作品を知る

天体の月と、暦の月——岳翁蔵丘の周辺・杜堇・ナヤほか九点

一か月分の繕い物
イーノック・ウッド・ペリー《一か月分の繕い物》1876年。館の記録では、オフホワイトの網目紙に水彩、グワッシュ、アラビアゴム。50.8×40センチ。番号は66.240。メトロポリタン美術館蔵。イーノック・ウッド・ペリー《一か月分の繕い物》メトロポリタン美術館蔵

二点目は、油彩である。

81.5×99.9センチ。

画面の中央に、大きな木がある。

葉は黄と橙で、細かい筆が重なる。

その左右にも、木が並ぶ。

地面は淡い紫と桃色である。

草か、落葉らしい。

奥には、低い斜面が続く。

空は明るく、木の間から白く見える。

館の記録の題は、十月の朝という。

季節と時刻が、題に入っている。

だが、月は描かれていない。

朝だから、当然である。

十月の朝
フランク・エー・ビックネル《十月の朝》1910年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。81.5×99.9センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。フランク・エー・ビックネル《十月の朝》スミソニアン協会蔵

三点目は、油彩である。

全体で37.8×51センチ。

画面の中央に、湖が広がる。

水は明るい青緑である。

その岸に、人が長い列を作っている。

数十人はいる。

湖には、大きな舟が一艘いる。

帆を張り、岸を離れようとしている。

右には、砦らしい建物がある。

丘の上に立ち、壁が見える。

空は淡い桃色である。

館の記録の題には、日付が入っている。

十一月十八日、という日付である。

制作は、その百七十年後である。

つまり、これも後から描かれた歴史の場面である。

前に扱った例と同じ種類の作品である。

1678年11月18日、オンタリオ湖のフロンテナック砦を発つ探検隊
ジョージ・カトリン《1678年11月18日、フロンテナック砦を発つ探検隊》1847〜48年。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体37.8×51センチ。番号は1965.16.316。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジョージ・カトリン《1678年11月18日、オンタリオ湖のフロンテナック砦を発つ探検隊》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

四点目は、水彩である。

紙は38.7×54.6センチ。

画面の右に、大きな崖がある。

崖は桃色と橙と紫で塗られる。

岩の面が、色の帯として並ぶ。

その下に、白い波が砕ける。

波は厚く塗られ、青と白が混ざる。

左のほうは、海である。

水は緑がかった青である。

上には、薄い黄の空がある。

館の記録の題は、断崖と十一月である。

つまり、季節を示す月の名である。

月そのものは、どこにもない。

断崖、十一月
チャールズ・シドニー・ホプキンソン《断崖、十一月》1926〜27年。館の記録では、水彩。紙は38.7×54.6センチ。番号は1928.221。クリーヴランド美術館蔵。チャールズ・シドニー・ホプキンソン《断崖、十一月》クリーヴランド美術館蔵

月が、組物の名に入る

最後の一点は、少し違う。

日本の版画で、21.6×34センチ。

横長の画面である。

画面には、雪の積もった池がある。

水は青く、岸は白い。

中央に、赤い社が建つ。

屋根には雪が厚く積もる。

左右に、木が並ぶ。

枝にも雪が載っている。

手前には、細い橋が架かる。

橋の上に、小さな人影がある。

右上に、題を書いた枠がある。

館の記録の題によれば、これは名所を集めた組物の一枚である。

その組物の名に、雪と月と花の三語が入っている。

つまり、この一枚は雪の景を担当している。

月の景は、別の一枚にある。

前に雪を扱った回でも、同じ三語の組み合わせを見た。

雪月花という並びは、東アジアで古くから使われる。

三つとも、移ろうものである。

井の頭の池弁財天の社雪の景(名所雪月花より)
歌川広重《井の頭の池弁財天の社雪の景(名所雪月花より)》1844〜45年頃。館の記録では、多色木版、大判。21.6×34センチ。番号は1934.283。シカゴ美術館蔵。歌川広重《井の頭の池弁財天の社雪の景(名所雪月花より)》シカゴ美術館蔵

月の絵に、人は一人か二人

九点で、人の数を数えたい。

天体の月が描かれた四点では、人は少ない。

一人が二点、二人が一点。

写真の一点には、遠くに数人が見えるだけである。

暦の月の四点では、人の数がばらばらである。

一人が二点、数十人が一点、人のいないのが一点。

つまり、月のある画面ほど人が少ない。

これは、前に夜を扱った回とも重なる。

夜の絵も、人が少なかった。

月は夜の光だから、当然かもしれない。

そして、一人で描かれた三点は、いずれも歩くか立つかしている。

観音は立ち、詩人は歩き、聖母は月の上に立つ。

座っている人は一人もいない。

月を見るには、外へ出る必要がある。

外に出れば、立つか歩くかになる。

室内で月を見る画面は、九点に一つもなかった。

前に窓を扱った回では、外を見る人が少なかった。

窓越しに月を見る絵もあるはずだが、今回は集まらなかった。

九点という数では、そこまで拾えない。

月のある画面は、縦に長い

判型を並べておきたい。

天体の月が描かれた四点のうち、縦長が三点である。

横長は、写真の一点だけだった。

縦長の三点は、いずれも月が上のほうにある。

そして、その下に人や木がある。

上を見上げる構図になっている。

月は空にあるので、見上げることになる。

見上げる姿を入れるには、縦の画面が向く。

上に月、下に人。

その配置が、そのまま縦長の画面を作る。

横長の一点では、月は雲の切れ目にある。

しかも、画面の上の隅である。

主役は広場と建物で、月は添え物にすぎない。

だから横長でも成り立つ。

一方、暦の月の四点は、三点が横長だった。

こちらは風景と場面の絵である。

月とは関係がないので、判型も関係がない。

つまり、天体の月がある画面だけが縦に寄る。

九点の分かれ方は、そこにも出ていた。

館の記録は、判型を選んだ理由を書かない。

書かれるのは、結果としての寸法だけである。

数え直す

九点を並べ直したい。

天体の月が描かれているのは、四点。

そのうち、白い円として描かれているのが二点。

三日月として描かれているのが一点。

雲の切れ目の光として写っているのが一点である。

暦の月が題に入っているのが、四点。

組物の名に月が入っているのが、一点。

つまり、天体の月と暦の月がほぼ半々だった。