竹は、書の手つきのまま描ける——洪範・祇園南海・胡正言ほか九点

横に長い屏風である。
161×339センチある。
地は紙のままで、余白が広い。
画面の右に、竹が群れて立つ。
幹は細く、上へまっすぐ伸びる。
葉は上のほうに集まり、下は幹だけになる。
その竹のあいだに、人が何人かいる。
みな長い衣を着て、髪を結っている。
一人は座り、書物を広げている。
一人は立ち、腕を組んでいる。
離れたところに、二人が向かい合う。
地面には、岩と、低い草が描かれる。
館の記録では、この派の画家たちは将軍に召し抱えられていた。
そして、世を避けるという主題を選ぶことで、幕府への忠義の大切さを伝えたという。
この一隻は、中国の古い時代に社会の混乱を逃れた人々を描いている。
彼らは人里離れた竹林へ逃れ、そこで自由に語り、音楽と酒を楽しんだ。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの竹林は、外の世界から隔てる壁として描かれている。
竹はまっすぐで、細く、隙間から向こうが透ける。
囲いでありながら、閉じてはいない。
屏風という形も効いている。
六つの面に折られているので、立てると竹の列が前後に折れる。
見る人の位置によって、竹の間隔が変わる。
近づけば隙間が開き、離れれば詰まって見える。
つまり竹林の密度は、見る人が決める。
そして館の記録によれば、この一隻には対になるもう一隻がある。
そちらは、別の山に隠れた四人の老人を描いている。
二隻を並べれば、二組の隠者が向かい合うことになる。
隠れることを主題にした絵が、広間の中央に立てられる。
牡丹の隣に、竹が添えられる
五点目では、竹は脇に回る。

縦長の紙である。
画面の中ほどに、大きな花が二つ開く。
花びらは幾重にも重なり、淡い紅がさす。
輪郭線はほとんど引かれていない。
色の面が、そのまま花びらになっている。
葉は濃い緑で、大きく広がる。
葉脈は墨で描かれている。
そして花の右後ろに、竹が数本立つ。
竹の葉は細く、上へ跳ねる。
墨だけで描かれ、色は付いていない。
館の札は「牡丹」と「竹」の二つである。
つまり館は、二つを並べて登録している。
しかし画面では、面積も色も牡丹のほうが強い。
竹は、色のない部分として花の後ろにある。
彩色された花と、墨だけの竹。
その差が、二つのものの役割を分けている。
そして牡丹は輪郭を持たず、竹は輪郭だけでできている。
色の面で描く方法と、線で描く方法。
二つの描き方が一枚に同居している。
花は柔らかく、竹は硬い。
その質の違いを、描き方の違いで示している。
館の記録は、そこまでは書いていない。
書かれているのは、題と、紙に墨と彩色であることと、寸法だけである。
札に二つの語が並ぶのは、二つが対等な主題だからだろう。
しかし画面の作りは、対等ではない。
竹は、工房の名になる
六点目では、竹は名前になる。

開いた本の見開きである。
紙は白く、余白が広い。
右の頁に、円い形が描かれている。
団扇の面である。
その中に、細い枝と小さな花が描かれる。
色は淡く、薄い紅と緑である。
左の頁にも、同じような円がある。
こちらには、別の草が描かれている。
輪郭線は細く、途切れがちである。
色の面は、輪郭からわずかにずれている。
館の記録では、色刷りは1600年代の初めに完成の域に達した。
この書画譜がその例だという。
絵らしい質感、版木を重ねる位置の精確さ、調和した色。
それらが、中国の歴史でもっとも成功した色刷りの版本にしたと記録は書く。
そしてこの版は南京で刷られ、全国へ広まり、日本と朝鮮の美術にも大きな影響を与えた。
館の記録は、そう続ける。
題にある工房の名に、竹の字が入っている。
十本の竹の書斎、という意味の名である。
しかし画面に、竹は描かれていない。
九点のうち、竹が工房の名になっているのは、この一点である。
色刷りの仕組みも見ておきたい。
色ごとに版木を彫り、順に重ねて刷る。
位置がわずかでもずれると、色が輪郭からはみ出す。
この本では、そのずれがごく小さい。
館の記録が版木を重ねる位置の精確さを挙げるのは、そのためである。
そして輪郭からわずかにずれた部分は、かえって筆の柔らかさに見える。
精確に刷ったうえで、わざとずらしているのかもしれない。
ただし、それは記録に書かれていない。
酒器の面に、竹が描かれる
七点目では、竹は文様になる。

背の低い注ぎ口の付いた器である。
胴は丸くふくらむ。
表面は白く、粗い土の地に白い化粧土がかけられている。
その面に、青い線で竹が描かれている。
幹は細く、節が短い線で示される。
葉は数枚、上へ跳ねる。
線は速く、迷いがない。
そばには、釣鐘形の花も描かれている。
そして胴の一部に、金色の細い線が走る。
割れたところを漆で継ぎ、金を蒔いた跡である。
館の記録では、この一対は工房の初代に帰されている。
その人は日本海に面した町に生まれ、焼きものを学ぶために京へ出た。
生まれた地にも焼きものはあったが、より進んだ磁器の技を求めたという。
そして師のもとで修業し、のちに独立した。
館の記録は、その来歴を書いている。
つまりこの竹は、器を注文した人のための文様である。
割れて継がれてもなお、同じ竹が面に残っている。
金で継ぐという直し方も見ておきたい。
割れ目を隠さず、金の線として見せる。
つまり傷が装飾になる。
青い竹の線と、金の継ぎの線が、同じ面の上で交差する。
どちらも細い線であることは、偶然だろうか。
館の記録は、金繕いを技法の欄に並べて書いている。
作ったときの技と、直したときの技が、同じ列に並んでいる。