画家を知る

肖像画は、二十日で仕上がった——トマス・サリーの帳簿

一度の写生から、何点も生まれる

サリーはこの年、フィラデルフィアの団体の依頼でロンドンへ渡った。

即位したばかりの女王を描くためである。

ヴィクトリア女王
トマス・サリー《ヴィクトリア女王》1838年。油彩・画布。縦91.4センチ、横71.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。画面右下に「私の女王の原習作」と記した書き込みがある。トマス・サリー《ヴィクトリア女王》メトロポリタン美術館蔵

これが王宮で描かれた原習作である。

背景は塗られていない。茶色のぼかしが頭のまわりだけに置かれ、画布の地が広く残る。

女王は右肩の上からこちらを見ている。髪は中央で分けられ、宝石の冠をのせている。

肩は素肌で、薄い布がかかる。左肩に赤い布の端が見える。

そして画面の右に、指輪と留め具の小さな習作が二つ描き込まれている。

本画のために宝飾の形を控えておいたものだ。

帳簿によれば、着手は3月22日、完成は5月15日。値段の欄には500ドルと書かれている。

ただし、この500ドルは受け取っていない。画家は生涯この絵を手放さなかった。

のちに娘のもとへ渡り、そこからメトロポリタン美術館に入った。

同館の受け入れ記録が「ダーリー家からの遺贈」となっているのは、その経緯による。

座ったのは一度きりではない

写生の場面については、本人の書き残した記述がある。

王宮に着くと、まず自分の場所を整えた。女王は侍女と小犬を伴って現れた。

犬は呼ばれても来ず、気が向くと玉座に上って膝に頭をのせた——そう書いている。

「あなたの座り方は正しいか」と問われ、「あなたはよい。私がよくない」と答えて画架を動かした。

王冠は別に運び込まれ、それだけを写した。

次の来訪者は画家のウィルキーで、三十分ほど待たされたという。

以上は本人の記述であり、他の証言と突き合わせたものではない。

そのうえで、帳簿の続きを見ると仕事の形が分かる。

この一度の写生から、大きな絵が次々に作られている。

5月25日から6月24日にかけて、四分の三身の一点(1,000ドル)。

9月30日から翌年1月14日にかけて、全身像(1,000ドルを受領)。

10月2日から12月20日にかけて、もう一点の全身像(2,000ドルと記入、贈与)。

さらに1839年に胸像の複製(150ドル)。

そして1871年にも複製(100ドル)。このとき画家は88歳である。

ヴィクトリア女王
トマス・サリー《ヴィクトリア女王》1838年。油彩・画布。縦238.8センチ、横147.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。国会議事堂の玉座に上る姿として構想された全身像。トマス・サリー《ヴィクトリア女王》メトロポリタン美術館蔵

赤い天蓋、金色の階段、白貂の縁取りの長い外套。

原習作にあった素肌の肩と冠が、そのまま儀礼の装置の中に置き直されている。

この寸法は、帳簿に載る二点の全身像の記載と一致する。

どちらの一点であるかは、所蔵館の公開記録だけでは確定できない。

見積りと、受け取った金は違う

帳簿の値段欄は、実際の入金ではない。

画家は「受取現金」を別の帳簿に付けていた。そちらは失われている。

だから晩年の収入を、値段欄の合計から計算すると過大になる。

値段欄の総額は約24万7千ドル。働いた年数で割ると年平均3,500ドル前後になる。

しかし女王の二点は無償だった。ラファイエットの肖像は600ドルの見積りで、受領は250ドルにとどまる。

同じ時期、イギリスのトマス・ローレンスは頭部の肖像に100ギニー(約500ドル)を得ていた。

半身は420ポンド、全身は630ポンドである。

同じ仕事で、大西洋の西と東に数倍の差があった。

サリーが1809年にロンドンへ学びに行けたのは、7人の後援者が各200ドルを出したからである。

返済の方法は現金ではなかった。滞在中に巨匠の模写を描き、各人に送ることだった。

模写にも値段が付く。帳簿には、レイノルズの絵の写しを300ドル、ティツィアーノの絵の写しを20ドルと記した記入がある。

同じ「模写」でも、元の絵と仕上げの程度で十倍以上の差が出る。

値段は、労力ではなく市場が決めていた。

家族が、商品になるとき

帳簿を追うと、家族の名前が何度も出てくる。

学ぶ人
トマス・サリー《学ぶ人》1839年。油彩・画布。縦59.7センチ、横49.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。画布の下辺に「The Student, TS 1839」の署名がある。トマス・サリー《学ぶ人》メトロポリタン美術館蔵

三つ編みの若い女性が、緑色のランプの傘を帽子のようにかぶっている。

傘の縁が影を落とし、目のあたりだけが暗い。手には鉛筆。両手を画板にのせている。

この人物は画家の娘、ロザリー・ケンブル・サリーである。

帳簿の記載は明快だ。1839年11月23日に着手、11月30日に完成、200ドル。

宛先は肖像の依頼主ではなく、出版と美術の商いをしていた人物の名で入っている。

つまり、娘の顔を描いた絵が《学ぶ人》という一般名で売り物になった。

ロザリーは1847年に29歳で亡くなる。

帳簿には、1871年にこの絵の複製を作った記録が残る。妹のためで、100ドルとある。

死後24年たって、姉の顔がもう一度描かれたことになる。

版画になる絵

売れる絵は、版画になった。

眠る子ども(ばらのつぼみ)
トマス・サリー《眠る子ども(ばらのつぼみ)》1841年。油彩・画布。縦60.6センチ、横92.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。トマス・サリー《眠る子ども(ばらのつぼみ)》メトロポリタン美術館蔵

金髪の巻き毛の子どもが、白い寝具にうつぶせて眠っている。

背景は暗い赤の垂れ布。枕の上に桃色のばらのつぼみが一輪置かれている。

右下に画家の署名がある。

帳簿では6月7日から6月21日、150ドル。

そして、この絵は版刻された。版画になれば、原画を持たない人にも届く。

肖像画家の商売には、注文品と、売り物の絵と、版画の三層があった。

ムシドラ
トマス・サリー《ムシドラ》1813年着手・1835年完成。板に油彩。縦71.4センチ、横57.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。トマス・サリー《ムシドラ》メトロポリタン美術館蔵

こちらは詩から採られた画題である。

18世紀の詩人トムソンの《四季》「夏」に出てくる、水浴する娘の場面である。

後ろ姿の裸体が、赤い布と白い布の上にかがみ、片足を水に入れている。

背後は暗い森。木の幹の右手に、光が差す茂みが覗く。

注意しておきたいのは、この絵の出所である。

帳簿によれば、これはベンジャミン・ウェストの作品を、別の画家の模写を介して写したものだ。

着手は1813年、完成は1835年。22年のあいだ手元に置かれていた。

注文が途切れたときに手を入れ、売れるときに出す。在庫のような扱いである。