美術史・技法

家は、小さくしか描かれない——ホフマン・ブルーマールト・スルバランほか九点

人は、家の外にいる

家のある画面で、人がどこにいるかを見たい。

人が描かれているのは、六点だった。

そのうち、家の中にいる人は一点しかない。

ナザレの家を描いた大きな油彩である。

残る五点では、人は家の外にいる。

川辺で洗濯をする二人。

道を行く馬車の人々。

石段の前に並ぶ十数人。

浴場の板に腰かける六人。

旅装で歩く三人。

つまり、家は人のいる場所として描かれていない。

人がいるのは、家の前か、家のない場所である。

これも構図の事情かもしれない。

家の中を描くには、壁を一枚外す必要がある。

外から描けば、その手間が要らない。

そして家の外なら、光が自由に使える。

前に室内の絵を数えたときは、逆の結果だった。

そこでは、九点のうち五点に人がいた。

集める語が変わると、人の位置も変わる。

室内という語は人を呼び、家という語は建物を呼ぶ。

同じ建物を指しているのに、語が扱いを分けている。

数え直す

九点を並べ直したい。

住まいとしての家が描かれているのは、五点。

そのうち、外から見た家が四点である。

家の中を描いたのは、一点だけだった。

家が画面の主役になっているのは、二点。

残りは、風景や施設の一部として置かれている。

そして、家の語が別のものを指していたのが四点あった。

浴場、蔵、屋敷の名、そして戸口である。

このうち二点は、翻訳を経由して混じった。

もとの日本語の題には、家の字がない。

英語の題を機械で引くと、こうなる。

最大と最小を、並べてみる

今回の九点は、大きさの幅がとくに広かった。

いちばん大きいのは、戸口の一式である。

高さ290センチ、幅228.5センチ、奥行き45.8センチ。

人が二人並んで通れる大きさがある。

いちばん小さいのは、七宝の写真の板だった。

11.5×15.5センチしかない。

葉書ほどの大きさである。

面積で比べると、四百倍近い差がある。

同じ「家」の語で、この二つが並ぶ。

しかも、大きいほうは家の一部である。

小さいほうは、家の前に集まった人々の記録である。

家そのものは、どちらにも写っていない。

家の絵を集めたつもりが、家の周辺ばかりが集まった。

これは、語で引くことの性質である。

題に家の語を持つ作品は、家を主題にしているとは限らない。

家を目印にして、別のものを指していることが多い。

戸口はその建物の一部を指す。

屋敷の名は、そこに住んだ一族を指す。

浴場は、施設の種類を指す。

蔵は、芝居の題を指す。

家の語は、それだけ便利に使われている。

便利な語ほど、意味が広がる。

広がった語で集めると、外れが増える。

外れが増えることは、失敗ではない。

その語がどう使われてきたかの記録になる。

家は、小さく描かれる

家の大きさを、画面に対する比で見たい。

外から見た家の四点では、いずれも家は小さい。

画面の五分の一から十分の一ほどである。

救貧院の絵だけは、建物が画面の三分の一を占める。

だがそれも、土地全体を見せる構図のなかにある。

家を大きく描いた絵は、九点に一つもなかった。

大きく描かれているのは、家の内部と、家の戸口である。

つまり、家全体を大きく描くことは少ない。

理由は、たぶん単純である。

家は箱の形をしていて、面白い形ではない。

大きく描くと、四角い面が画面を占めてしまう。

窓や扉といった細部を見せたいなら、近づくほうがよい。

近づけば、家全体は入らなくなる。

だから家は、遠くから小さく描かれるか、部分だけが描かれる。

その中間が、あまりない。

九点で見るかぎり、そうなっている。

家は、たいてい残らない

もう一つ、気づいたことがある。

九点のうち、描かれた家が現存すると分かるものは少ない。

戸口の一点は、家が取り壊されている。

館の記述が、その戸口だけが残ったことを示す。

救貧院の建物も、現在どうなっているかは記録にない。

屋敷の名を持つ写真の一点だけは、建物名が記録に残る。

残る六点では、家がどこの家かも分からない。

農家の小屋も、川辺の家も、湖畔の家も、名前がない。

館の記録は、場所を書いていない。

つまり、絵に描かれた家の多くは、特定できない。

特定できないまま、絵だけが残っている。

これは家の絵に限らない。

風景画に描かれた場所は、たいてい特定されない。

特定されるのは、有名な建物か、依頼を受けて描いた土地である。

九点では、その二種類が三点あった。

残る六点は、名前のない家である。

記録は、家の持ち主を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、家の持ち主を書く欄はない。

例外は、戸口の一点である。

題そのものに、持ち主の名が入っている。

建物の名が題になると、そこに人の名が残る。

屋敷の名を持つ写真も、同じ形である。

一族の名が、そのまま建物の名になっている。

それ以外の六点では、家に名がない。

名のない家は、記録のうえでは風景の一部になる。

館は、そこを無理に埋めない。

無題のまま公開し、括弧のなかに説明を添える。

湖畔の森の家、というような書き方である。

これは題ではなく、識別のための説明である。

公開データを扱うときは、この違いに注意が要る。

括弧の中身は、作者の言葉ではない。

館が後から付けたものである。

当社の日本語題も、それを訳しただけである。

だから記事では、無題であることを明記した。

無題の作品は、九点のうち一点だけだった。

残る八点には、何らかの題がある。

そのうち、作者が付けたと確かめられるものは一点もない。

版画の二点には、版元と署名の記録がある。

だが、題を誰が付けたかは書かれていない。

古い作品ほど、題の出どころは不明になる。

館は、その不明を不明のまま扱っている。

題は識別のための呼び名であって、作者の言葉ではない。

そう考えておくほうが、間違いが少ない。

今回、家の語で九点が集まったのも、その呼び名のおかげである。

呼び名は、作品そのものより後から付いてくる。

後から付いた名で作品を探すのが、公開データの検索である。

その仕組みを知ったうえで使えば、外れも材料になる。

今回の四点の外れは、いずれも語の使われ方を教えてくれた。

浴場、蔵、屋敷、戸口。

家という語の周りに、これだけの意味が集まっている。

言葉の側から見ると、家はかなり大きな入れ物である。

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