高さは、上下に積んで示す——掛軸・版画・欧州絵画ほか九点の縦構図

横長の画面が、掛軸に仕立てられている。
第十九回までに何度も見た形式である。
墨だけで描かれている。
画面の上のほうに、山が三つほど重なる。
輪郭は薄く、下半分が霞に沈む。
中ほどに、白い帯が横に走る。
霧である。
その下に、樹木の茂る岸。
右下には、密な木立と、小さな建物。
そして、水の上に、小さな舟が三艘。
いずれも数ミリで、線だけである。
左半分は、ほとんど白い。
水である。
高さを、霞で示す
この一点では、視点の高さが曖昧である。
水平線がない。
代わりに、霞の帯がある。
霞より上が遠く、下が近い。
つまり、距離が高さに置き換えられている。
東アジアの水墨画では、この方法がよく使われる。
三段に積み上げる構図である。
下に近景、中に霞、上に遠景。
そして、その積み上げは、実際の視点の高さとは対応しない。
高いところから見た形にも、低いところから見た形にも読める。
第二十回で読んだ巻子や掛軸も、同じ性質を持っていた。
見る位置を一つに決めない。
そこが、西洋の遠近法との大きな違いである。

第一回と第二回でも、同じ写生帖の頁を読んだ。
線が淡い。
紙の上のほうに、山の稜線が横に走る。
小さな上下が続く。
その下に、細い水平の線。
対岸だろう。
そして、紙の中央より下に、舟が描かれている。
細長い船体と、斜めに立つ棒が数本。
帆柱か、櫂だろう。
三艘ほどが重なっている。
これらの線は、上の稜線より濃い。
紙の下端近くは、白いままである。
濃さの差が、距離を作る
第一回で書いたとおり、鉛筆の圧を変えるだけで距離が作られる。
この頁でも、手前の舟が濃く、遠い山が薄い。
そして、舟が下、山が上に置かれている。
つまり、下が近く、上が遠い。
これは、地面に立って見た配置である。
見下ろしているなら、手前の水面がもっと広く見えるはずである。
この頁では、水面がほとんど描かれていない。
舟が画面の下端に近い。
だから、見ている人は岸辺に立っている。
そして、舟はすぐ目の前にある。
白い部分の位置
九点のうち、写生帖の三枚には共通の特徴がある。
紙の下半分が、白いままである。
これは偶然ではない。
高いところや、水辺で描くとき、手前には何もないことが多い。
足もとの地面は、すぐ視界の外へ落ちる。
だから、描く必要がない。
一方、完成した油彩では、手前に必ず何かが置かれる。
石、草、人物、水槽。
そうしないと、画面の下端が不安定になるからである。
ベイルートの眺めでは、手前に土の斜面と石。
拱門の絵では、床と水槽。
階段の絵では、いちばん下の段。
いずれも、手前を埋めている。
写生と完成作の違いは、この手前の扱いにいちばん出る。
写生では、見えたものだけを描く。
完成作では、画面として成り立つように補う。
第十七回で、写生帖の頁と本画のための頁を扱った。
そこでも、同じ差があった。
見上げる角度

横長の画面である。
中央に、石の階段が横に広がる。
段が三段か四段、はっきり見える。
その最上段に、女性が座る。
青い衣に赤い上着。
膝に幼児を抱く。
その左に、黄色い衣の女性。
さらに二人の子どもが、段の上にいる。
右手には、年配の男性が身をかがめる。
階段の左右に、太い石の柱と壁。
上に大きな壺が置かれる。
右奥に、明るい空と、遠い建物。
段の数が、高さを教える
この一点では、高さが段の数で示されている。
段が三つ見えれば、その分だけ高い。
坂なら、傾きの角度で示すしかない。
段なら、数えられる。
そして、階段があると、見る人の位置も決まる。
いちばん下の段が画面の手前にある。
つまり、見る人は階段の下に立っている。
そして、人物を見上げている。
見上げると、人物が高く見える。
権威のある人物を描くとき、この配置がよく使われる。
台の上に置き、下から見る。
第十七回で読んだ天井画の下絵も、見上げる角度で描かれていた。
置く場所と、見る角度は連動している。

縦長の画面である。
中央に、大きな半円の孔がある。
石造りの拱門である。
その孔の向こうに、明るい風景が見える。
遠い山並みと、淡い空。
孔のこちら側は、暗い室内である。
石の床と、太い柱。
そこに、人が数人いる。
中央に、女性が座り、幼児の手を取る。
幼児は立ち上がろうとしている。
その右に、腕を広げてかがむ人物。
左手前に、水を汲むための石の槽。
その脇にも、人がいる。
右奥の壁際に、荷を担いだ人影。
暗い室内から、明るい外を見る
この構図は、第三回で読んだ橋の孔と同じ働きをしている。
暗い部分に囲まれた明るい孔。
目は、その孔へ吸い寄せられる。
そして、孔の高さが、見る位置を教えている。
孔の向こうの地平線は、画面の中ほどにある。
つまり、見ている人はほぼ同じ高さにいる。
室内も屋外も、同じ地面の上である。
見上げても、見下ろしてもいない。
一方、室内の床は手前で広く見える。
これは、少しだけ高い位置から見ているからである。
立った人の目の高さ、ということになる。