画の売値は、記録が断片的である。
そばの一杯と同じくらい、という言い方がよくされる。
ただし、これは判の小さい安いものを指す。
大判で雲母摺なら、それより高い。
紙も色数も違うからである。
安い刷り物と、贅沢な刷り物が同じ棚に並んでいた。
写楽の最初の一群は、後者に属する。
高い商品を新人に任せたことになる。
版元の判断としては、思い切りがよい。