作品を知る

鹿は、角の枝を数えられる獣である——ドービニー・ボヌール・ヴァレンタインほか九点

横たわる牡鹿
ローザ・ボヌール《横たわる牡鹿》1875年から85年ごろ。館の記録では、クリーム色の網目紙に黒鉛の上から水彩とグワッシュ。紙は28×38.1センチ。番号は1977.3。クリーヴランド美術館蔵。ローザ・ボヌール《横たわる牡鹿》クリーヴランド美術館蔵

淡い緑と灰色の紙に、鹿が一頭横たわっている。

体は右を向き、脚を体の下に折りたたんでいる。

首は立ち、頭が上を向く。

角は太く、根元から先まで枝分かれしている。

胸は白く、背中は茶色い。

体の輪郭は水彩でぼかされ、背景と溶け合う。

地面には草が薄く刷かれている。

館の記録では、この素描は作者の没後に画室で見つかった。

牡鹿を描いた多くの紙の一枚だったという。

作者は、当時の女性としてはまれに、画家として続ける支えを得た人である。

そして生前から、動物を自然に描くことで知られていた。

家のまわりの森を毎日馬車で回り、写生をしていたという。

館の記録は、その仲間の言葉も引いている。

一頭の牡鹿がいて、葉のあいだから日が射していた。

そしてその鹿は、まったく動かずにいた。

水彩はこうした即興の写生に向いていた、と記録は続ける。

外で、対象のそばで描くことができるからである。

さらに館は、この人が牡鹿を飼っていたことも書いている。

その鹿のために園を作り、名前を付けて、模写の相手にしていたという。

女性の画家の仕事については、女性が描いていたで扱った。

そしてこの紙の右下には、印が押されている。

作者の遺産を示す印である。

画室に残された紙が、没後に整理され、印を押されて世に出た。

つまりこの一枚は、作者が発表するつもりで仕上げたものではない。

背景が途中で消えているのも、そのためかもしれない。

草は右のほうで薄くなり、紙の色に戻っていく。

仕上げられていないことが、そのまま観察の速さを示している。

鹿は、猿と並び、松の下に立つ

最後の二点は、東アジアの絹である。

鹿と猿
河鍋暁斎《鹿と猿》1887年ごろ。館の記録では、絹本着色の画帖の一葉。画面は36.2×26.7センチ。番号は14.76.61.24。メトロポリタン美術館蔵。河鍋暁斎《鹿と猿》メトロポリタン美術館蔵

縦長の絹である。

下半分に、水の流れが横に走る。

水面は細かい線で表され、白く光る。

その岸に、鹿が二頭いる。

手前の一頭は座り、頭を上げている。

角は大きく、枝が幾重にも分かれている。

背中には白い斑点が並ぶ。

もう一頭は後ろで体を丸め、背を向けている。

上半分には、大きな木が枝を広げる。

枝には丸い葉が塊で付いている。

その枝に、猿が二匹いる。

一匹は枝からぶら下がり、体を伸ばしている。

もう一匹は、幹の穴のあたりにいる。

鹿は上を見上げ、猿は下を見ている。

館の札は「鹿」と「猿」の二つである。

九点のうち、鹿がほかの獣と同じ画面にいるのは、この一点と狩りの一点である。

狩りの一点では、獣どうしが追い、追われていた。

こちらでは、鹿と猿は互いに何もしていない。

見上げる者と見下ろす者が、上下に配置されているだけである。

水と岸と木と枝という段が、そのまま画面の段になっている。

いちばん下に水、その上に鹿、さらに上に枝と猿。

高さの順に、生きものが割り振られている。

そして鹿の背中の白い斑点は、水面の白い線と対になっている。

白い点と白い線が、画面の上下をつないでいる。

長寿の象徴・桃と松の下の鹿
戸田忠中《長寿の象徴・桃と松の下の鹿》1801年。館の記録では、掛幅一対・絹本着色、軸端は象牙。番号は2015.86。クリーヴランド美術館蔵。戸田忠中《長寿の象徴・桃と松の下の鹿》クリーヴランド美術館蔵

細長い掛幅が二幅、並んでいる。

右幅には、太い松の幹が斜めに立つ。

枝は横へ広がり、緑の葉が塊で付く。

その下に、鹿が三頭いる。

一頭は立ち、二頭は地面に伏せている。

立っている一頭には角があり、後ろへ反っている。

左幅には、細い木が立ち、枝に赤い実が付く。

桃である。

その下に、鹿が一頭立っている。

首を伸ばし、顔を上へ向けている。

実を見上げているように見える。

地面には草と岩が描かれている。

館の記録では、題に「長寿の象徴」と入っている。

松も、桃も、鹿も、長寿と結び付けられてきたものである。

三つを二幅に分けて並べたのが、この一対である。

軸端には象牙が使われている、と記録は書く。

つまりこの一対は、飾るための道具として仕立てられている。

一対という形も、意味に関わっている。

二幅を並べて掛ければ、松と桃が左右に分かれる。

鹿はその両方の下にいる。

つまり鹿は、二つの木のあいだを行き来する役をしている。

右の三頭と左の一頭を足せば、四頭になる。

数としては、群れというほど多くない。

長寿を語るのに、たくさんの鹿は要らない。

角のある一頭と、伏せた二頭と、見上げる一頭で足りている。

数えてみると

九点を並べ直す。

鹿が追われるか、捕らえられるか、倒れているのは三点である。

狩りの草地、器の腹の場面、そして写真の中の一頭。

写本の一葉を加えれば四点になるが、そこでは鹿に翼がある。

静かに立つか横たわっているのは、四点である。

森の中の二頭、写生の一頭、横たわる一頭、そして猿を見上げる二頭。

長寿のしるしとして置かれているのが、一点である。

もう一つ数えておく。

九点のうち、鹿の角がはっきり枝分かれして描かれているのは六点である。

そして角の枝の数が名前になっているのは、写真の一点だけである。

十二本以上あれば王者と呼ばれる。

数えることが、そのまま呼び名を決めている。

言えることと、言えないこと

言えるのは、鹿が「数えられる獣」だということである。

角の枝が数えられ、群れの頭数が数えられ、狩りの成果として数えられる。

牛や馬では、体の大きさが値打ちになっていた。

鹿では、頭に付いている枝の数が値打ちになる。

言えないのは、鹿がつねに獲物だという話である。

九点のうち四点で、鹿は静かに立つか、横たわっていた。

そのうち一点は、画家が名前を付けて飼っていた鹿である。

追う対象であると同時に、そばに置く対象でもあった。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

ガラスを掻いて作られた森の中に、鹿は数センチの大きさでいた。

角の枝を数えることはできない。

追われているのか、休んでいるのかも分からない。

分かるのは、そこに二頭いるということだけである。

九点を数え終えて残るのは、その数えられるぎりぎりの小ささのほうである。

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