名画の楽しみ方

地図は、誰も見ていない眺めである——ノッリ・バルバリ・ホイッスラーほか九点

地図は上から見た図だが、上から見た人はいない。測って、計算して、紙の上で組み立てる。九点で数えると、大きな地図は十二枚と六枚の紙でできていた。縮尺が読めるのは一点だけである。方位が示されるのは四点で、北が上とはかぎらなかった。

ローマ新地図(通称ローマ大地図)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ノッリ《ローマ新地図(通称ローマ大地図)》クリーヴランド美術館蔵

十二枚の紙が、一つの都市になる

一枚の版画に、都市の全体がある。

正確には、一枚ではない。

十二枚の紙を並べたものである。

さらに、索引の紙が四枚付く。

館の記録の技法欄に、そう書かれている。

館の記述によれば、十二枚を組むと縦一.五メートル、横二.一メートルほどになる。

画像で見ると、紙は格子状に並んでいる。

各紙の境目に、細い線が走る。

描かれているのは、町の平面である。

建物の輪郭が、細い線で埋め尽くされている。

道は白く残され、網の目のように広がる。

川が、画面を斜めに横切る。

川の縁には、細かい線で岸が示される。

下の左右の隅には、絵が入っている。

古代の遺構と、人物らしい。

館の記述によれば、この地図は十年以上の測量に基づく。

その都市の最初の科学的な図とされている。

そして館は、面白い事情も書いている。

作者は、修道院の中庭など、入れない場所まで測る許可を得た。

その許可は、当時議論を呼んだという。

ローマ新地図(通称ローマ大地図)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ノッリ《ローマ新地図(通称ローマ大地図)》1748年。館の記録では、十二枚の紙と索引四枚。番号は2020.276。クリーヴランド美術館蔵。ジョヴァンニ・バッティスタ・ノッリ《ローマ新地図(通称ローマ大地図)》クリーヴランド美術館蔵

地図は、上から見た図である。

だが、実際に上から見た人はいない。

測って、計算して、紙の上に組み立てる。

つまり、地図は誰も見たことのない眺めである。

九点を並べて、その作られ方を数えたい。

地図と、地図でないもの

集めかたは、館の記録の題によっている。

地図、絵図、見取図にあたる語が入るものを拾った。

九点のうち、地図そのものが四点だった。

地図を作る人の肖像が、一点。

そして、記録の記述に地図の語が出てくるものが四点ある。

最後の四点は、題に地図の語がない。

館の記述のなかに出てくるだけである。

そこも、後で扱う。

まず、地図の四点を見たい。

六枚の版木で、町を刷る

二点目は、十六世紀の木版である。

全体で132.7×277.5センチ。

二メートル七十七の幅がある。

この連載で扱った作品のなかでも、屈指の大きさである。

六枚の版木で、六枚の紙に刷られている。

その六枚を貼り合わせて、一つの画面にする。

画面には、水に囲まれた町がある。

町は上から斜めに見下ろした形で描かれる。

建物の一つずつに、屋根と壁と窓がある。

運河が町を貫き、橋が架かる。

広場も、鐘楼も、造船所も見える。

周りの水面には、帆船が浮かぶ。

上のほうには、雲と、風の神らしい姿がある。

館の記述によれば、これは版画の歴史の画期である。

そして、壁の装飾に比べうる大きさだという。

絵画の代わりとして、安く手に入る大画面だった。

六枚の紙は、布か壁に直接貼られた。

そのため、最初の版の摺りは十二枚しか残っていないという。

館は、その数字まで書いている。

ヴェネツィアの眺め
ヤコポ・デ・バルバリ《ヴェネツィアの眺め》1500年。館の記録では、六枚の版木から六枚の紙に刷った木版。全体132.7×277.5センチ。番号は1949.565。クリーヴランド美術館蔵。ヤコポ・デ・バルバリ《ヴェネツィアの眺め》クリーヴランド美術館蔵

手で描かれた海図

三点目は、ペンで描かれた図である。

47.6×37.1センチ。

縦長の紙である。

画面の上のほうに、枠がある。

その中に、題が手書きされている。

港の海図と平面図、という意味の文字である。

画面の中央から下へ、水路と陸地が広がる。

陸地には、細かい文字が書き込まれている。

地名だろう。

海には、水深らしい数字が点々と打たれている。

右下には、方位を示す円がある。

十六の方向へ線が伸びる。

そして下の縁に、縮尺の目盛りが引かれている。

つまり、この一点は実用の図である。

館の記録によれば、没食子のインクで描かれている。

鉄を含むインクで、時間とともに茶色に変わる。

ニューヨーク港の海図と平面図
ピーター・ヴァン・ステーンバーグ《ニューヨーク港の海図と平面図》1794年。館の記録では、オフホワイトの簀の目紙にペンと没食子インク。47.6×37.1センチ。番号は63.49。メトロポリタン美術館蔵。ピーター・ヴァン・ステーンバーグ《ニューヨーク港の海図と平面図》メトロポリタン美術館蔵

四点目は、素描帖の一葉である。

19.7×13.3センチ。

縦長で、黒インクと水彩で描かれている。

画面には、大陸の輪郭がある。

南北に細長い二つの陸地が、細い部分でつながる。

西半球の形である。

輪郭の内側には、細かい文字が書き込まれている。

地名らしいが、読み取れない。

海には、経線と緯線が引かれている。

右上に、番号が書かれている。

紙の縁は、黒く縁取られている。

館の記録によれば、制作は1851年である。

この画家は、当時十七歳だった。

つまり、これは学生の練習である。

後に画家として知られる人物が、地図を写している。

西半球の地図(素描帳より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《西半球の地図(素描帳より)》1851年。館の記録では、淡い黄褐色の紙に黒インクと水彩。19.7×13.3センチ。番号は1970.121.62。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《西半球の地図(素描帳より)》メトロポリタン美術館蔵

五点目も、素描帖の一葉である。

12.1×19.7センチ。

横長で、黒鉛だけで描かれている。

画面には、細い線が枝分かれしながら走る。

川と、その支流である。

線の脇に、小さな文字が書き込まれている。

地名らしい。

左のほうに、四角い形と斜線がある。

湖か、山の記号だろう。

右上に、小さな帆船の絵がある。

つまり、これは覚え書きの地図である。

館の記録の題にも、地図の語が入っている。

この帖からは、これで十三枚目になる。

港から眺めまで、十二の回で取り上げた。

タコマ山北西部の地図(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《タコマ山北西部の地図(スケッチブックより)》1890年。館の記録では、網目紙に黒鉛。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4iii表。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《タコマ山北西部の地図(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

地図を作る人の肖像

六点目は、油彩の肖像である。

全体で40.5×32.5センチ。

画面の右に、男が座っている。

眼鏡をかけ、黒い上着を着ている。

机に向かい、手に道具を持つ。

机の上には、書物と紙が積まれている。

紙には、線が引かれているように見える。

その左に、女性が立っている。

白い衣に青い頭巾。

手に、果物を盛った器を持つ。

男の肩に、もう一方の手を置いている。

背景には、緑の布と、窓らしい明るい面がある。

館の記録の題によれば、この男は地図製作の教授である。

つまり、地図を作る人の肖像である。

机の上の紙が、その仕事を示している。

館の記録に、記述の欄はない。

分かるのは、題と年と技法と寸法だけである。

地図製作者ヨーゼフ・ユットナー教授と妻
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー《地図製作者ヨーゼフ・ユットナー教授と妻》1824年。館の記録では、油彩・板。全体40.5×32.5センチ。番号は2006.157.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー《地図製作者ヨーゼフ・ユットナー教授と妻》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

記述のなかの地図

残る三点では、題に地図の語がない。

館の記述のなかに出てくるだけである。

一点目は、日本の版画である。

25.6×37.5センチ。

画面の右に、大きな山がある。

裾が右下から左上へ、なだらかに伸びる。

山肌は赤茶色で、頂の近くだけ白い。

雪である。

裾のほうは、濃い青と緑で、森が点で示される。

空は上が濃い青、下が白い。

白い雲が、横に細長く並ぶ。

館の記述によれば、この山は旅の案内書によく載った。

そして、地図では山の形をした記号で位置が示されたという。

さらに、どこから見るのがよいかも記されていた。

つまり、地図が眺めの場所を指定していた。

館の記述はさらに、刷りの事情にも触れている。

版木の木目が、赤い色とともに紙に写っているという。

凱風快晴(富嶽三十六景より)
葛飾北斎《凱風快晴(富嶽三十六景より)》1830年代前半。館の記録では、多色木版。25.6×37.5センチ。番号は1930.189。クリーヴランド美術館蔵。葛飾北斎《凱風快晴(富嶽三十六景より)》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、二十世紀の色刷り木版である。

館の記録に、寸法の欄はない。

画面の中央に、白い建物がある。

丸屋根が一つ、その左右に小さな屋根が並ぶ。

四隅には、細い塔が立つ。

建物の手前に、細長い水路がある。

水は明るい緑で、建物を映す。

その両側に、糸杉が並ぶ。

木は暗い緑で、まっすぐ立つ。

手前の道に、赤い衣の人影が一つある。

空は淡い水色である。

館の記述は、現在との比較から始まっている。

いまは誰でも、地図の道具を使って建物のなかを歩ける。

だが二十世紀の初めには、そうではなかった。

旅した人の話と絵に頼るしかなかった。

つまり、地図の語は現在の話として出てくる。

作品そのものとは、関係がない。

機械で語を探すと、こういう一致も起きる。

アグラのタージ・マハル
チャールズ・ウィリアム・バートレット《アグラのタージ・マハル》1916年。館の記録では、色刷り木版。番号は1940.830。クリーヴランド美術館蔵。チャールズ・ウィリアム・バートレット《アグラのタージ・マハル》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、写真である。

画面は35.5×27.8センチ。

紙は50.5×40.6センチある。

縦長の画面である。

画面の左右に、切り立った崖がある。

崖は黒く、層が斜めに走る。

その間に、狭い谷が奥へ続く。

谷底には、石が転がる。

奥のほうは明るく、遠い岩壁が見える。

空は、上端にわずかに写るだけである。

台紙の上には、印刷された文字がある。

館の記録によれば、そこには政府の部局名と印がある。

そして、探検の名も刷られている。

館の記述によれば、この写真家は政府の測量隊に同行した。

その隊の任務は、地形図を作ることだった。

つまり、この写真は地図作りの副産物である。

館はさらに、同じ場所を反対向きに撮った一点があるとも書く。

その番号まで記録されている。

コロラド川、カナブ・ウォッシュの峡谷、南を望む
ウィリアム・エイチ・ベル《コロラド川、カナブ・ウォッシュの峡谷、南を望む》1872年。館の記録では、ガラス原板からのアルビュメン・プリント。画面35.5×27.8センチ。紙は50.5×40.6センチ。番号は2021.204。クリーヴランド美術館蔵。ウィリアム・エイチ・ベル《コロラド川、カナブ・ウォッシュの峡谷、南を望む》クリーヴランド美術館蔵

地図の絵は、大きさの幅が広い

寸法を並べておきたい。

いちばん大きいのは、六枚続きの木版である。

132.7×277.5センチ。

次が、十二枚組の地図で、組むと一.五メートル掛ける二.一メートルほど。

いちばん小さいのは、素描帖の一葉である。

12.1×19.7センチ。

面積で比べると、千五百倍以上の差がある。

同じ地図という語で、この幅が出る。

理由は、用途の違いにある。

壁に貼る町の図は、大きくなければ細部が読めない。

覚え書きの地図は、帖に収まればよい。

つまり、地図の大きさは使われ方で決まる。

前に眺めを扱った回でも、同じ話をした。

売られる眺めは複製され、手元で見る眺めは小さい。

地図も、その原則に従っている。

そして、大きな地図ほど作るのに時間がかかる。

十年以上の測量、六枚の版木の彫り。

その手間が、そのまま大きさになっている。

館の記録は、その手間を記述の欄に書いている。

寸法の欄だけでは、そこは読めない。

数え直す

九点を並べ直したい。

地図そのものが、四点。

地図を作る人の肖像が、一点。

記述に地図の語が出てくるのが、三点。

そして、地図に基づく眺めが一点である。

最後の一点は、山の版画である。

地図が眺めの場所を指定していた、という関係にある。

地図は、複数の紙でできている

四点の地図を見て、共通する点があった。

大きな地図は、複数の紙でできている。

十二枚と索引四枚の地図。

六枚の版木から六枚の紙に刷った町の図。

いずれも、一枚では収まらない。

理由は、紙と版の大きさに限りがあるからだ。

手漉きの紙には、作れる大きさの上限がある。

版木も、大きくすると割れる。

だから分けて作り、後で貼る。

貼れば、継ぎ目が残る。

継ぎ目は、地図の宿命でもある。

一方、小さな地図は一枚で済む。

海図の一点も、素描帖の二点も、一枚である。

つまり、地図の枚数は縮尺で決まる。

細かく描くほど、紙が要る。

前に巻子や屏風でも、同じ話をした。

長い画面は、継いで作る。

地図も、その仲間である。

地図には、記号と文字が要る

四点の地図で、記号と文字を数えたい。

文字が書き込まれているのは、四点すべてである。

地名が入らなければ、地図として使えない。

方位を示す記号があるのは、一点。

縮尺の目盛りがあるのも、一点。

経線と緯線があるのは、一点である。

つまり、四点のうち一点だけが完全な体裁を持つ。

海図の一点である。

残る三点には、方位も縮尺もない。

素描帖の二点は、覚え書きだから当然だろう。

町の平面図には、縮尺があったかもしれない。

画像では、下の縁が読み取れない。

そして、記号は地図ごとに違う。

山を三角で示すもの、建物を輪郭で示すもの。

前に扱った版画の記述にも、山の形をした記号の話があった。

記号は、決まりがなければ通じない。

だから地図には、たいてい凡例が付く。

今回の四点には、凡例らしいものは見当たらなかった。

地図は、誰のために作られるか

九点の地図で、作られた目的を見たい。

記録から読めるのは、四点である。

一点は、都市の正確な図を作るためだった。

一点は、絵画の代わりになる大画面としてだった。

一点は、港へ入る船のためである。

一点は、政府の測量のためだった。

つまり、目的はばらばらである。

学術、装飾、実用、行政。

そして、目的が違えば作り方も変わる。

学術の地図は、測量に十年かける。

装飾の地図は、建物の壁や塔まで描き込む。

実用の海図は、水深と方位を書き込む。

行政の測量では、写真が使われた。

同じ地図という語が、四つの仕事を指している。

前に扱った家や島の語と、似た広がりである。

一つの語が、いくつもの用途にまたがっている。

そして今回は、その用途の差が画面にはっきり出ていた。

水深の数字がある図と、屋根の形がある図。

見比べれば、何のために作られたかが分かる。

館の記録は、そこまで書かないことが多い。

書かれていたのは、九点のうち四点だった。

地図と絵の、境目

九点を見ていて、境目が曖昧になる点があった。

十六世紀の町の図である。

館の記録の題は、眺めという語を使っている。

地図とは書かれていない。

だが館の記述は、鳥瞰の地図と呼んでいる。

そして、すべての建物と運河と路地と広場が記録されているとも書く。

つまり、地図としても、絵としても扱える。

画面は斜めから見下ろした形で描かれる。

真上からではないので、建物の壁が見える。

屋根も、窓も、塔の形も分かる。

真上から見た平面図では、それは描けない。

十八世紀の地図が、その対極にある。

そちらは、建物を輪郭だけで示す。

館の記述によれば、その方式には名前がある。

水平に一枚切った断面、という考え方である。

つまり、同じ都市を描いても方式が違えば別のものになる。

斜めから見れば絵に近く、真上から見れば図に近い。

九点のなかで、その両方がそろっていた。

二百五十年の差がある二点である。

その間に、地図は絵から離れていったのだろう。

地図は、誰も見ていない眺めである

数えた結果から、一つのことを書きたい。

地図は、上から見た図である。

だが、実際に上から見た人はいない。

十八世紀の地図の作者は、十年以上かけて町を歩いた。

歩いて、測って、紙の上で組み立てた。

十六世紀の町の図も、同じである。

館の記述は、飛行機も写真も気球もない時代の作だと書いている。

それでも、建物と運河と路地と広場がすべて描かれている。

つまり、地図は積み上げて作られる眺めである。

前に一望の絵を扱った回では、視点の高さを数えた。

そこでは、九点のうち一点だけが上から見下ろしていた。

地図は、その延長にある。

そして、地図のほうが徹底している。

視点が一つに定まらず、どこも真上から見た形になる。

そのために、実際には見えない形が描かれる。

建物の屋根も、壁も見えない。

見えるのは、床の輪郭だけである。

館の記述は、その方式に名前があることも書いていた。

記録は、縮尺を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、縮尺の欄はない。

書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。

地図の寸法は、紙の寸法である。

描かれた土地の広さは、書かれていない。

一点だけ、館の記述に大きさが出てくる。

十二枚を組んだときの大きさである。

縦一.五メートル、横二.一メートルほど。

これも、紙の寸法である。

その紙に、どれだけの範囲が入っているかは書かれない。

つまり、記録からは縮尺が分からない。

分かるのは、画像のなかの目盛りからだけである。

そして目盛りがあるのは、九点のうち一点だった。

海図の一点である。

地図という主題を扱いながら、縮尺が読めるのは一点だけ。

これは、記録の欄が作品の物としての側面しか扱わないからである。

内容としての情報は、記述の欄に入るか、入らない。

今回は、四点に記述があった。

そのうち二点で、地図の作り方に触れられていた。

測量に十年以上かかったこと。

入れない場所を測る許可が要ったこと。

六枚の版木を彫り、六枚の紙に刷ったこと。

貼ったために、十二枚しか残っていないこと。

いずれも、画像からは分からない。

記録がなければ、書けなかった話である。

そして、その記録は館の学芸員が調べて書いたものである。

調べた分だけ、記述が厚くなる。

有名な作品ほど、調べた人が多い。

九点でも、その差ははっきり出ていた。

十八世紀の地図と十六世紀の町の図には、長い記述がある。

素描帖の二点には、題と技法と寸法しかない。

同じ地図でも、記録の厚さは千倍近く違う。

その差は、作品の価値の差ではない。

調べられた量の差である。

有名な地図には、調べる人がついた。

素描帖の覚え書きには、つかなかった。

それだけのことである。

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