作品を知る

貝は、姿を変えずに器になる——清風与平・ユキエ・アルガルディほか九点

銀の匙に、貝と蟹が付く

四点目は、食卓の小道具である。

貝形の塩入れと貝と蟹の匙
ゴーラム製作所《貝形の塩入れと貝と蟹の匙》1884年。館の記録では、手打ちのスターリング銀、部分に金鍍金。全体は2.8×12.3×6.1センチ。番号は2000.14。クリーヴランド美術館蔵。ゴーラム製作所《貝形の塩入れと貝と蟹の匙》クリーヴランド美術館蔵

小さな銀の器と、匙が一組である。

器は貝の形をしている。

縁が波打ち、外側に筋が走る。

内側は金色に光っている。

高さは2.8センチしかない。

匙の柄は細く、まっすぐ伸びる。

柄の先には、小さな蟹が付いている。

甲羅は丸く、脚が左右に広がる。

鋏が二本、前へ突き出ている。

匙の掬う部分も、貝の形になっている。

館の記録では、この一組は十九世紀後半の好みを映している。

役に立つ品に、自然の細部を取り込む流行である。

そして、おそらく日本の作例に触発されたという。

館の記録は、そう推測している。

つまりこの蟹は、匙の柄を握りやすくするための出っ張りでもある。

九点のうち、蟹の姿があるのは、この一点だけである。

そして蟹は、匙の柄の先という位置に置かれている。

塩をすくうたび、指は蟹の甲羅に触れることになる。

大きさは、爪の先ほどしかない。

脚の一本ずつまで彫り分けるには、細かい鏨が要る。

手で打ち出した銀という記録の一行は、その手間を示している。

内側だけ金を鍍金するのも、塩で銀が曇るのを防ぐためだろう。

ただし、それは記録に書かれていない。

書かれているのは、自然の細部を役に立つ品に取り込む流行のことである。

貝は、集められて卓に並ぶ

五点目は、静物である。

銀と金の皿、貝殻、剣のある静物
メイフラン・コント《銀と金の皿、貝殻、剣のある静物》17世紀第四四半期。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は101.6×128.9センチ。番号は2012.542。メトロポリタン美術館蔵。メイフラン・コント《銀と金の皿、貝殻、剣のある静物》メトロポリタン美術館蔵

横長の大きな画面である。

暗い背景の前に、卓が置かれている。

卓には赤い布が掛かる。

その上に、金と銀の器が並ぶ。

大きな水差しが立ち、胴に浮き彫りがある。

その隣には、金色の皿が斜めに立てかけられている。

皿の縁にも細かい細工がある。

手前には、剣が一振り横たわる。

柄に飾りが付き、鞘が光る。

そして器のあいだに、貝殻がいくつも置かれている。

大きな巻き貝、平たい二枚貝、渦を巻いた小さな殻。

殻の表面には、斑の模様が描き分けられている。

館の札は「剣」「貝殻」「静物」「水差し」の四つである。

つまり館は、貝殻を器や剣と同じ列に並べて登録している。

この画面で、貝は食べものではない。

金銀の器と一緒に並べられる、集められた品である。

前の回で見た魚の静物では、魚は食べものだった。

同じ海から来た二つのものが、まったく違う扱いを受けている。

そして貝殻は、この画面でいちばん明るい部分でもある。

金の皿も光るが、光り方が違う。

金属は面で光り、貝は縁で光る。

薄い殻の縁に光が回ると、そこだけ透けて見える。

画家はその違いを描き分けている。

暗い背景を置くのは、その差を見せるためである。

画面は101.6×128.9センチある。

大きな面の中で、いちばん小さい貝が、いちばん繊細な光を担っている。

貝は、水を注ぐ道具になる

六点目は、ブロンズの群像である。

キリストの洗礼
アレッサンドロ・アルガルディ《キリストの洗礼》1645年から46年に構想、1650年から55年ごろの制作か。館の記録では、ブロンズ。全体は62.5×46.8×33.4センチ。番号は1965.471。クリーヴランド美術館蔵。アレッサンドロ・アルガルディ《キリストの洗礼》クリーヴランド美術館蔵

黒く光る群像である。

高さは62.5センチある。

中央に、男が立っている。

腰に布を巻き、頭を下げている。

両手を胸の前で合わせている。

その右に、もうひとりの男が立つ。

毛皮のような衣をまとい、右腕を高く上げている。

上げた手に、小さな器を持っている。

器は貝の形をしている。

縁が波打ち、先が細くすぼまる。

そこから水が落ちて、下の男の頭にかかる。

左手前には、翼のある小さな人物がかがむ。

布の端を持ち上げている。

館の記録では、この場面は洗礼を描いている。

右に立つのは洗礼者で、貝から水を注いでいるという。

そして館は、この作の事情も書いている。

これはもとの銀の彫刻に使った型からの鋳造である。

その銀の彫刻は、支援を得るために新しい教皇へ贈られた。

さらに館は、作者がさまざまな角度から見て面白くなるよう入念に作ったと書く。

見る位置によって、力の入りどころが移るという。

つまりこの貝は、回して見られることを前提に彫られている。

そして貝は、この群像でただ一つの道具である。

杯でも壺でもなく、貝が選ばれている。

川の水をすくうのに、手近にあるものという含みかもしれない。

館の記録は、そこまで書いていない。

書かれているのは、右の人物が貝から水を注ぐということだけである。

貝は手のひらの延長として、掌に近い大きさで彫られている。

高さ62.5センチの群像の中で、その器は指ほどの大きさしかない。

浜で、貝が焼かれる

七点目は、水彩である。