作品を知る

松は、別のものの名に入り込む——広重・李鱓・ダンカン・ファイフほか九点

九点のうち、松が木として描かれているのは四点だけだった。残りでは、松の字は店の名になり、役者の名になり、明かりの道具の名になり、そして家具の見えない部分に使われる材の名になっている。針の一本ずつを彫るかどうかは、道具に従っている。

松に鸚鵡
歌川広重《松に鸚鵡》シカゴ美術館蔵

松の枝に、赤い鳥がとまる

細長い縦の版画である。

37.8×16.7センチしかない。

画面の右上から、松の枝が斜めに差し出される。

葉は針のように細く、束になって放射状に開く。

一束ごとに、緑の濃さが少しずつ違う。

枝は太く、樹皮が黒い線で刻まれている。

その枝の先近くに、鳥が一羽とまっている。

体は大きく、枝より太い。

胸から腹にかけて、赤い。

背と翼は青緑で、羽の一枚ずつが描き分けられている。

くちばしは太く、上が下へ大きく曲がる。

顔の白い部分が、目のまわりを囲む。

尾は長く、下へまっすぐ垂れる。

爪が枝をつかんでいる。

画面の上には、細い字で詩が書かれている。

左下に、赤い印がある。

松に鸚鵡
歌川広重《松に鸚鵡》1835年ごろ。館の記録では、多色木版、大短冊判。画面は37.8×16.7センチ。番号は1932.169。シカゴ美術館蔵。歌川広重《松に鸚鵡》シカゴ美術館蔵

館の記録は、題と技法と寸法しか書いていない。

札は「木版画」「版画」「アジアの美術」の三つで、松も鸚鵡も入っていない。

つまり館の分類の上では、この松は木として登録されていない。

見えるのは、松の葉の束が、鳥の羽と同じ細かさで描かれていることである。

針の一本ずつと、羽の一枚ずつ。

どちらも同じ細さの線で刻まれている。

判型も見ておきたい。

館の記録では、大短冊判と呼ばれる細長い形である。

幅は16.7センチしかない。

その細い面に、斜めの枝と大きな鳥を収めている。

枝を斜めにするのは、細長い画面を対角線で使うためである。

まっすぐ横に描けば、枝はすぐ画面の外へ出る。

鳥の尾を下へ長く垂らすのも、縦の長さを埋めるためである。

判型が、松の枝の角度を決めている。

同じ画家が判型ごとに作りを変えたことは、よく知られている。

この一枚も、その工夫の一つにあたる。

松は、木か、字か

この一枚を出発点に、松の絵を九点数えていく。

松は、東アジアで長寿と節操のしるしとされてきた。

冬にも葉を落とさないからである。

一方、西洋では松は材木としてよく使われる。

そして日本語では、松の字が思わぬところに入り込む。

明かりの道具にも、店の名にも、人の名にも入る。

先に言ってしまうと、九点のうち、松の木が描かれているのは四点である。

二点では、松の字は人や店の名になっている。

二点では、松の字は火の道具の名に入っている。

そして一点では、松は家具の内側の材である。

前の回で虫が数のそろって主題になることを見た。

松の場合、数えられるのは字のほうである。

五本の松に、五つの詩が添えられる

二点目は、大きな掛幅である。

五本の松
李鱓《五本の松》1747年。館の記録では、掛幅・紙本墨画。画は199.9×94.3センチ。番号は1976.112。クリーヴランド美術館蔵。李鱓《五本の松》クリーヴランド美術館蔵

たいへん大きな画面である。

199.9×94.3センチある。

人の背丈を超える。

画面いっぱいに、松が枝を広げている。

幹は太く、途中で何度も曲がる。

樹皮は、丸い点を重ねて描かれている。

枝は上へ、横へ、下へと伸びる。

葉は針の束で、薄い墨と濃い墨が混じる。

墨は濃淡が激しく、にじみが多い。

そして枝と枝のあいだに、文字が書き込まれている。

行はまっすぐではなく、枝の間を縫うように置かれる。

館の記録では、作者は学者の家に生まれた。

蘭、竹、松、花を描いたのは、その素性を映しているという。

そしてこの一幅は、晩年の作で、型どおりではない。

写実に向かうかわりに、変化に富んだ筆づかいの絡み合いで木を作った。

さらに、枝のあいだに崩し書きを用いて、絵と書の近さを示している。

館の記録は、そう読んでいる。

そして作者自身の書き込みも引かれている。

友人に五本の松を描くよう頼まれた。

まっすぐな松は政治家に、葉の落ちた松は名将に思われた。

片側へ傾いた松と、横たわる松は龍に思われた。

葉が草の筵のような、背の低い丸い松は、仙人か仏に思われた。

そして詩を作った、と続く。

つまり五本の松は、それぞれ別の人にたとえられている。

九点のうち、木に人格が与えられているのは、この一点である。

そして書き込みは、絵の一部として置かれている。

枝の間の空白に、行が縫うように入る。

つまり文字を置く場所を残して、枝が描かれている。

あるいは、枝の間に文字を合わせて書いている。

どちらが先かは、記録に書かれていない。

分かるのは、絵と書が同じ面を分け合っていることである。

墨の濃さも、絵と文字でそろえられている。

離れて見れば、文字は葉の塊のように見える。

近づいてはじめて、文字と葉が分かれる。

野原に、松が二本立つ

三点目は、水彩である。

水彩第三十五番、二本の松のある野原
アレン・タッカー《水彩第三十五番、二本の松のある野原》1937年。館の記録では、水彩。画面は35.6×50.8センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。アレン・タッカー《水彩第三十五番、二本の松のある野原》スミソニアン協会蔵

横長の紙である。

画面の上端に、細い青の帯がある。

空である。

その下は、一面の草地である。

草は黄、緑、赤、青の短い筆触で埋められている。

筆触は縦向きで、密に並ぶ。

色は混ぜられず、隣り合って置かれる。

その草地の中ほどに、木が二本立っている。

どちらも同じ形をしている。

幹はまっすぐ立ち、枝が水平に何段も出る。

枝の先が上へ跳ね上がる。

葉は濃い青緑で、三角形に近い塊になる。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

題には番号が入っている。

つまりこの一枚は、番号で呼ばれる連作の一枚である。

九点のうち、松が二本だけ立っているのは、この一点である。

そして先の掛幅と違い、この二本には性格が与えられていない。

同じ形が二つ並んでいるだけである。

色の置き方も見ておきたい。

草地の筆触は、混ぜずに隣り合わせている。

黄の隣に赤、赤の隣に青。

離れて見ると、それらが混じって明るい野原になる。

松の青緑だけが、まとまった塊として置かれている。

つまり色の作り方が、草と木で違う。

散らした色と、まとめた色。

その差が、遠くの草原と近くの木を分けている。

館の記録は、そこまでは書いていない。

栗と松を、並べて描く

四点目は、鉛筆の素描である。