作品を知る

座るには、何かが要る——上垣鳳龍・デューラー・スーラほか九点

柳の木のそばに座る聖ヒエロニムス
アルブレヒト・デューラー《柳の木のそばに座る聖ヒエロニムス》1512年。館の記録では、ドライポイント。画面20.7×18.1センチ。番号は1925.72。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《柳の木のそばに座る聖ヒエロニムス》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、画面と紙の寸法が同じである。

どちらも20.7×18.1センチ。

つまり、版の縁で紙が切られている。

余白がない。

前の回で、余白を残した版画を見た。

こちらは、切り詰められている。

持ち主の扱い方が、そのまま残っている。

岩に囲まれた場所である。

左右に、削られた岩の壁が立つ。

上には、枝を切り詰めた木がある。

その根元に、老人が座っている。

長い髭が胸まで届く。

前に、板を渡した台がある。

その上に、本のようなものが置かれる。

手は台の上にある。

顔は、少し上へ向けられる。

足元に、獣が一頭いる。

たてがみのある獣である。

線は細く、やわらかい。

輪郭がにじむように見える。

館の記録によれば、この作者が作ったドライポイントは三点しかないという。

針で銅板を直接ひっかく技法である。

彫り出された金属の縁が、そのまま板に残る。

そこにも絵具が溜まるので、線がにじむ。

その代わり、縁はすぐ潰れる。

だから、刷れる枚数が少ない。

館は、その技法の性質を、この主題に合わせて使ったと書く。

これは館の見解である。

こちらで確かめられるのは、線がやわらかい、ということだ。

座っている場所は、岩か地面である。

台は、体を支えるものではない。

手と本を支えている。

座る場所が、生き物である場合

白龍に乗る弁財天
葵岡渓成《白龍に乗る弁財天》1832年。館の記録では、木版の摺物。紙に墨と色。21.6×18.4センチ。番号はJP2048。メトロポリタン美術館蔵。葵岡渓成《白龍に乗る弁財天》メトロポリタン美術館蔵

摺物は、配るために刷られた版画である。

売り物ではないので、部数が少ない。

そのぶん、彫りと摺りに手をかけられる。

この一点でも、鱗の一枚ずつに線が入っている。

白い部分は、紙のままである。

雲母や金属粉を使うこともある。

館の記録は、材料を「紙に墨と色」とだけ書いている。

画面いっぱいに、白い龍が渦を巻く。

胴が何重にもうねる。

鱗が一枚ずつ描かれている。

爪が、あちこちで開く。

その渦の中央に、女性が座っている。

赤と黄の衣を重ねる。

膝の上に、大きな弦楽器を載せる。

右手に撥を持つ。

顔は横を向き、髪が高く結われている。

左上に、細長い札のような形があり、文字が書かれる。

右下にも、文字と印がある。

座る場所は、龍の胴である。

平らな面ではない。

そこに座るのは、現実には難しい。

だが、絵の中では成立する。

神や仏の像は、蓮の花や獣の上に座ることが多い。

座る場所そのものが、その者の性格を示す。

九点のうち、生き物の上に座るのはこの一点だけである。

座る場所が描かれない絵

九点のうち二点は、座る場所が描かれていない。

素描の一点と、コンテの一点である。

どちらも、床の線がない。

背景も塗られていない。

紙の白が、そのまま背景になっている。

それでも、座っていると読める。

前の回で、立つ姿にも同じことが起きていた。

脚の下が消えていても、立っていると分かった。

姿勢は、体の折れ方から読める。

座る場所がなくても、腰と膝が折れていればよい。

これは、絵を描く側にとって都合がよい性質である。

背景を描かずに済む。

そして、見る側にとっては、想像の余地が残る。

どこに座っているかを、決めなくてよい。

第十九回で、背景を作らない絵を数えた。

その回では、顔を目立たせるためだった。

ここでは、事情が少し違う。

習作だから、背景を描く必要がなかった。

コンテの一点は、大きな絵のための試作である。

そこで試したのは、人物の輪郭と、明暗の置き方だろう。

背景は、本番の絵で決めればよい。

だから、紙は白いままである。

その白さが、いまは絵の一部として見えている。

座る形を、立体にする

座る女
アリスティド・マイヨール《座る女》20世紀。館の記録では、テラコッタ。全体21.6×20.4センチ。番号は1958.58。クリーヴランド美術館蔵。アリスティド・マイヨール《座る女》クリーヴランド美術館蔵

焼いた土の小さな像である。

高さ21.6センチ。

女性が、低い台の上に座っている。

台は、像と一体で作られている。

右脚を立て、膝を高くする。

左脚は前へ折る。

右腕を、立てた膝の上に置く。

左手は、体の後ろで台をつかむ。

顔は横を向き、髪は頭に沿う。

体の面は、なめらかである。

細かい皺や筋は作られていない。

表面に、細かい粒が見える。

土の粗さがそのまま出ている。

彫刻で座る姿を作ると、支えの問題が変わる。

立像では、二本の脚で支えなければならない。

座像では、尻と台が支える。

接地面が広いので、倒れにくい。

前の回で、立像には台や支えが要ると書いた。

座像には、その心配が少ない。

そのぶん、姿勢を自由に作れる。

この一点も、腕と脚を大きく開いている。

座っていることが、輪郭だけで分かるか

日傘をさして座る女(グランド・ジャット島のための習作)
ジョルジュ・スーラ《日傘をさして座る女(グランド・ジャット島のための習作)》1884年から85年。館の記録では、象牙色の簀の目紙に黒のコンテ。48×31.5センチ。番号は1999.7。シカゴ美術館蔵。ジョルジュ・スーラ《日傘をさして座る女(グランド・ジャット島のための習作)》シカゴ美術館蔵

黒い塊が、紙の中央にある。

上のほうは、丸く盛り上がる。

頭と、その上の何かである。

その下に、なで肩の形が広がる。

さらに下は、裾が広がって床につく。

顔の輪郭は、ほとんど見えない。

目も口もない。

色は、黒と灰だけである。

紙の目が、粒として出ている。

コンテという道具は、粉を紙に擦りつける。

紙が粗ければ、山の部分にだけ粉が乗る。

だから、灰色の中に白い点が残る。

この一点も、そうなっている。

館の記録によれば、これは大きな絵のための習作である。

その絵は、日曜の午後の島の情景を描いたものだという。

さて、この人物は座っているだろうか。

輪郭だけを見ると、判断が難しい。

裾が広がって床につく形は、立っていても同じである。

だが、上下の比を見ると、頭の位置が低い。

肩から裾までの長さが、頭の高さの四倍ほどしかない。

立っていれば、もっと長くなる。

だから、座っていると読める。

題も、そう書いている。

姿勢は、体の各部の比で読める。