作品を知る

顔は、名前と交換される——英泉・ヴァロットン・アルガルディほか九点

紙いっぱいの美人の顔、名のない横顔と名のある横顔、手で引っぱって作る顔。顔の九点を数えると、記録が顔の中身まで読んだのは二点で、どちらも位の高い男だった。記録の量は、造作ではなく名の重さで決まっている。

美人の顔
渓斎英泉《美人の顔》メトロポリタン美術館蔵

顔だけが、紙いっぱいにある

錦絵である。

17.8×12.7センチしかない。

小さな紙である。

そこに、顔が一つだけある。

紙のほとんどを、顔が占める。

首から下は、わずかしかない。

肩の線が、下の縁で切れる。

顔は、やや右を向く。

輪郭は、細い線で引かれる。

肌は、白く塗り残される。

眉は、細く長い。

目は、切れ長である。

上瞼の線が、鼻のほうへ下りる。

鼻は、小さな鉤で示される。

口は、赤い。

下唇のほうが、厚い。

髪は、大きく張り出す。

左右に、翼のように広がる。

後ろに、櫛と簪が挿さる。

襟は、格子の文様である。

背景に、金の帯がある。

美人の顔
渓斎英泉《美人の顔》1825年ごろ。館の記録では、木版・墨と色・紙。17.8×12.7センチ。番号はJP1070。メトロポリタン美術館蔵。渓斎英泉《美人の顔》メトロポリタン美術館蔵

館の札は「頭部」と「女性たち」の二つである。

題は、美人の顔という。

つまり、顔が主題だと館が明示している。

これは、九点の中でめずらしい。

顔の絵は、たいてい人の名で呼ばれる。

誰それの肖像、という具合である。

顔そのものが題になるのは、名がない場合である。

名がなければ、顔だけが残る。

残った顔は、種類の名で呼ばれる。

美人、というのは種類の名である。

九点の最初に、これを置く理由である。

顔は、名前と交換できる。

名があれば顔は消え、名がなければ顔が題になる。

この一枚には、誰の顔かという情報がない。

版元も、役者名も、遊女の名もない。

残っているのは、髪の形と襟の柄だけである。

それでも、この顔は誰かの顔として描かれている。

描いた側は、見ていたはずである。

名のない、横顔

木炭と黒チョークの素描である。

紙は23.7×20.7センチ。

楕円の額に入る。

女が一人、左を向く。

完全な横顔である。

額は、高い。

鼻筋は、まっすぐである。

鼻の先が、わずかに上を向く。

上唇は、短い。

顎の線は、丸い。

首は、細く長い。

髪は、後ろで高く盛る。

その上に、大きな帽子が載る。

つばは広く、左右へ張る。

帽子に、大きな結びがある。

胸元に、白い布が幾重にも巻かれる。

衣の袖に、細かい襞がある。

背景は、灰色に塗りつぶされる。

右下に、茶のインクで署名がある。

左を向いた女の横顔
アンリ・ピエール・ダンルー《左を向いた女の横顔》1784年。館の記録では、木炭と黒チョーク・ぼかし・生成りの簀の目紙、茶インクの署名。紙の寸法は23.7×20.7センチ。番号は2008.387。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ピエール・ダンルー《左を向いた女の横顔》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この画家の仕事を書いている。

一七八三年から翌年まで、ある地方都市で働いた。

横顔の肖像を専門にしていた。

紙に書かれた年から見て、この若い女は貴族かもしれない。

ただし、誰かは特定されていない。

館はさらに、技法についても書く。

黒い線に、ぼかしを併せた。

粉を布や革で擦り、境目を消す方法である。

それによって、質感と調子の幅が広がる。

ここで注目したいのは、特定されていないという一行である。

顔は、はっきり描かれている。

輪郭も、鼻の形も、唇の厚みもわかる。

それでも、誰かはわからない。

顔は、名前の代わりにはならない。

顔を見ても、名は出てこない。

名を見れば、顔は思い出せる。

その向きは、一方通行である。

だから記録は、名を先に書く。

名がなければ、書き出しに困る。

名のある、横顔

ドライポイントの版画である。

版の跡は21.9×14.9センチ。

女が一人、右を向く。

やはり、完全な横顔である。

髪は、短い。

頭のまわりで、細かく波打つ。

耳は、髪に半分隠れる。

額は、狭い。

鼻は、小さい。

唇は、薄く、引き結ばれる。

顎から首へ、線が一気に下りる。

首には、細い襟がある。

肩は、なで肩である。

衣は、黒く沈む。

背景は、白い。

線は、細かく重なる。

濃いところは、線が密である。

左下に、年と頭文字が入る。

少女の横顔
フェリックス・ヴァロットン《少女の横顔》1891年。館の記録では、象牙色の織目紙にドライポイント。版の跡は21.9×14.9センチ。番号は2024.10。クリーヴランド美術館蔵。フェリックス・ヴァロットン《少女の横顔》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この人物の名を書いている。

エレーヌ・シャトネという、お針子である。

一八九〇年代に、画家の伴侶となった。

二人は巴里の学生街で暮らした。

しかし一八九九年、画家は別の女と急に結婚する。

そして、その家の暮らしに移った。

いっしょにいたあいだ、彼女はよく模特児になった。

この横顔は、二年前に素描としても描かれている。

前の一点と、形はよく似ている。

どちらも、真横からの顔である。

違うのは、記録に名があるかどうかだけである。

名があれば、その人の人生が記録に入る。

名がなければ、身分の推測だけが残る。

同じ横顔が、記録の量でまったく違うものになる。

この一点は、銅版に直接針で引いてある。

腐蝕を使わないので、線に毛羽が立つ。

その毛羽が、髪の質感に効いている。

版の作り方については、二つの摺りを比べるで扱った。

肖像の名については、名のない座り手で扱った。

顔を、作る

板に描かれた油彩である。

全体で13.7×10.5センチ。

手のひらに載る。

男が一人、こちらを向く。

肘を、台の上につく。

両手を、顔に当てている。

指で、頬を引っぱる。

口は、横へ広がる。

目は、細くなる。

眉は、寄せられる。

鼻に、皺が寄る。

顔が、ゆがんでいる。

頭に、毛皮の帽子をかぶる。

その脇に、羽根が一本立つ。

衣は、褐色である。

台の上に、小さな壺と瓶がある。

背景は、暗い灰色である。