夕方は、空の色だけで示す——欧米の風景画・版画ほか九点

第二回でも、同じ画家の舟遊びの版画を読んだ。
これも六枚続のうちの一部である。
そして、こちらは二枚が残っている。
画面の中央に、木の欄干が横に走る。
橋の上である。
その欄干にもたれて、女性が数人立つ。
いずれも髪を高く結い、櫛を挿す。
手に、団扇や扇を持つ。
一人は、大きな傘を差し掛けている。
衣は淡い色で、細かい文様が入る。
欄干の下にも、人がいる。
橋の下から見上げる形である。
背景は、ほとんど白い。
空も、水も描かれていない。
夕暮れなのに、空がない
この一点にも、夕暮れの色がない。
題に、夕涼み、とある。
しかし、空は白いままである。
第十回で読んだ月夜の版画と、同じである。
人物と衣の文様を見せる絵では、背景を描かない。
そして、夕方であることは題と、持ち物で示される。
団扇と扇。
いずれも、暑い時期の夕方に使うものである。
つまり、道具が時刻を語っている。
第十六回で扱った、画面のなかの文字と同じ働きである。
書かれていないことを、別の要素が補う。

第一回から何度も読んできた画家の、また別の一点である。
今回も、枠が描かれている。
淡い緑褐色の縁である。
その中は、広い平原である。
画面の下半分に、黄緑の草地が広がる。
そこに、円錐形の天幕が並ぶ。
数十張ある。
小さく、白い三角として描かれる。
手前に、人と馬が数組。
左下に、火を囲む人影。
そして、空である。
地平線のすぐ上が、明るい黄。
その上に、橙。
さらに上に、青灰色の雲が横に並ぶ。
いちばん上は、青である。
地平線が低いと、空が広い
この一点では、地平線が画面の下から三分の一のあたりにある。
つまり、空が三分の二を占める。
第五回で、水平線の高さから視点を読んだ。
低い地平線は、平らな土地を見ていることを示す。
そして、空が広くなる。
夕暮れの絵では、空が広いほど色の帯がよく見える。
だから、地平線を低くする。
九点のうち、地平線が低いものを数えると、五点ある。
いずれも、空の色が主題である。
一方、地平線が高い絵では、空が細く見えるだけになる。
そういう絵では、夕暮れは別の方法で示される。
物の色や、影の長さである。
嵐のあとの空

第十八回で読んだ寄贈の、一点である。
画面のほとんどが暗い。
右手に、大きな岩の塊。
黒い影として立ち上がる。
その上に、細い木が数本。
風に傾いている。
左は、海である。
白い波頭が、幾重にも立つ。
手前の岩にぶつかり、砕けている。
そして、空である。
厚い雲が、画面の上を覆う。
暗い灰色である。
しかし、中央やや右に、切れ間がある。
そこだけが、明るい黄金色に光る。
その光が、雲の縁を照らす。
雲の切れ間が、太陽の代わりになる
この一点でも、太陽は見えない。
雲に隠れている。
しかし、雲の切れ間が明るい。
そして、そこから光が放射状に広がる。
第十回で、月を描かずに月光を描く例を見た。
同じ方法である。
光源を隠し、その効果だけを描く。
そして、この方法には利点がある。
明暗の差を、極端にできる。
太陽そのものを描くと、その明るさに引きずられて全体が明るくなる。
隠せば、まわりを好きなだけ暗くできる。
この一点では、画面の八割が暗い。
そして、切れ間の光だけが強い。
その対比が、嵐のあとの空気を作っている。

白黒の画像である。
つまり、色が分からない。
題に日没とあるが、画面からは読み取れない。
横長の画面である。
下半分に、湿地が広がる。
水が浅く溜まり、草が生える。
そこに、牛が数頭立つ。
羊らしい小さな影も点在する。
中ほどに、木の柵。
杭が並ぶ。
その向こうに、細い木が数本立つ。
葉が上でまとまる。
さらに奥に、低い建物。
上半分は、空である。
雲が広がる。
そして、地平線のあたりが明るい。
画面の大きさと、空の広さ
九点の寸法を並べたい。
いちばん大きいのが、赤い夕日の一点。
一メートル三十四センチ掛ける一メートル八十八センチ。
次が、モネの議事堂とメトカーフの村。
いずれも八十センチ台である。
アッヘンバッハの海岸が八十三センチ。
版画三点は、二十四センチから三十六センチ。
写生帖の頁は、十二センチである。
大きな画面ほど、空を広く取れる。
赤い夕日の一点では、空が画面の八割を占める。
離れて見ると、視界のほとんどが空になる。
第十回で、大きい絵ほど暗くできると書いた。
同じことが、明るさにも当てはまる。
大きい絵では、広い面を一色に近い状態で塗れる。
小さい絵で同じことをすると、単調になる。
だから、小さい絵では要素を詰める。
版画三点を見ると、いずれも建物や人が細かく描かれている。
空だけの絵にはなっていない。
画面の大きさが、空に割ける面積を決めている。