港の絵に、桟橋は写らない——ブーダン・アッピアン・ヒードほか九点

港の名だけを持つ絵
語の外れに移りたい。
一点目は、川辺の油彩である。
54.5×73.7センチ。
画面の左に、大きな砂の山が二つある。
砂は白と黄で、影は薄い青である。
その向こうに、川が広がる。
水は明るい青で、対岸の木が映る。
川には、小舟が二艘いる。
人が乗り、竿を差している。
左奥には、白い壁の家が数軒ある。
空は青く、白い雲が並ぶ。
木は葉を落としかけていて、細い枝が見える。
館の記録の題には、川の名と土地の名が入る。
その土地の名に、港の語が含まれている。
町の名の一部である。
だから画面には、港の設備がない。
あるのは、川と砂と舟だけである。
砂は、建築の材料として運ばれてきたものだろう。
その意味では、水運の絵ではある。

二点目は、家具である。
全体で91.5×105.4×57.1センチ。
天板は白い大理石で、前が丸く張り出す。
その下に、赤茶の木の帯がある。
帯には、金色の装飾が施される。
前面の左右に、白い石の柱が立つ。
柱の上下は金色で、下は獣の足の形をしている。
奥には、大きな鏡がはめ込まれている。
館の記録の題は、壁付けテーブルという。
英語の題に、港と同じ綴りの語が使われている。
だがこの語は、建築では窓と窓のあいだの壁を指す。
館の記述によれば、この種の卓はその壁の前に置かれた。
上に鏡を掛け、天井から床まで一続きの鏡面を作ったという。
そうすると、部屋に光が回る。
港とは何の関係もない。
同じ綴りの語が、二つの意味を持っている。

綴りの偶然が、また起きた
三点目の外れは、写真である。
画面は22.8×47.7センチ。
横に長い。
台紙まで含めると37×58.8センチになる。
写っているのは、山の谷である。
左右に、切り立った岩壁が立ち上がる。
右の壁から、細い滝が落ちている。
水は白い筋になって、途中で霧になる。
谷底には、白い建物が数棟ある。
その前を、道が横切る。
奥には、雪をかぶった山が見える。
港も海も、どこにもない。
ではなぜ集まったのか。
館の記録の題には、写真帖の名が併記されている。
その名の最初の語に、港と同じ綴りが含まれていた。
炭素を意味する語である。
この写真は、炭素を用いた印画法で焼かれている。
その技法の名が、写真帖の名になっている。
そして、その語の中に港の四文字が入っていた。
前の回でも、同じことが起きた。
広い、という語の中に、道の四文字が入っていた。
機械で語を探すと、こういう一致がときどき起きる。

水は、何色で描かれているか
港の絵で、水の色を見たい。
六点それぞれで、まったく違っていた。
金色に光る水が、一点。
白いまま塗り残された水が、一点。
明るい青の水が、一点。
灰色にくすんだ水が、一点。
濃い緑の水が、一点。
そして、線だけで示された水が一点である。
水そのものに色はない。
映ったものの色になる。
だから、空の色と、その日の光で決まる。
金色の水は、太陽を正面から入れた画面だった。
白い水は、水彩で紙の地を残したものである。
青い水は、晴れた空を映している。
灰色の水は、曇り空の下にある。
同じ港でも、日が違えば別の色になる。
館の記録は、水の色を書かない。
書かれるのは、絵具や紙の名だけである。
そして、その材が使える色の幅を決めている。
銅版画には、色がない。
線の密度で明暗を作るしかない。
だから水は、横線の集まりとして表される。
材が、水の描き方を決めている。
綴りの一致は、なぜ起きるか
同じ回で二度も綴りの偶然が出たので、少し整理したい。
当社は、館の公開データを語で検索して図版を選んでいる。
そのとき、英語の題と日本語の題の両方を見る。
英語の題は、単語の区切りが空白で示される。
だが、検索する語が短いと、別の単語の一部に当たる。
港を意味する四文字は、炭素を意味する語の中にある。
道を意味する四文字は、広いを意味する語の中にある。
いずれも、前に一文字足すだけで別の語になる。
これを防ぐには、語の先頭も境目として指定すればよい。
今回は、その指定が一部の語で漏れていた。
漏れた結果、二点の外れが混じった。
外れた二点を、削ることもできた。
削らなかったのは、二つ理由がある。
一つは、外れも記録の性質を示す材料になるからだ。
もう一つは、削ると選定の作為が増えるからである。
機械で選んだものを、あとから人が間引くと、基準が曖昧になる。
そこで今回も、外れをそのまま並べた。
前の回でも、同じ方針を取っている。
読む側にとっては、こういう説明があるほうが親切だろう。
なぜ港の回に山の写真があるのか。
その理由が、記録の側にあることを示しておきたい。