家は、小さくしか描かれない——ホフマン・ブルーマールト・スルバランほか九点

五点目は、家から外された部分である。
戸口一式が、そのまま収蔵されている。
全体で290×228.5×45.8センチ。
高さが二.九メートルある。
九点のなかで、いちばん大きい。
白く塗られた木で作られている。
中央に、六つの框のある扉がある。
その左右に、細長い窓が縦に入る。
窓のガラスは、鉛の桟で細かく割られている。
扉の上にも、横長の窓がある。
いちばん上には、彫刻の帯が渡る。
館の記述によれば、葉の彫刻と垂れ飾りが施されている。
柱は細く、高い。
館の記録によれば、これはオハイオのある住宅の正面にあった。
同じ記述は、建てた人物が当時の著名な建築家だったと書く。
家は残っていない。
戸口だけが、番号を持って残っている。

屋根と壁の比を見る
外から見た家の四点で、屋根と壁の比を見たい。
農家の小屋では、屋根が壁の二倍以上ある。
草を厚く葺いた屋根が、壁を覆い隠している。
川辺の家では、屋根と壁がほぼ同じ高さに見える。
湖畔の家も、同じくらいである。
救貧院の建物では、壁のほうが高い。
三階建てで、屋根は薄い帯にしか見えない。
つまり、建物が大きくなるほど屋根の比は下がる。
小さな家ほど、屋根が目立つ。
これは構造の問題である。
木や草で屋根を作ると、傾きを急にするしかない。
急にすれば、屋根の高さが増す。
石や煉瓦で壁を高く積めるなら、屋根は薄くて済む。
前に屋根を扱った回でも、同じことを書いた。
そのときは草葺きの屋根が四点あった。
今回は、屋根の比が家の規模を映していた。
同じ材料の話が、別の角度から出てくる。
九点ずつ集め直すたびに、少しずつ角度が変わる。
それが、この数え方の利点でもある。
家でない「家」
語の外れに移りたい。
一点目は、十五世紀末の木版である。
館の記録の題は、男子浴場という。
英語では、家の語を含む一語が使われている。
画面には、六人の男がいる。
いずれも衣を着ていない。
中央の二人は立ち、左の一人は柱に寄りかかる。
右の三人は、板に腰かけている。
一人は笛のようなものを吹く。
奥には、屋根を支える柱と梁が見える。
背景の遠くに、町の建物と塔がある。
館の記述によれば、この主題は当時としては珍しかった。
神話や聖書の物語なしに裸体を描いたからだという。
同じ記述は、描かれた人物に画家の友人が含まれる可能性にも触れる。
さらに、この版画が人気を得た背景として、1496年の浴場閉鎖に言及している。
病の流行を防ぐためだった、と館は書く。
浴場は、家ではない。
だが英語では、屋根のある施設を家の語で呼ぶ。
日本語では、その用法が薄い。
だから訳すと、家の語は消える。

二点目は、日本の版画である。
紙は36.6×26.1センチ。
画面には、三人の女性がいる。
中央の二人は、旅装で歩いている。
一人は大きな笠をかぶる。
もう一人は、荷物を抱えて笠を持つ。
左には、白い犬が一匹いる。
背後には、格子の窓と障子がある。
上のほうに、富士山と、店先の様子が小さく描かれる。
右上に、題を書いた枠がある。
館の記録の題は、有名な芝居の八段目である。
英語の題では、その芝居の名が「忠義の蔵」と訳されている。
その「蔵」に当たる語が、家の語を含んでいる。
つまり、この一点は英語の題を通じて拾われた。
日本語の題には、家の字がない。
翻訳を経由すると、こういう一致が起きる。

三点目は、写真である。
七宝の板に焼き付けられている。
板は11.5×15.5センチ。
九点のなかで、いちばん小さい。
もとの金属の枠に収められている。
枠まで含めると27×29センチになる。
枠は分厚く、渦巻きと葉の飾りが立体的に付く。
写真そのものは、楕円形に切り取られている。
写っているのは、石段の前に集まった人々である。
女性たちは、大きく広がった白い衣を着ている。
男性は黒い上着で立つ。
十数人が、二列に並んでいる。
館の記録の題には、屋敷の名が入っている。
その屋敷は、ある一族がイギリスで住んだ家である。
館の記述によれば、庭で催された宴の折の集合写真である。
同じ記述は、そうした催しが資金集めを兼ねたとも書く。
さらに、七宝に焼き付けた写真は退色しないと記録にある。
窯から出た日と同じ状態に見える、と館は書いている。
