竹は、書の手つきのまま描ける——洪範・祇園南海・胡正言ほか九点
幹は一筆、節は短い横線、葉は筆先を押して離すだけ。九点のうち五点が墨だけで描かれていた。しかし道具の上へ移ると、竹は青い線になり、金と銀の金属になり、そして工房の名にもなっている。節を描くために筆を止める、その一度の動作が竹を竹にする。

雪の重みで、竹が前へたわむ
大きな掛幅である。
画のみで164.5×87.6センチある。
紙の地は薄い茶色で、墨だけが置かれている。
画面の下のほうに、丸い岩がいくつも重なる。
岩は薄い墨でぼかされ、輪郭がはっきりしない。
その岩のあいだから、竹が何本も立ち上がる。
幹はまっすぐではない。
上へ行くにつれ、前へゆるやかに曲がる。
節は横の短い線で示される。
節と節のあいだは、一筆で引かれている。
葉は細長く、先が下を向く。
葉の上には、白く残された部分がある。
雪である。
奥のほうの竹は、墨が薄い。
さらに奥は、ほとんど霞んで消える。

館の記録では、岩のあいだの竹はゆるやかに前へたわんでいる。
薄い墨の刷きが、霞んだ冬の気配を作っているという。
そして作者は、ある詩人であり書家であり画家であった人に、様式と考え方の両面で学んだ。
その人は、竹を筆の書らしさを表すのに理想の主題と考えていた。
館の記録は、そう書いている。
さらに重要な一行が続く。
雪の重みでたわみながら折れない竹は、逆境に耐える正しい学者の姿でもあった。
つまりこの竹は、人のたとえとして描かれている。
そして雪は、白く塗られていない。
紙の地をそのまま残し、まわりに墨を置く。
つまり雪は、描かれなかった部分である。
葉の上の白は、筆が触れなかったところにすぎない。
にもかかわらず、そこに重みが感じられる。
葉が下を向いているからである。
重みは、雪ではなく、葉の角度によって描かれている。
奥へ行くほど墨が薄くなるのも、同じ工夫である。
薄くすることで、間に霞があることになる。
つまりこの画面では、白と薄墨が、描かれないものを担っている。
作者の書き込みには、制作の季節も記されている。
館の記録によれば、それは夏である。
雪の竹を、夏に描いている。
竹は、木か、字か、道具か
この一幅を出発点に、竹の絵を九点数えていく。
竹は、木でも草でもない。
節があり、中が空で、まっすぐ伸びる。
その形が筆の運びとよく合うので、東アジアでは書と絵の境目に置かれてきた。
そして中が空だから、器にも道具にもなる。
先に言ってしまうと、九点のうち、竹が主題として描かれているのは五点である。
二点では、竹は別の主題の背景か脇にいる。
一点では、竹は工房の名になっている。
そして一点では、竹は器の面に描かれた文様である。
前の回で松が別のものの名に入り込むことを見た。
竹の場合、入り込む先は名前より道具である。
窓の外に、竹がある
二点目は、雨の日の掛幅である。

縦長の紙である。
画面の下のほうに、家の一部がある。
屋根の線が斜めに引かれ、柱が立つ。
その柱のあいだが、窓である。
窓の中は白く、何も描かれていない。
そして窓の外、画面の上半分に、竹が茂る。
幹は細く、何本も並ぶ。
葉は左下へ向かって流れている。
墨は薄く、にじんでいる。
にじみが重なり、輪郭が溶ける。
雨のためである。
上のほうには、文字が書かれている。
館の札は「竹」の一語である。
つまり館は、この画面を竹の絵として登録している。
家も、窓も、札には入らない。
しかし題には、窓と雨の日が入っている。
窓は、竹を見るための枠である。
九点のうち、竹が枠越しに見られているのは、この一点である。
窓の白さも見ておきたい。
紙の地がそのまま残され、何も描かれていない。
外の竹は墨でにじみ、内側は白い。
つまり明るさの関係が、実際とは逆になっている。
雨の日の室内は暗く、外は明るいはずである。
しかしこの画面では、内が白く、外が濃い。
墨で描くという方法が、その逆転を生んでいる。
描くべきものがある場所に墨が置かれ、ない場所は白く残る。
窓の中に何もないのは、そこに何も描かなかったからである。
岩と古木と竹が、一葉に集まる
三点目は、画帖の一葉である。

正方形に近い小さな画面である。
30.2×26.7センチしかない。
左に、大きな岩がうずくまる。
岩の面には、細かい皴が刻まれている。
その右から、古い木が伸びる。
幹はねじれ、途中で折れている。
枝の先には、葉がわずかに残る。
そして木の根元に、竹が数本立つ。
竹の幹は細く、まっすぐである。
葉は上向きに跳ね、鋭い。
三つのものは、大きさの違う三つの塊として置かれている。
館の記録では、この画帖は二十図から成る。
晩年の作で、人物も山水も縮小されているという。
小さな庭や、机に置く石のように、世界を小さく閉じ込めている。
その縮尺の喪失は意図されたものだと、記録は読む。
一つは道士と鶴、一つは牛に乗る老子だった。
こちらには、人も獣もいない。
岩と木と竹という、動かない三つだけである。
三つの硬さも違う。
岩は動かず、古木はねじれ、竹はしなる。
その差は、筆の圧の違いで作られている。
岩は側筆でこすり、木は太い線でうねらせ、竹は細い線で一気に引く。
同じ墨と同じ絹の上で、三つの手つきが並んでいる。
小さな画面にそれを収めるのは、手つきの見本を並べることでもある。
古人に倣うという題も、その見本という性格に合っている。
竹林は、人が隠れる場所になる
四点目は、大きな屏風である。