美術史・技法

塔だけが、遠くまで届く——モネ・フェントン・メストラルほか九点の教会

ダンモア卿の時代の旧ブルートン教会、ヴァージニア州ウィリアムズバーグ
アルフレッド・ワーズワース・トンプソン《ダンモア卿の時代の旧ブルートン教会》1893年。館の記録では、油彩・カンヴァス。45.7×68.9センチ。番号は99.28。メトロポリタン美術館蔵。アルフレッド・ワーズワース・トンプソン《ダンモア卿の時代の旧ブルートン教会、ヴァージニア州ウィリアムズバーグ》メトロポリタン美術館蔵

二点目は、中国の画帖の一葉である。

画面は31.1×41センチ、全体は36.5×49.9センチ。

紙に墨で描かれ、わずかに色が置かれる。

画面の左に、細い塔が立つ。

七層か八層あり、上へ細くなる。

その右に、屋根の大きな堂が並ぶ。

堂は三棟か四棟あり、段になって建つ。

屋根の線は、定規で引いたようにまっすぐである。

手前には、木立と塀がある。

奥には、山の稜線が霞んで見える。

館の記録の題によれば、これは千仏殿と塔である。

十二景の連作の一枚だという。

館の記述によれば、連作は山への訪問を順に追う。

舟で麓に着き、山を登り、寺に至る。

つまり、この一枚は道行きの終点にあたる。

館の記録には、印が二つ記されている。

一つは画家の印、もう一つは後の所蔵者の印である。

雲巌寺の千仏殿と塔(蘇州虎丘十二景より)
沈周《雲巌寺の千仏殿と塔(蘇州虎丘十二景より)》1490年以後。館の記録では、画帖の一葉。紙に墨、または墨と淡彩。画面31.1×41センチ。全体36.5×49.9センチ。番号は1964.371.7。クリーヴランド美術館蔵。沈周《雲巌寺の千仏殿と塔(蘇州虎丘十二景より)》クリーヴランド美術館蔵

内部は、白い

教会の内部を描いた一点がある。

額なしで62×54センチ。

画面には、白い柱が何本も立つ。

手前の一本は太く、画面を縦に切っている。

奥には、尖ったアーチの窓が並ぶ。

窓のガラスは透明で、色が付いていない。

天井は高く、白い。

壁も白い。

装飾は、ほとんどない。

床には黒っぽい石が敷かれる。

左下に、人が三人いる。

黒い衣で、小さく描かれている。

右のほうにも、人影がある。

館の記述によれば、この内部は大部分が想像である。

ただし、実在の教会の特徴がいくつか取り入れられている。

見る人に見覚えを与えるためだ、と館は書く。

同じ記述は、白い内部になった経緯にも触れている。

十六世紀の終わりに、装飾が取り除かれたという。

その結果、白い壁と光と影が主題になった。

画家たちは、そこに遠近法の課題を見た、と館は書いている。

さらに館は、当時の教会が公共の集まる場所だったとも書く。

犬まで入れた、という一文が記録にある。

教会の内部
エマヌエル・デ・ウィッテ《教会の内部》1680年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで62×54センチ。番号は1971.1。クリーヴランド美術館蔵。エマヌエル・デ・ウィッテ《教会の内部》クリーヴランド美術館蔵

教会から外れたもの、教会へ入る前のもの

残る二点は、建物の一部である。

一点目は、雪花石膏の彫刻である。

全体で37.8×28.1×15.9センチ。

年配の人物が座り、前かがみになっている。

頭には布をかぶる。

その足もとに、獅子がうずくまる。

獅子は小さく、おとなしい。

人物は、獅子の前足に手を伸ばしている。

館の記述によれば、棘を抜いてやる場面である。

以後、獅子は生涯の伴になったという。

館の記述は、材の性質にも触れている。

雪花石膏は柔らかく、細かい彫りに向く。

そして、彩色の痕跡が残っているという。

顕微鏡で調べたところ、獅子の口は赤く、毛は黄色く、爪は黒かった。

いまは、ほとんど白い石に見える。

題の括弧には、もとの場所が書かれている。

エアフルトの旧聖ペテロ教会である。

「旧」と付くのは、その教会がもうないからだろう。

建物が失われ、彫刻だけが残っている。

聖ヒエロニムスと獅子(エアフルトの旧聖ペテロ教会より)
ティルマン・リーメンシュナイダー《聖ヒエロニムスと獅子(エアフルトの旧聖ペテロ教会より)》1495年頃。館の記録では、雪花石膏、彩色の痕跡。全体で37.8×28.1×15.9センチ。番号は1946.82。クリーヴランド美術館蔵。ティルマン・リーメンシュナイダー《聖ヒエロニムスと獅子(エアフルトの旧聖ペテロ教会より)》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、写真である。

画面は35.2×25.8センチ。

台紙まで含めると61×50.8センチになる。

写っているのは、聖母子の石像である。

女性が立ち、腕に幼子を抱いている。

衣の襞は深く、影が濃い。

台の上に載せられ、周りには木材や道具が置かれている。

背後には、布が垂れ、足場らしい木が組まれる。

つまり、これは作業場である。

像はまだ建物に付いていない。

館の記述によれば、この写真は彫刻家の依頼で撮られた。

大聖堂のために彫っていた像を記録するためである。

古い像が、風雨と革命で傷んでいた。

その代わりとして、新しい像が作られていた。

館の記述は、この写真がかつて修復の責任者の手元にあったらしいとも書く。

そして、この像はいま西正面の丸窓の前に立っているという。

最初に見た絵は、別の大聖堂の西正面だった。

その正面にも、小さな像が帯になって並んでいた。

一体ずつは、こういう作業場で作られる。

パリ・ノートルダム大聖堂の聖母像
オーギュスト・メストラル《パリ・ノートルダム大聖堂の聖母像》1853年。館の記録では、紙の陰画から作った塩紙印画。画面35.2×25.8センチ。台紙を含めて61×50.8センチ。番号は2007.12。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・メストラル《パリ・ノートルダム大聖堂の聖母像》クリーヴランド美術館蔵

石の色は、何色か

石造りの建物を、絵はどんな色で描くか。

九点で、石の色を見たい。

いちばん極端なのは、大聖堂の正面を描いた油彩である。

石の面に、灰色がほとんど使われていない。

影は青と紫、光は黄と桃色で置かれる。

石そのものの色ではなく、そこに当たる光の色である。

一方、素描の二点では、石は茶色のインクで描かれる。

インクの濃さだけで、明暗を作る。

色は使えないので、濃淡で代える。

写真の二点では、石は灰色の階調になる。

塩紙の印画は、暗い部分が茶色を帯びる。

彫刻の一点は、石そのものである。

白い雪花石膏で、いまはほとんど無色に見える。

だが館の記録によれば、もとは彩色されていた。

赤い口、黄色い毛、黒い爪。

色は失われ、石の色だけが残った。

つまり九点のなかで、石の色は五通りに描かれている。

光の色、インクの濃淡、灰色の階調、そして石そのもの。

同じ材が、これだけ違う見え方をする。

館の記録が書くのは、絵具や紙の名だけである。

描かれた石が何色だったかは、どこにも書かれない。