顔は、名前と交換される——英泉・ヴァロットン・アルガルディほか九点

館の記録は、短い。
作者名と、題と、年と、材料と、寸法である。
説明の文はない。
題が、すべてを言っている。
顔を作っている若者、という題である。
英語では、顔を作るという言い方をする。
日本語では、しかめる、ゆがめる、と言う。
いずれにせよ、顔は変えられるものだと前提している。
前の三点では、顔は与えられたものだった。
輪郭も、鼻の形も、本人のものである。
この一点では、顔は作られる。
手で引っぱれば、別の顔になる。
そして、その別の顔が題になる。
顔は、名前とも交換できるが、表情とも交換できる。
しかも、表情は本人が作れる。
名は、本人には変えられない。
顔だけが、その場で書き換えられる部分である。
この絵が小さいのも、そのためかもしれない。
作った顔は、長くは保たない。
顔を、黒く塗る
細密画である。
絵の部分は10.5×10センチ。
正方形に近い。
上と下に、文字がある。
画面の中央に、赤い煉瓦の壁がある。
その手前が、場面である。
右に、女が座る。
衣は、緑と赤である。
手を、前へ出す。
その前に、女が二人いる。
一人は、地面に伏せている。
顔が、黒く塗られている。
肌の色と、まったく違う。
もう一人が、その体を押さえる。
左のほうに、男が二人いる。
一人は、赤い衣を着る。
上には、縞の丸屋根が見える。
空には、白い円がある。
月である。

館の説明は、この場面の裏を書いている。
不実な妻の相手が、使いの女をよこした。
逢引の段取りをつけるためである。
妻は、恐れおののいたふりをした。
そして使いの女の顔を黒く塗り、家から追い出した。
恥をかかせるように見せかけて、運河の脇へ捨てさせた。
しかしそれは、相手への合図だった。
暗くなったころ、その同じ場所で会おう、という合図である。
つまり、顔を汚す行為が、文の代わりをしている。
館は、絵の作りにも触れる。
桃色の煉瓦の壁は、この画家が加えたものである。
奥行きを出すためだという。
ここで顔は、書き換えられる面である。
塗れば、恥の印になる。
塗った理由は、別のところにある。
顔は、意味を載せる板として使われている。
黒く塗れば、恥。
白く塗れば、化粧。
赤く引けば、しるし。
どの色も、顔の上でだけ意味を持つ。
同じ色を手に塗っても、恥にはならない。
顔が、百も並ぶ
水彩である。
23.5×17.8センチ。
縦長である。
画面の全体に、顔がある。
数えきれないほど並ぶ。
上のほうは、小さい。
下へ来るほど、大きくなる。
顔と顔のあいだに、隙間がない。
体は、ほとんど描かれない。
肩や胸が、わずかに見えるだけである。
髪型は、それぞれ違う。
羽根を立てた者がいる。
布を巻いた者がいる。
帽子をかぶった者もいる。
顔の向きも、ばらばらである。
正面、横、斜め。
いちばん下に、子を抱く女がいる。
その子だけが、体ごと描かれる。
右下に、馬の顔がある。

館の札は、五つある。
顔、幼児、男性たち、女性たち、授乳である。
顔という札が、はっきり付いている。
これは、九点の中でこの一点だけである。
題にも、顔の語が入る。
顔の群像、という言い方である。
つまりこの絵は、顔を集めることが目的である。
一人ずつの肖像ではない。
顔の種類を、並べて見せている。
前の五点では、顔は一つずつだった。
ここでは、顔は数になる。
数になると、個々の名は消える。
消えたあとに残るのは、髪型と飾りの違いだけである。
顔そのものの差は、そこまで大きくない。
見分けているのは、顔の上に載っているものである。
羽根、布、帽子、耳飾り。
顔そのものではなく、その周りである。
前の回で見た肩と、同じ仕組みである。
載っているもので、区別がつく。
記録が、顔を評する
青銅の胸像である。
台を除いて、高さ78.1センチ。
幅は81.6センチある。
横に広い。
男が一人、正面を向く。
頭に、丸い帽子をかぶる。
髭は、顎の下に豊かにある。
口の上にも、髭がある。
目は、やや細い。
額に、横の皺が三本ある。
頬は、こけている。
肩から胸に、大きな襟が掛かる。
襟には、文様が浮き出る。
百合の花と、鳩である。
その上に、細い帯が下がる。
衣の面は、うねる。
光が、そのうねりに沿って走る。
台は、四角い石である。

館の説明は、この人物の性格を書いている。
一六四四年から、死ぬまで教皇だった。
美術には、あまり関心がなかったという。
それでも慣例に従い、いくつかの仕事を注文した。
この彫刻家は、最も頻繁に呼ばれた一人である。
そして、こう書かれている。
この繊細な肖像は、衣の細部をよく捉えている。
そして、知的で静かな顔も捉えている。
ここで初めて、記録が顔を評価している。
知的で、静か。
これは、形の記述ではない。
読み取った内容である。
前の六点では、記録は顔の形を書いていた。
横顔、しかめ面、黒く塗られた顔。
どれも、見ればわかることである。
知的かどうかは、見てもわからない。
それでも、記録はそう書く。
書けるのは、この人物が誰かを知っているからである。
教皇の名も、在位も、性格の伝承も残っている。
その伝承を、顔の上に読み込んでいる。
顔が先にあるのではない。
名と経歴が先にあり、顔があとから読まれる。
館は、襟の文様についても書く。
百合と鳩は、この家の紋である。
その紋が、誰かを特定している。
顔ではなく、襟が名を告げている。