美術史・技法

銀は、量られる金属である——タイラー・デュボワ・アル=マウスィリーほか九点

金の記録が書くのは厚みと場所だった。銀では、それが重さと純度になる。九点のうち三点で記録は量か純度に触れ、一点は「銀を使っていない」ことを長所として挙げる。残る二点で、銀は雪の名と色の名だった。同じ白い金属でも、書かれ方がまるで違う。

女神アテナを表したテトラドラクマ銀貨
古代ギリシア《女神アテナを表したテトラドラクマ銀貨》シカゴ美術館蔵

径三センチの円盤に、二つの面がある

小さな円盤が二つ、並べて写されている。

同じ一枚の表と裏である。

径は3センチしかない。

指でつまめる大きさである。

表には、横顔がある。

女性の頭部で、右を向いている。

頭には兜をかぶる。

兜の側面には、翼のような飾りが付く。

髪は兜の下から後ろへ流れる。

縁のあたりは、打ち出しが浅くなっている。

裏には、鳥がいる。

翼をたたみ、正面を向いている。

目が大きく、丸い。

梟である。

鳥の足もとには、小さな壺のようなものがある。

そのまわりに、文字が円く並ぶ。

そして全体を、細い縁取りが囲んでいる。

女神アテナを表したテトラドラクマ銀貨
古代ギリシア《女神アテナを表したテトラドラクマ銀貨》紀元前163年ごろ。館の記録では、銀。径3センチ。番号は1923.1131。シカゴ美術館蔵。古代ギリシア《女神アテナを表したテトラドラクマ銀貨》シカゴ美術館蔵

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

材料の欄には、銀の一語だけがある。

そして題には、四ドラクマという単位が入っている。

つまりこの円盤は、貨幣である。

貨幣は、金属の重さで値が決まる。

四ドラクマという名は、彫られた絵ではなく、量ってできる重さを指している。

九点のうち、銀が重さそのものとして扱われているのは、この一点である。

そして打たれた図は、両面で性格が違う。

表の頭部は高く盛り上がり、頬と兜が丸みを持つ。

裏の梟は平たく、輪郭が線に近い。

同じ厚みの円盤に、二通りの彫りが打たれている。

文字も裏側だけにある。

つまり読むための面と、見るための面が分かれている。

縁のあたりの打ち出しが浅いのは、型の当たりが弱いからだろう。

貨幣は大量に打たれるので、一枚ずつ出来が違う。

ただし、それは記録に書かれていない。

記録が書いているのは、銀という材料と、径3センチという寸法だけである。

銀は、白いか

この一点を出発点に、銀の使われた九点を数えていく。

前の回で金が厚みで語られることを見た。

銀は金と似ているが、違うところが三つある。

まず安い。

次に曇る。

そして写真では、像そのものになる。

先に言ってしまうと、九点のうち、銀が実際に使われているのは六点である。

一点では、銀は使われていないことが記録に書かれている。

そして二点では、銀は雪の異名と、色の名になっている。

数えていくと、白い金属が白くない場面が見えてくる。

銀は空気に触れると硫黄と結び付き、表面が黒ずむ。

だから銀の白さは、磨き続けた結果でもある。

台所の道具が、銀でできている

二点目は、食卓の小道具である。

蓋つきの振り出し容器
アンドルー・タイラー《蓋つきの振り出し容器》1720年ごろ。館の記録では、銀。把手を含めて8.5×6.7センチ。番号は1940.273。クリーヴランド美術館蔵。アンドルー・タイラー《蓋つきの振り出し容器》クリーヴランド美術館蔵

背の低い筒形の容器である。

高さは8.5センチしかない。

胴はまっすぐで、下へ向かってわずかに広がる。

胴の面には、縦の折れ目が幾本も入る。

多角形に近い断面をしている。

上には、丸い蓋が載る。

蓋の面には、小さな穴が幾つも開いている。

穴は規則正しく並び、中央に向かって密になる。

蓋の頂には、小さなつまみが付く。

胴の右には、細い把手がある。

把手は上下二か所で胴に留まり、途中で外へ張り出す。

表面は磨かれ、光が縦の折れ目に沿って走る。

館の記録では、この容器は細かく挽いたものを振りかけるために使われた。

おそらく胡椒だろうという。

そして館は、彫られた文字についても書いている。

底には、三つの頭文字が影付きの角ばった書体で刻まれている。

把手の反対側の胴にも、二文字が刻まれている。

つまりこの銀の道具には、持ち主の頭文字が入っている。

銀の器に献辞や名を刻むことについては、贈られた銀と献辞で扱った。

胴の多角形も、実用と関わっている。

丸い筒より、面のある筒のほうが持ちやすい。

そして面があると、磨いたときに光の筋が縦に立つ。

銀は放っておくと黒く曇る。

だから使う人は、くり返し磨くことになる。

磨けば磨くほど、面と面の境は丸くなる。

つまり銀の器の形は、使われるうちに少しずつ変わっていく。

館の記録は、この容器の状態については書いていない。

記録に、重さが書かれている

三点目は、茶の道具である。

ティーポット
アブラハム・デュボワ《ティーポット》1780年から1800年。館の記録では、銀。全体は16.5×25.6センチ、重さ585.7グラム。番号は35.73。メトロポリタン美術館蔵。アブラハム・デュボワ《ティーポット》メトロポリタン美術館蔵

銀の急須である。

胴は円筒形で、上下がまっすぐである。

肩のところで、わずかに内側へ絞られる。

上には平たい蓋が載り、頂に小さな飾りが立つ。

飾りは炎のような形をしている。

胴の左からは、細く長い注ぎ口が斜めに伸びる。

先は上を向き、口が小さく開く。

右には、木の把手が付く。

把手は褐色で、大きく湾曲する。

胴と把手のあいだには、銀の受けがある。

胴の面には、文字を囲む枠が彫られている。

表面は磨かれ、鏡のように周囲を映している。

館の記録では、寸法の欄が細かく分かれている。

全体の寸法、そして重さ。

さらに台の径、胴の高さと重さ、蓋の寸法まで並ぶ。

つまり部分ごとに測られている。

銀の器では、重さが値段に直結する。

だから記録は、重さを寸法と同じ列に置く。

記録の重さの欄については、銀と重さの欄で扱った。

九点のうち、記録に重さが書かれているのは、この一点である。

そして把手だけが銀ではない。

木でできている。

熱い湯を入れる器では、把手が熱くなる。

だから、そこだけ熱を伝えにくい材料に替える。

館の記録の材料欄には、銀の一語しかない。

しかし写真を見れば、把手が褐色であることは分かる。

記録の材料欄が、目に見えるすべてを書くわけではない。

主要な材料だけが、先に立って記される。

磁器に、銀の金具が付けられる

四点目では、銀は後から足される。

銀の金具を付けた水注
バーレント・ファン・レーウェン《銀の金具を付けた水注》1662年から76年ごろ。館の記録では、染付の磁器に銀の金具。全体は24.2×12.8×11.5センチ。番号は1970.46.2。クリーヴランド美術館蔵。バーレント・ファン・レーウェン《銀の金具を付けた水注》クリーヴランド美術館蔵

白い磁器の水注である。

胴は丸くふくらみ、首が細く立ち上がる。

胴の面には、青い絵が描かれている。

中央に盾の形の紋章があり、そのまわりを葉が囲む。

首の下のほうにも、青い帯が回る。

台の縁にも、青い線が入る。

そして首の上部に、銀の帯が巻かれている。

帯には蓋が蝶番で留められている。

蓋は平たく、二つの小さなつまみが立つ。

銀は白く光り、青と白の磁器の上で浮いて見える。

館の記録では、胴の紋章はある一族のものである。

その一族は、東インド会社に関わっていたという。

そして館は、銀の刻印を細かく写している。

町の印、王冠をかぶった獅子、年を示す文字、そして作り手の印。

獅子の印は、銀の純度を示すものだと記録は書く。

年の文字は1666年を指す。

つまりこの水注は、日本で焼かれ、遠い港で銀の金具を付けられた。

磁器の年と、銀の年が別々に記録されている。

九点のうち、二つの土地の手が入っているのは、この一点である。

そして銀の帯は、首の欠けを隠す役も果たしている。

磁器は縁が欠けやすい。

金具を巻けば、欠けは見えなくなり、蓋も付けられる。

つまり銀は、直しであり、飾りであり、蓋の受けでもある。

館の記録は、そこまでは書いていない。

書かれているのは、紋章の一族と、四つの刻印である。

刻印は、銀そのものより多くのことを語っている。

どの町で、どの年に、誰が作ったか。

磁器の側には、そうした印がない。

真鍮の溝に、銀が埋め込まれる

五点目は、大きな水注である。

持ち主に幸運をもたらす豪華な水注
アフマド・アッ=ザキー・アル=マウスィリー《持ち主に幸運をもたらす豪華な水注》1223年。館の記録では、真鍮に銀の象嵌、蓋と台は後補。高さ37.9センチ、径26.6センチ。番号は1956.11。クリーヴランド美術館蔵。アフマド・アッ=ザキー・アル=マウスィリー《持ち主に幸運をもたらす豪華な水注》クリーヴランド美術館蔵

金属の水注である。

高さは37.9センチある。

胴は洋梨の形にふくらむ。

首は細く長く、上に蓋が載る。

左からは注ぎ口が斜めに伸びる。

右には把手が付き、上下で胴に留まる。

地の色は黄褐色である。

真鍮の色である。

その面に、白く光る細い線が走っている。

線は輪郭を作り、内側に模様を詰める。

胴の中ほどには、太い帯が回る。

帯の中に、丸みのある枠が並ぶ。

枠の中には、小さな人物がいる。

館の記録では、この水注は贅沢な客のために作られた。

胴を回る広い帯には、日々の暮らしと宮廷の場面が枠の中に収められている。

鷹狩り、狩り、踊り、そして音楽を奏でる幾つかの一群があるという。

それらは、巧みに描かれた唐草の地の上に置かれている。

館の記録は、そう説明している。

そして肩を回る銘文は、持ち主に幸運と繁栄と平安をもたらすと述べる。

さらに、1223年の年記と、作り手の署名がある。

館の記録は、そこまで書いている。

そして乾いた一行が添えられている。

後の持ち主たちが、首の部分に自分の名を乱暴に引っ掻いて記している。

つまりこの水注には、二種類の文字がある。

銀で埋め込まれた銘文と、後から傷として刻まれた名である。

一方は溝を彫って埋め、他方は表面を引っ掻いている。

前者は工房の仕事で、後者は所有の印である。

どちらも文字だが、手つきがまるで違う。

そして館は、蓋と台が後から加えられたとも書いている。

つまりこの水注は、十三世紀のままの姿ではない。

胴と首は古く、上と下は新しい。

銀の象嵌が残っているのは、その古い部分である。

八百年のあいだ、細い銀の線は溝の中で守られてきた。

鋼の溝にも、銀が打ち込まれる

六点目は、刀である。

狩猟刀
ヤスパー・ボンゲン(子)《狩猟刀》1600年代後半。館の記録では、鋼、柄は金と銀の象嵌。全体は73センチ、刀身は57.7センチ。番号は1916.1629。クリーヴランド美術館蔵。ヤスパー・ボンゲン(子)《狩猟刀》クリーヴランド美術館蔵

細く反った刀である。

全体で73センチある。

刀身は灰色で、先へ向かって細くなる。

峰の側に、浅い溝が走る。

柄は短く、上部が丸い。

鍔は細い棒が左右へ伸び、先が渦を巻く。

柄と鍔の表面は、暗い地の上に金色と銀色の線が走る。

線は細かく交差し、網のような文様をつくる。

館の記録では、この技法は象嵌と呼ばれる。

金と銀の針金を、受けるために切った溝へ打ち込む方法である。

それがこの柄を生き生きとさせているという。

そして館は、実用の面も書いている。

さらに針金で肌理を加えることで、握りがよくなった。

それによって、より確かに狩りができたという。

館の記録は、そう説明している。

つまりここでの銀は、装飾であると同時に滑り止めである。

そして館は、狩りという遊びの背景にも触れている。

裕福な人々のあいだで人気があり、多くの貴族が森を所有していた。

しかし農民は、その土地で狩ることを禁じられていたという。

館の記録は、刀身の印にも触れている。

柄の下に、王冠をかぶった牡鹿の印が見える。

しかし、それが誰の印かは分かっていないという。

そして刀身には、1553という数字が刻まれている。

館の記録は、それを記念の年と推定している。

つまり刀身は柄より百年ほど古い可能性がある。

古い刀身に、新しい柄を付ける。

銀の象嵌は、その新しい側にある。

写真には、銀が使われていない

七点目では、銀は不在である。

アクロポリスの眺め
アドルフ・ブラウン商会《アクロポリスの眺め》1880年代ごろ。館の記録では、大判のカーボン・プリント。画面は38.1×47.5センチ。番号は2021.59。クリーヴランド美術館蔵。アドルフ・ブラウン商会《アクロポリスの眺め》クリーヴランド美術館蔵

横長の大きな写真である。

38.1×47.5センチある。

画面の中央から左に、丘がある。

丘の上には、柱の並ぶ建物が立つ。

柱は白く、屋根は失われている。

丘の斜面には、崩れた石垣が続く。

手前は平地で、家々の屋根が密に並ぶ。

左手前には、別の神殿の柱が数本立つ。

右端には、糸杉が一本、縦に伸びる。

空は白く、雲が写っていない。

画面の階調は、灰色から黒までなめらかに続く。

館の記録では、この会社は花や美術品や風景や記念物の写真を売った。

欧州じゅうと北米で商っていたという。

そしてこの丘は最も名高い遺跡なので、よく売れたに違いない。

その会社は、この場所の眺めを何通りも用意していた。

館の記録は、そう書いている。

さらに、技法について重要な一行が続く。

カーボン・プリントの像は、顔料を含む膠でできている。

それは、銀を用いる印画の銀や金属の塩に比べて、はるかに褪色に強い。

館の記録は、そう説明している。

つまりこの写真には、銀が使われていない。

そして記録は、銀を使わないことを長所として挙げている。

九点のうち、銀が「ないこと」として現れるのは、この一点である。

写真の技法の欄については、写真の技法で扱った。

銀は、雪の名になる

八点目で、銀は言葉になる。

絵本銀世界
喜多川歌麿《絵本銀世界》1754年から1806年。館の記録では、木版多色摺・紙。画面は25.1×37.8センチ。番号はJP2853。メトロポリタン美術館蔵。喜多川歌麿《絵本銀世界》メトロポリタン美術館蔵

横長の一枚である。

紙の色は淡い黄褐色である。

画面の中ほどに、細い横線が幾本も走る。

水の面である。

その手前に、舟が一艘浮かぶ。

舟は細長く、二人が乗っている。

どちらも笠をかぶり、体を丸めている。

舟の左右には、細い棒が水面から立つ。

漁の仕掛けらしい。

奥の岸には、低い草の茂みが横に続く。

茂みの上には、木が数本立つ。

枝には葉がない。

さらに奥には、なだらかな岸が霞んでいる。

空には、小さな鳥が数羽飛んでいる。

色はほとんど使われていない。

館の札は「川」「風景」「舟」の三つである。

つまり館は、この画面を風景として登録している。

そして題には、銀の字が入っている。

館の記録には、それが本の題であることだけが書かれている。

日本語では、雪の積もった一面の景色を、銀の世界と呼ぶ。

しかしこの画面に、金属の銀はない。

紙の白と、薄い墨があるだけである。

雪そのものも、描かれてはいない。

岸の茂みは白く残され、木には葉がない。

つまり白いのは、刷らなかった部分である。

金属の銀は光を返すが、この紙の白は光を返さない。

同じ語で呼ばれる二つのものが、性質の上では正反対である。

にもかかわらず、その呼び名は長く使われてきた。

一面が白いという一点だけが、両者をつないでいる。

銀は、色の名になる

最後の一点でも、銀は語である。

灰色と銀の夜想曲
ウォルター・グリーヴス《灰色と銀の夜想曲》1880年から1900年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。番号は1964.361。クリーヴランド美術館蔵。ウォルター・グリーヴス《灰色と銀の夜想曲》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

上から下まで、色の帯が横に重なっている。

上のほうは、緑がかった灰色である。

中ほどで、わずかに明るくなる。

その明るい帯が、水平線らしい。

下のほうは、また暗い灰色に沈む。

形らしい形は、ほとんど描かれていない。

左のあたりに、暗い塊がわずかにある。

岸か、舟か、判別できない。

絵の具は薄く、横方向に伸ばされている。

刷毛の跡が、水平の縞として残る。

館の記録は、題と材料しか書いていない。

寸法の欄は空である。

題には、二つの色の名が並ぶ。

灰色と、銀である。

つまり作者は、この画面の色を金属の名で呼んでいる。

しかし絵の具に銀は入っていない。

館の記録の技法欄は、油彩とカンヴァスの二語だけである。

色の名を題にする作り方については、夜想曲という題で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

銀が物質としてある点は、六点である。

貨幣、振り出し容器、急須、水注の金具、真鍮への象嵌、そして刀の柄。

そのうち、まるごと銀でできているのは三点である。

残る三点では、銀はほかの金属や陶器に付け足されている。

一点では、銀は使われていないことが長所として記録されている。

そして二点では、銀は雪の名と、色の名になっている。

もう一つ数えておく。

九点のうち、銀の白さが実際に見えるのは四点である。

貨幣、振り出し容器、急須、そして水注の金具。

象嵌の二点では、銀は細い線としてしか見えない。

そして三点では、銀はまったく見えない。

金は薄く延ばしても金色に見える。

銀は細くすると、光の筋にしか見えなくなる。

そして曇れば、黒い筋になる。

白い金属が、黒くなって残ることもある。

言えることと、言えないこと

言えるのは、銀が「量られる金属」だということである。

貨幣は重さで値が決まり、急須は重さが記録に書かれている。

水注の金具には、純度を示す印が打たれていた。

九点のうち三点で、記録は銀の量か純度に触れている。

金の回では、記録が触れていたのは厚みと場所だった。

銀では、それが重さと純度になる。

言えないのは、銀が金より劣るという話である。

象嵌では、金と銀が同じ溝に並んで打ち込まれていた。

真鍮の水注では、銀だけが用いられている。

地の色が黄褐色だから、白い線がよく映える。

どちらを使うかは、値段よりも地の色で決まっている。

最後に、はじめの貨幣へ戻る。

径3センチの円盤には、女神と梟が打たれていた。

しかし、この円盤の値を決めているのは絵ではない。

銀の重さである。

絵は、その重さを保証するために打たれている。

九点を数え終えて残るのは、その保証の役目のほうである。

RELATEDあわせて読みたい

美術史・技法の記事一覧