橋の下に、五点の場面がある——バナー・栄之・ファン・デル・ネールほか九点

橋のある風景、二点
四点目は、大きな油彩である。
91.7×122センチ。
九点のなかで、いちばん大きい。
画面の左に、大きな木の塊がある。
葉は暗い緑と黄で、細かい筆が重ねられる。
中央から右へ、草地が広がる。
草地の低い場所に、小さな橋が架かる。
木の橋で、欄干は細い。
その手前に、水の流れがある。
流れのそばに、牛が二頭いる。
一頭は水に入り、一頭は岸に立つ。
奥には、木立と、明るい空がある。
館の記録の題は、無題である。
括弧のなかに、橋のある森の情景、と説明が添えられる。
この画家の別の一点は、家を扱った回でも取り上げた。
そちらも無題で、括弧に説明が付いていた。
同じ画家の作品が、同じ形式で記録されている。

五点目は、素描の裏面である。
紙は17.5×27.2センチ。
画面の中央に、大きな門がある。
丸いアーチの上に、壁が高く立つ。
壁は赤茶で、崩れかけている。
門の左には、低い塀が続く。
その手前、画面の下のほうに、橋が架かる。
橋のアーチは小さく、赤い煉瓦で描かれる。
橋の下は、水か、空き地か、はっきりしない。
線は速く、色は薄い。
ここで注意すべきことがある。
この作品には、別の番号でも登録されたものがある。
表と裏を一つにまとめた記録である。
その記録は、家を扱った回で取り上げた。
つまり、同じ紙が二通りの番号で公開されている。
一方は表と裏をまとめた記録。
他方は、裏だけの記録である。
公開データを数えるときは、この重なりに注意が要る。
前に列柱廊の絵でも、同じ重なりがあった。

橋のない二点
残る二点には、橋が描かれていない。
一点目は、写真である。
画面は16.7×21.7センチ。
写っているのは、石畳の通りである。
両側に、三階建ての建物が並ぶ。
軒が低く、窓が縦に並ぶ。
歩道には、荷車が何台も止まっている。
左手前に、街灯が一本立つ。
通りの奥は霞み、塔らしい形が見える。
人は、遠くに数人いるだけである。
館の記録の題は、ブリッジ通りという。
通りの名に、橋の語が入っている。
その通りの先に、橋があるのだろう。
だが、画面には写っていない。
館の記録には、写真の表に鉛筆で書かれた文字も写されている。
通りの名と、番号である。

二点目は、中国の巻子である。
画面は34.5×142.6センチ。
横に長く、高さは三十四センチしかない。
画面の右に、書き込みと題字がある。
左のほうに、淡い墨で山と木立が描かれる。
その中に、小さな建物がある。
館の記録の題によれば、石の橋のそばの亭である。
だが、橋そのものは判別しにくい。
墨は薄く、形は霞んでいる。
館の記述によれば、この絵は特定の出来事を記念している。
十年前、ある役人がこの山を訪れ、古い亭の再建を始めた。
それが長い旱魃の終わりと重なった。
そこで亭は、雨が来る亭と名づけられた。
十年後に、この巻子が描かれたという。
館の記録は、画家自身の書き込みも写している。
年、月、そして誰のために描いたかが記されている。
館はさらに、この画家の最期にも触れている。
反乱軍が郷里を落とした後、みずから川に身を投げたという。
その忠義を認められ、後に廟が建てられたと記録にある。

水は、どう描かれているか
橋の絵には、たいてい水がある。
九点のうち、水が描かれているのは六点だった。
その描き方を見たい。
細い横線を重ねたものが、二点。
白い泡の塊で流れを示したものが、一点。
月の光の縦の帯で示したものが、一点。
青と白の波形で示したものが、一点。
そして、薄い墨で霞ませたものが一点である。
同じ水でも、材と技法で描き方がまるで違う。
インクの素描では、線を引くしかない。
線の間隔を変えて、明暗を作る。
版画も同じである。
彫った線でしか、水を表せない。
油彩なら、絵具の厚みで泡を作れる。
木版なら、色の面で波を示せる。
墨なら、薄めた墨のにじみで水面を消せる。
つまり、水の描き方は材が決めている。
館の記録は、材と技法を細かく書く。
その欄を読むと、水の描き方が予想できる。
エングレーヴィングとあれば、線で描いた水である。
油彩とあれば、光を絵具で置いた水である。
記録の技法欄は、画面の見え方の予告でもある。
数え直す
九点を並べ直したい。
橋が描かれているのは、七点。
そのうち、渡っている人がいるのは二点だけだった。
橋の下に人や舟がいるのは、五点。
つまり橋は、渡る場所としてより、下から見上げる対象として描かれている。
材で分けると、木の橋が三点、石の橋が四点。
判型では、横長が六点、縦長が三点である。
いちばん小さいのは16.7×21.7センチの写真。
いちばん大きいのは91.7×122センチの油彩である。