鹿は、角の枝を数えられる獣である——ドービニー・ボヌール・ヴァレンタインほか九点

縦長の小さな図である。
上には岩山があり、緑と桃色に塗り分けられている。
その手前に、明るい緑の草地が広がる。
草地の上を、獣たちが走っている。
左下へ跳ぶもの、右へ体をひねるもの。
角のある鹿が四頭、それに斑のある一頭。
灰色の大きな獣も一頭いる。
そのあいだに、斑の獣が飛びかかっている。
首に赤い首輪が見える。
上のほうには、人が三人立っている。
一人は木のそばで腕を上げている。
館の記録では、この斑の獣は訓練された狩猟用の猫科の獣である。
赤い首輪を付け、狩りの遠征で獲物を捕らえるのに使われた。
そして館は、この図の意味も読んでいる。
狩りは当時の文学で、目指すものを手に入れる比喩でもあった。
この図が作られたころ、王子は父に対抗して自分の宮廷を開いていた。
獲物を捕らえる図は、王位を得たいという願いと響き合うという。
館の記録は、そう説明している。
そして手前の灰色の獣については、アジア最大の羚羊だと付け加える。
つまりこの画面では、鹿は逃げる側に置かれている。
追う側は、猫科の獣と、その飼い主である。
そして人は、追ってはいない。
上のほうに立ち、腕を上げて合図を送っているだけである。
走るのは獣どうしで、人は離れた場所から見ている。
この配置は、狩りという行為の分業を示している。
図の大きさは20×11.8センチしかない。
その中に、獣が七頭と人が三人いる。
一つずつの姿は指の先ほどで、輪郭は細い線で描かれている。
小さいのに、どの獣がどちらへ跳ぶかは正確に描き分けられている。
画面の下に置かれた斑の鹿は、後ろ脚を高く跳ね上げている。
翼のある鹿が、翼のある獅子に捕らえられる
四点目は、写本の一葉である。

濃い青の地に、金で模様が描かれている。
画面の中央には、白い紙が長方形に貼られている。
そこに文字が斜めに並ぶ。
その周囲、青い縁の部分に、森が描かれている。
木は幹から枝を広げ、金の葉と花が点々と付く。
その森の中に、獣がいる。
上の縁には、翼のある獣が二頭いる。
前の一頭は角があり、脚を伸ばして走っている。
後ろの一頭は、たてがみを持ち、口を開けている。
下の縁では、その二頭が重なっている。
たてがみのある獣が、角のある獣に噛みついている。
右のほうには、細い獣が一頭、逃げていく。
館の記録では、この縁の場面は花の咲き乱れる魔法の森である。
上では翼のある獅子が翼のある鹿を追い、下でその鹿が捕らえられる。
獅子が獲物に噛みつく図は、古代のイランにさかのぼるという。
そして、それは王の武勇を指すものだと記録は書く。
右へ走り去るのは狐だという。
中央の詩はペルシア語で、斜めに続く書体で書かれている。
作者はその書体を完成させた人として広く知られ、多くの人の手本になった。
館の記録は、そう書いている。
つまりこの鹿は、獣であると同時に、王の武勇を語るための形である。
翼が付いているので、現実の鹿ではない。
九点のうち、鹿に翼があるのはこの一点だけである。
鹿は、器の腹を歩く
五点目は、紀元前の器である。

淡い褐色の器である。
胴は横に長く、船のような形をしている。
左端には、鳥の頭が付いている。
くちばしは前へ突き出し、途中に穴があいている。
胴の上には、筒が二本立っている。
一本は高く、口が広い。
下には、円い台が付いている。
器の表面は、幾何学の模様でびっしり埋められている。
四角い渦、三角、細かい格子。
その模様のあいだ、胴の中ほどに、人と獣の場面がひとつだけある。
男が槍を持ち、角のある獣を引いている。
館の記録では、これは香油を入れる器で、葬礼に使われたのかもしれない。
形はイタリアの伝統から来ているが、模様のほうはギリシアに由来するという。
そこで研究者は、エトルリアで働いていたギリシア出身の陶工の作かもしれないと考えている。
そして唯一の物語の場面について、館はこう書いている。
槍を持つ男が角のある獣を引いている。
もし無名の狩人でないなら、これは英雄の三番目の仕事の、知られる限り最古の姿かもしれない。
金の角を持つ雌鹿を生け捕りにする仕事である。
館の記録は、そう読む。
断定はしていない。
九点のうち、鹿が捕らえられて引かれているのは、この一点である。
写生された鹿は、立ったまま止まる
六点目と七点目は、写生である。

灰色がかった画面である。
背景は森で、葉が細かい筆で塗り重ねられている。
その前に、鹿が一頭立っている。
体は横向きで、頭は左を向いている。
角は二本、上へ枝分かれしている。
首は細く長く、胸のあたりが白い。
四本の脚はすべて地面に着いている。
前脚は少し開き、後ろ脚はそろっている。
尾は短く、上へ跳ねている。
耳は大きく、左右に張り出している。
目はこちらを見ていない。
館の札は「鹿」の一語である。
題には「自然からの写生」と付いている。
つまり、実際の鹿を見て描いたと題が言っている。
館の記録は、それ以上を書いていない。
しかし題の付け方には、当時の事情がうかがえる。
写生であることを、わざわざ題に入れている。
そう書かなければ、絵の中の鹿は写生かどうか分からない。
森の背景は暗く、細部が省かれている。
鹿の体だけが、明るく、はっきりと描かれている。
背景を暗くすれば、輪郭が浮き上がる。
その作り方は、実物を前にしたときの見え方とは違う。
写生であることと、写生のように見えることは別である。