作品を知る

犬は、画面のいちばん下にいる——ティントレット・春信・是真ほか九点

病者を癒すキリスト
クリスティアン・ヴィルヘルム・エルンスト・ディートリヒ《病者を癒すキリスト》1742年。館の記録では、カンヴァスに油彩。89.2×105.1センチ。番号は85.9。メトロポリタン美術館蔵。クリスティアン・ヴィルヘルム・エルンスト・ディートリッヒ《病者を癒すキリスト》メトロポリタン美術館蔵

横長の絵である。

八九・二掛ける一〇五・一センチ。

全体に暗い。

背景は、洞窟のような空間である。

上のほうが闇に消える。

右のほうに、白い衣の人物が立つ。

腕を前に伸ばしている。

その周りに、大勢が集まる。

数えられないほどである。

三十人以上いるだろう。

そして、画面の下のほうに、横たわる人がいる。

白い布に包まれている。

運ばれてきた病者だろう。

その手前、画面のいちばん下に犬がいる。

淡い色の犬である。

横を向いて立っている。

そして、犬の右にも、もう一匹いるように見える。

暗くて判別しにくい。

つまり、この大人数の場面でも、犬は最下部にいる。

第十二回で、群像の構成について書いた。

大勢を描くとき、手前を空けなければ奥が見えない。

だから、画面の下は人の密度が低くなる。

そして、その空いた部分に犬が置かれる。

犬は小さいから、視界を遮らない。

そして、下にいるのが自然である。

つまり、構図の都合と、犬の習性が一致している。

総督の足もと

救い主に引き合わされる総督アルヴィーゼ・モチェニーゴ
ヤコポ・ティントレット《救い主に引き合わされる総督アルヴィーゼ・モチェニーゴ》おそらく1577年。館の記録では、カンヴァスに油彩。97.2×198.1センチ。番号は10.206。メトロポリタン美術館蔵。ヤコポ・ティントレット《救い主に引き合わされる総督アルヴィーゼ・モチェニーゴ》メトロポリタン美術館蔵

非常に横長である。

九七・二掛ける一九八・一センチ。

幅が二メートル近い。

高さの二倍以上ある。

第五回で、横長の画面について書いた。

壁の高い位置に掛けるための形式がある。

そして、この形は場面を横に並べるのに向く。

画面の中央に、石の階段がある。

その上に、赤い衣の人物がひざまずく。

館の記録によれば、これが総督である。

そして、その右に人々が並ぶ。

白や黄や青の衣を着ている。

左には、階段があり、その上に人が集まる。

上のほうに、雲と天使のような姿がある。

つまり、上下二層の構成である。

地上の人と、天上の姿。

そして、総督の前、階段の下に犬がいる。

黒に近い色である。

小さく、うずくまっている。

画面の中央よりやや左、いちばん下の段である。

館の記録の題には、犬の語がない。

主題は、総督が救い主に引き合わされることである。

犬は、その場面の付属物である。

だが、位置は決まっている。

権力者の足もとである。

第十八回で、持ち物が身分を示すと書いた。

犬もまた、そうした印として使われてきた。

犬を指す

素描帖より
トマス・サリー《素描帖より》1810年から1820年。館の記録の題は、倒れかかる男、犬のほうを指す男、そして木立のそばの柱に寄りかかる女を並べている。紙にインクと淡彩。22.9×29.2センチ。番号は53.182.15表。メトロポリタン美術館蔵。トマス・サリー《素描帖より》メトロポリタン美術館蔵

前の回でも、この作者の素描帖を見た。

同じ帖の、別の一葉である。

番号の枝番が違う。

二二・九掛ける二九・二センチ。

大きさは同じである。

紙は灰色に見える。

インクの線だけで描かれている。

一枚の紙に、いくつもの図が散らばる。

左上に、倒れかかる人物がいる。

体が斜めになり、腕が伸びる。

その下に、二人が組み合っている。

中央から右にかけて、立つ人物がいる。

腕を横に伸ばしている。

そして、左下に犬がいる。

二匹いるように見える。

線が少なく、輪郭だけである。

耳と尾と脚が読める。

館の記録の題が、犬を指す男と言っている。

つまり、腕を伸ばした人物が、犬を示している。

右のほうには、女性が立つ。

柱に寄りかかり、衣が長い。

こちらは、しっかり描き込まれている。

つまり、一枚の紙のなかで、描き込みの度合いが違う。

第十七回で、素描帖について書いた。

思いついた形を、その場で書き留める。

だから、完成度が揃わない。

そして、犬は左下にある。

紙の隅である。

ここでも、犬は下にいる。

犬のいない狩の道具

巻き上げ機つきの弩
ヨハン・ゴットフリート・ヘーニッシュ(父)《巻き上げ機つきの弩》。館の記録では、弩が1720年から1730年ごろ、巻き上げ機が1575年から1600年ごろ。館の記録では、鋼、胡桃材、鹿角、銅合金、麻、革、絹、金、鉄合金、羊毛。弩の長さ68.4センチ、幅75.8センチ、重さ6329グラム。番号は29.158.650。メトロポリタン美術館蔵。ヨハン・ゴットフリート・ヘーニッシュ(父)《巻き上げ機つきの弩》メトロポリタン美術館蔵

武器である。

弩と呼ばれる形式の弓である。

木の台に、鋼の弓が横向きに取りつけてある。

台の長さは六八・四センチ。

弓の幅は七五・八センチ。

重さは六三二九グラム。

六キロを超える。

台には、細かい象嵌がある。

館の記録が挙げる鹿角だろう。

白い模様が、台の全面に散る。

そして、巻き上げ機が付属する。

弦を引くための道具である。

第十八回で、弓を引く力について書いた。

強い弓は、手では引けない。

だから、歯車と紐で巻き上げる。

館の記録は、面白いことを書いている。

弩と巻き上げ機の年代が、百三十年ほど違う。

つまり、別々の時代のものが組になっている。

第十七回で、組物の年代差について書いた。

道具は、使えるかぎり使い続けられる。

そして、この一点に犬はいない。

装飾のなかにもいない。

では、なぜここに混ざったのか。

狩の道具だからである。

弩は、獣を撃つために使われた。

そして、狩には犬が伴う。

つまり、犬と結びつく品ではある。

だが、犬そのものは写っていない。

大きさの幅

九点の寸法を並べたい。

いちばん大きいのが、総督の一点である。

九七・二掛ける一九八・一センチ。

次が、群衆の一点で八九・二掛ける一〇五・一センチ。

次が、四人を描いた一点で四五・六掛ける六一・七センチ。

次が、羊飼いの一点で二八・五掛ける二二・八センチ。

素描帖と版画二点が、二十センチ台である。

そして、細密画が一〇・七掛ける八センチ。

つまり、面積で言えば二百倍以上の差がある。

そして、大きさと犬の描き込みに関係がある。

大きい二点では、犬が小さすぎて細部が読めない。

黒い塊、淡い塊にしか見えない。

小さい細密画では、犬の模様まで分かる。

黒と白の斑が見える。

第十五回で、大きさと描き分けについて書いた。

画面が大きくても、犬の実寸は変わらない。

犬は犬の大きさで描かれる。

だから、画面が大きいほど、犬の占める割合が小さくなる。

そして、細部が省かれる。