銀は、量られる金属である——タイラー・デュボワ・アル=マウスィリーほか九点
磁器に、銀の金具が付けられる
四点目では、銀は後から足される。

白い磁器の水注である。
胴は丸くふくらみ、首が細く立ち上がる。
胴の面には、青い絵が描かれている。
中央に盾の形の紋章があり、そのまわりを葉が囲む。
首の下のほうにも、青い帯が回る。
台の縁にも、青い線が入る。
そして首の上部に、銀の帯が巻かれている。
帯には蓋が蝶番で留められている。
蓋は平たく、二つの小さなつまみが立つ。
銀は白く光り、青と白の磁器の上で浮いて見える。
館の記録では、胴の紋章はある一族のものである。
その一族は、東インド会社に関わっていたという。
そして館は、銀の刻印を細かく写している。
町の印、王冠をかぶった獅子、年を示す文字、そして作り手の印。
獅子の印は、銀の純度を示すものだと記録は書く。
年の文字は1666年を指す。
つまりこの水注は、日本で焼かれ、遠い港で銀の金具を付けられた。
磁器の年と、銀の年が別々に記録されている。
九点のうち、二つの土地の手が入っているのは、この一点である。
そして銀の帯は、首の欠けを隠す役も果たしている。
磁器は縁が欠けやすい。
金具を巻けば、欠けは見えなくなり、蓋も付けられる。
つまり銀は、直しであり、飾りであり、蓋の受けでもある。
館の記録は、そこまでは書いていない。
書かれているのは、紋章の一族と、四つの刻印である。
刻印は、銀そのものより多くのことを語っている。
どの町で、どの年に、誰が作ったか。
磁器の側には、そうした印がない。
真鍮の溝に、銀が埋め込まれる
五点目は、大きな水注である。

金属の水注である。
高さは37.9センチある。
胴は洋梨の形にふくらむ。
首は細く長く、上に蓋が載る。
左からは注ぎ口が斜めに伸びる。
右には把手が付き、上下で胴に留まる。
地の色は黄褐色である。
真鍮の色である。
その面に、白く光る細い線が走っている。
線は輪郭を作り、内側に模様を詰める。
胴の中ほどには、太い帯が回る。
帯の中に、丸みのある枠が並ぶ。
枠の中には、小さな人物がいる。
館の記録では、この水注は贅沢な客のために作られた。
胴を回る広い帯には、日々の暮らしと宮廷の場面が枠の中に収められている。
鷹狩り、狩り、踊り、そして音楽を奏でる幾つかの一群があるという。
それらは、巧みに描かれた唐草の地の上に置かれている。
館の記録は、そう説明している。
そして肩を回る銘文は、持ち主に幸運と繁栄と平安をもたらすと述べる。
さらに、1223年の年記と、作り手の署名がある。
館の記録は、そこまで書いている。
そして乾いた一行が添えられている。
後の持ち主たちが、首の部分に自分の名を乱暴に引っ掻いて記している。
つまりこの水注には、二種類の文字がある。
銀で埋め込まれた銘文と、後から傷として刻まれた名である。
一方は溝を彫って埋め、他方は表面を引っ掻いている。
前者は工房の仕事で、後者は所有の印である。
どちらも文字だが、手つきがまるで違う。
そして館は、蓋と台が後から加えられたとも書いている。
つまりこの水注は、十三世紀のままの姿ではない。
胴と首は古く、上と下は新しい。
銀の象嵌が残っているのは、その古い部分である。
八百年のあいだ、細い銀の線は溝の中で守られてきた。
鋼の溝にも、銀が打ち込まれる
六点目は、刀である。

細く反った刀である。
全体で73センチある。
刀身は灰色で、先へ向かって細くなる。
峰の側に、浅い溝が走る。
柄は短く、上部が丸い。
鍔は細い棒が左右へ伸び、先が渦を巻く。
柄と鍔の表面は、暗い地の上に金色と銀色の線が走る。
線は細かく交差し、網のような文様をつくる。
館の記録では、この技法は象嵌と呼ばれる。
金と銀の針金を、受けるために切った溝へ打ち込む方法である。
それがこの柄を生き生きとさせているという。
そして館は、実用の面も書いている。
さらに針金で肌理を加えることで、握りがよくなった。
それによって、より確かに狩りができたという。
館の記録は、そう説明している。
つまりここでの銀は、装飾であると同時に滑り止めである。
そして館は、狩りという遊びの背景にも触れている。
裕福な人々のあいだで人気があり、多くの貴族が森を所有していた。
しかし農民は、その土地で狩ることを禁じられていたという。
館の記録は、刀身の印にも触れている。
柄の下に、王冠をかぶった牡鹿の印が見える。
しかし、それが誰の印かは分かっていないという。
そして刀身には、1553という数字が刻まれている。
館の記録は、それを記念の年と推定している。
つまり刀身は柄より百年ほど古い可能性がある。
古い刀身に、新しい柄を付ける。
銀の象嵌は、その新しい側にある。
写真には、銀が使われていない
七点目では、銀は不在である。