塔だけが、遠くまで届く——モネ・フェントン・メストラルほか九点の教会

二点目は、中国の画帖の一葉である。
画面は31.1×41センチ、全体は36.5×49.9センチ。
紙に墨で描かれ、わずかに色が置かれる。
画面の左に、細い塔が立つ。
七層か八層あり、上へ細くなる。
その右に、屋根の大きな堂が並ぶ。
堂は三棟か四棟あり、段になって建つ。
屋根の線は、定規で引いたようにまっすぐである。
手前には、木立と塀がある。
奥には、山の稜線が霞んで見える。
館の記録の題によれば、これは千仏殿と塔である。
十二景の連作の一枚だという。
館の記述によれば、連作は山への訪問を順に追う。
舟で麓に着き、山を登り、寺に至る。
つまり、この一枚は道行きの終点にあたる。
館の記録には、印が二つ記されている。
一つは画家の印、もう一つは後の所蔵者の印である。

内部は、白い
教会の内部を描いた一点がある。
額なしで62×54センチ。
画面には、白い柱が何本も立つ。
手前の一本は太く、画面を縦に切っている。
奥には、尖ったアーチの窓が並ぶ。
窓のガラスは透明で、色が付いていない。
天井は高く、白い。
壁も白い。
装飾は、ほとんどない。
床には黒っぽい石が敷かれる。
左下に、人が三人いる。
黒い衣で、小さく描かれている。
右のほうにも、人影がある。
館の記述によれば、この内部は大部分が想像である。
ただし、実在の教会の特徴がいくつか取り入れられている。
見る人に見覚えを与えるためだ、と館は書く。
同じ記述は、白い内部になった経緯にも触れている。
十六世紀の終わりに、装飾が取り除かれたという。
その結果、白い壁と光と影が主題になった。
画家たちは、そこに遠近法の課題を見た、と館は書いている。
さらに館は、当時の教会が公共の集まる場所だったとも書く。
犬まで入れた、という一文が記録にある。

教会から外れたもの、教会へ入る前のもの
残る二点は、建物の一部である。
一点目は、雪花石膏の彫刻である。
全体で37.8×28.1×15.9センチ。
年配の人物が座り、前かがみになっている。
頭には布をかぶる。
その足もとに、獅子がうずくまる。
獅子は小さく、おとなしい。
人物は、獅子の前足に手を伸ばしている。
館の記述によれば、棘を抜いてやる場面である。
以後、獅子は生涯の伴になったという。
館の記述は、材の性質にも触れている。
雪花石膏は柔らかく、細かい彫りに向く。
そして、彩色の痕跡が残っているという。
顕微鏡で調べたところ、獅子の口は赤く、毛は黄色く、爪は黒かった。
いまは、ほとんど白い石に見える。
題の括弧には、もとの場所が書かれている。
エアフルトの旧聖ペテロ教会である。
「旧」と付くのは、その教会がもうないからだろう。
建物が失われ、彫刻だけが残っている。

二点目は、写真である。
画面は35.2×25.8センチ。
台紙まで含めると61×50.8センチになる。
写っているのは、聖母子の石像である。
女性が立ち、腕に幼子を抱いている。
衣の襞は深く、影が濃い。
台の上に載せられ、周りには木材や道具が置かれている。
背後には、布が垂れ、足場らしい木が組まれる。
つまり、これは作業場である。
像はまだ建物に付いていない。
館の記述によれば、この写真は彫刻家の依頼で撮られた。
大聖堂のために彫っていた像を記録するためである。
古い像が、風雨と革命で傷んでいた。
その代わりとして、新しい像が作られていた。
館の記述は、この写真がかつて修復の責任者の手元にあったらしいとも書く。
そして、この像はいま西正面の丸窓の前に立っているという。
最初に見た絵は、別の大聖堂の西正面だった。
その正面にも、小さな像が帯になって並んでいた。
一体ずつは、こういう作業場で作られる。

石の色は、何色か
石造りの建物を、絵はどんな色で描くか。
九点で、石の色を見たい。
いちばん極端なのは、大聖堂の正面を描いた油彩である。
石の面に、灰色がほとんど使われていない。
影は青と紫、光は黄と桃色で置かれる。
石そのものの色ではなく、そこに当たる光の色である。
一方、素描の二点では、石は茶色のインクで描かれる。
インクの濃さだけで、明暗を作る。
色は使えないので、濃淡で代える。
写真の二点では、石は灰色の階調になる。
塩紙の印画は、暗い部分が茶色を帯びる。
彫刻の一点は、石そのものである。
白い雪花石膏で、いまはほとんど無色に見える。
だが館の記録によれば、もとは彩色されていた。
赤い口、黄色い毛、黒い爪。
色は失われ、石の色だけが残った。
つまり九点のなかで、石の色は五通りに描かれている。
光の色、インクの濃淡、灰色の階調、そして石そのもの。
同じ材が、これだけ違う見え方をする。
館の記録が書くのは、絵具や紙の名だけである。
描かれた石が何色だったかは、どこにも書かれない。