作品を知る

竹は、書の手つきのまま描ける——洪範・祇園南海・胡正言ほか九点

鍔の面にも、竹がある

八点目は、刀の鍔である。

鍔
石黒政美《鍔》19世紀。館の記録では、赤銅・金・四分一・銅。高さ7.3センチ、幅6.7センチ、厚さ0.8センチ。番号は36.120.79。メトロポリタン美術館蔵。石黒政美《》メトロポリタン美術館蔵

丸みを帯びた金属の板である。

高さ7.3センチ、幅6.7センチしかない。

中央に、刀身を通すための細長い穴がある。

地は黒みを帯びた青灰色である。

その面に、金と銀の色の金属が嵌め込まれている。

嵌め込まれた形は、細い幹と、尖った葉である。

竹である。

幹は板の縁に沿って曲がる。

葉は数枚、放射状に開く。

葉の一枚ずつに、細い葉脈が刻まれている。

館の札は「竹」の一語である。

材の欄には、四種類の金属が並ぶ。

赤銅、金、四分一、銅。

つまり色の違う金属を組み合わせて、竹の色を作っている。

厚さは0.8センチしかない。

その薄い板の上で、竹が立体になっている。

嵌め込むという方法も見ておきたい。

地の金属を彫り下げ、そこに別の色の金属を埋める。

埋めた面を磨けば、二つの金属が同じ高さで並ぶ。

つまり色の違いだけで模様ができる。

竹の幹と葉に、それぞれ別の合金を使えば、色が分かれる。

絵の具を塗るのではなく、材料を替えて描いている。

そして鍔は、手が触れる部品である。

磨き上げた面は、握るたびにこすられる。

九点のうち、日々こすられていたのは、この一点だけである。

岸辺の竹は、風景の一部になる

最後の一点は、朝鮮の掛幅である。

漁夫のいる風景
イ・ブルヘ《漁夫のいる風景》1600年代。館の記録では、掛幅・絹本淡彩。全体は122.2×42.9センチ。番号は2015.516。クリーヴランド美術館蔵。イ・ブルヘ《漁夫のいる風景》クリーヴランド美術館蔵

縦長の絹である。

画面の下のほうに、水が広がる。

水面は薄い墨で、静かである。

そこに小さな舟が一艘浮かぶ。

舟の中に、人がひとり座っている。

蓑を着て、広い笠をかぶっている。

顔は見えない。

手前の岸には、木が数本立つ。

二本は松で、枝が横へ広がる。

その隣に、細い茎の群れがある。

まっすぐ立ち、上のほうに細い葉が付く。

竹か、水辺の葦である。

さらに二本、葉の落ちた木が立つ。

枝から、苔のようなものが垂れている。

館の記録では、蓑と笠の漁夫が小舟に座っている。

向こう岸には葦が光り、黒い岩が水の上に浮かぶように見える。

手前の岸には、松が二本、竹か葦の群れ、そして枯れた落葉樹が二本ある。

館の記録は、そう書いている。

つまり館の記録も、竹か葦かを決めていない。

九点のうち、竹かどうか定まっていないのは、この一点である。

そしてこの一幅では、季節と時刻も曖昧にされている。

館の記録は、雨、夕方の光、霜の気配という言葉を並べている。

三つとも、はっきりとは描かれていない。

薄い墨のにじみが、そのどれにも読める。

竹か葦かが決まらないのも、同じ曖昧さの一部である。

決めないことが、この画面の作り方になっている。

そして館は、この種の主題が十六世紀半ばから後半の風景画の主要なものだったと書いている。

数えてみると

九点を並べ直す。

竹が主題として描かれているのは、四点である。

雪の中の竹、雨の日の窓の外、岩と古木と並ぶ竹、そして竹林の七人。

脇や背景にいるのは、二点である。

牡丹の後ろと、岸辺の群れ。

器物の面に描かれているのが二点、工房の名になっているのが一点である。

もう一つ数えておく。

九点のうち、竹の節がはっきり描かれているのは五点である。

節は、竹を竹と決める印である。

葉の形だけなら、笹にも葦にも見える。

節を描くかどうかで、その茎が何かが決まる。

最後の一点で竹か葦か決まらないのも、節が見えないからである。

節を描くには、幹を止めて筆を横へ置く必要がある。

一気に引いた線の途中に、短い線を足す。

その二度目の動きが、竹を竹にしている。

つまり竹の絵では、止まる動作が種類を決めている。

まっすぐ引くだけなら、それは草である。

言えることと、言えないこと

言えるのは、竹が「筆の運びに合う植物」だということである。

幹は一筆で引ける。

節は短い横線で足りる。

葉は筆先を押して離すだけで描ける。

つまり竹は、書の手つきのまま描ける。

九点のうち、墨だけで描かれているのは五点あった。

そのどれもが、東アジアの作である。

西洋の作は、この九点に一点も入っていない。

竹という植物の分布がそのまま出ている、とも言える。

もっとも、それはこちらの選び方の結果でもある。

言えないのは、竹がつねに墨で描かれるという話である。

牡丹の隣では、竹だけが色を持たなかった。

器の面では、青い線で描かれていた。

鍔の面では、金と銀の金属で作られていた。

道具の上に移ると、竹は色を持ち、立体になる。

最後に、はじめの一幅へ戻る。

雪をかぶった竹は、前へたわんでいた。

たわむが折れない。

その形が、逆境に耐える人のたとえになる。

たとえになるためには、竹はたわんでいなければならない。

まっすぐなだけの竹では、意味が生まれない。

そしてたわむためには、雪が要る。

雪は描かれず、紙の白として残されていた。

描かれていないものが、竹の形を決めている。

九点を数え終えて残るのは、そのたわみのほうである。

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