座るには、何かが要る——上垣鳳龍・デューラー・スーラほか九点
座る絵には、必ず座る場所が描かれる。地面、岩、机、縁台、龍、台座。その高さが、膝と腰の角度を決める。九点で、座る場所を数えたい。九点とも、こちらを見ている人は一人もいなかった。椅子に腰かける例は、九点のうち一点だけである。

縁台が、画面を斜めに横切っている
縦長の掛軸である。
絹に描かれている。
画面の下半分を、細長い台が斜めに横切る。
木でできた縁台である。
その上に、女が一人座っている。
体を横に向け、片方の膝を立てる。
肘を膝に載せ、手のひらで顎を支えている。
顔はやや下を向く。
衣は大きく開き、肩が出ている。
衣の地には、葉と実の模様が並ぶ。
台の下は、何も描かれていない。
絹の地がそのまま残る。
上のほうには、文字が数行書かれている。

館の記録は、寸法を一つしか書いていない。
全体で78×31.6センチである。
掛軸は、画面と表装を分けて測ることが多い。
この一点では、分けられていない。
前の回でも、同じ書き方の掛軸があった。
同じ館の同じ部門でも、記録の細かさは揃わない。
古く入ったものと、新しく入ったものでも違う。
この一点は1998年に贈られている。
館の記録は、この姿勢を詳しく書いている。
顎を手に載せた、考えるような姿勢だという。
衣が開いているのは、暑い晩だからだと記録は書く。
そして、衣の模様から季節を推測している。
葡萄の蔓が描かれているので、夏の終わりか秋の初めだろうという。
これは館の見立てである。
こちらで確かめられるのは、模様と姿勢までだ。
前の回で、立つ姿勢を九点並べた。
立つ話では、支えは足の裏だけだった。
座ると、支えが変わる。
尻と、脚と、ときには背中が支える。
そして、支えるための物が要る。
今回は、そこを数えたい。
座るには、何かが要る
人は、何もない空間には座れない。
床でも、地面でも、椅子でも、何かの上に乗る。
だから、座る絵には必ず座る場所が描かれる。
その場所が何かで、絵の性格が変わる。
九点で、何に座っているかを数えた。
地面か草の上が三点。
木の台や机の前が二点。
石か岩が一点。
彫刻の台座が一点。
龍の上が一点。
そして、読み取れないものが一点。

紙と台紙の寸法が、まったく同じに書かれている。
18.4×23.4センチである。
裏に同じ大きさの紙が貼られているらしい。
薄い紙を補強するときの処置である。
この回の九点には、台紙を持つものが三点ある。
いずれも、紙に描かれた作品だった。
横長の紙である。
赤いチョークで、女が一人描かれている。
地面に直接座っている。
両脚を前へ投げ出し、足の裏が見える。
上半身は前にかがむ。
両手を胸のあたりに上げ、衣を探っている。
顔は下を向く。
髪は頭の上でまとめられる。
画面の右上と右下に、手だけが別に描かれている。
同じ手を、角度を変えて試したらしい。
紙の縁に、ペンで枠線が引かれている。
前の回で、手だけを並べた紙を見た。
手の話で扱った素描と、同じ作り方である。
本体を描き、余白に部分を試す。
館の記録によれば、この作者は風景を得意とした人だという。
そして、羊飼いや家畜を写生から描いたと書かれている。
この一点も、その一つと考えられる。
赤チョークは、肌の色に近い。
だから、人物の習作によく使われる。

台紙と、その外側の枠の寸法も書かれている。
台紙が20.6×15.7センチ。
枠まで含めると45.7×35.6センチである。
画面は17×12.7センチだから、枠は画面の三倍近い。
写真は、こうして三重に囲まれて保管される。
紙、台紙、そして枠。
第十二回で、判型と保存を扱った。
写真の記録には、この三つの寸法が並ぶことが多い。
写真である。
草の茂った土手に、二人が座っている。
どちらも白い帽子をかぶる。
一人は横を向き、もう一人はこちらへ背を向ける。
衣は暗く、体の形がつぶれている。
背景は、細かい葉で埋まる。
黒と白の粒が、画面いっぱいに散る。
地面に直接座る姿である。
館の記録は、作者の名を「ジロドンの画家」と書いている。
特定の人物名ではない。
写真を売っていた会社の名と、そこで撮った人を指す呼び方である。
つまり、撮った人の名は分かっていない。
第十四回で、作者の欄の修飾語を扱った。
「誰それの画家」という呼び方は、古い陶器の研究で使われる。
この回の最後に並べる壺も、同じ形の名を持つ。

線だけの素描である。
紙の左上に、犬が一匹伏せている。
右上に、もう一匹が丸くなる。
中央の下寄りに、少年が座る。
横向きで、膝を抱えるような姿勢である。
背景は何もない。
床の線もない。
それでも、座っていることは読める。
腰と膝が折れているからである。
第十九回で、犬は画面の下にいると書いた。
ここでは、犬が上にいて、人が下にいる。
紙の余白に、思いついた順に描いたためだろう。
上下の関係は、場面の関係ではない。