暮らしと名画

口は、穴の名である——祇園井特・ルドン・カイユボットほか九点

謙譲の聖母とエバの誘惑
オリヴッチョ・ディ・チッカレッロ《謙譲の聖母とエバの誘惑》1400年ごろ。館の記録では、テンペラと金・板。額を外して181.5×88.6センチ。番号は1916.795。クリーヴランド美術館蔵。オリヴッチョ・ディ・チッカレッロ《謙譲の聖母とエバの誘惑》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この上下の対比を書いている。

聖母は、へりくだって地面に座り、子に乳を与える。

聖ゲオルギウスと二人の大天使が、近くに跪く。

弟子たちは、光輪から放射する星の形で現れる。

その純潔と対をなすように、下にエバが横たわる。

蛇にそそのかされ、禁じられた果実を口へ運ぶ。

そして、原罪によって人を罪に落とす。

館は、板の傷にも触れる。

蛇の顔とエバの手首のあたりに、深い引っかき傷がある。

つまり、この画面には二つの口がある。

上では、子の口が乳を受ける。

下では、女の口が果実を受ける。

どちらも、口に何かが入る場面である。

前の一点では、口から出るものが描かれた。

ここでは、口へ入るものが描かれる。

そして、入ることのほうが罪とされている。

出るものは、言葉である。

入るものは、食べものである。

罪になったのは、入れたほうだった。

しかもエバは、まだ口に運ぶ途中である。

食べ終わった場面は、描かれない。

口に、くわえる

小さな素描である。

紙は10.8×5.7センチ。

指二本ほどの幅しかない。

男が一人、立っている。

全身が入る。

顔は、やや左を向く。

帽子をかぶる。

つばは、狭い。

上着は、腰までの丈である。

前が、開いている。

下は、長い脚衣である。

靴の先が、外を向く。

両手は、腰の後ろにある。

背をそらし、腹を前へ出す。

そして、口のあたりに細い線が一本ある。

斜め上へ突き出ている。

煙草である。

線は、墨と鉛筆で引かれる。

影は、ほとんどない。

煙草をくわえて立つ男(素描帳より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《煙草をくわえて立つ男(素描帳より)》1854年から1855年。館の記録では、黒インクと黒鉛・生成りの織目紙。10.8×5.7センチ。番号は1970.121.21。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《煙草をくわえて立つ男(素描帳より)》メトロポリタン美術館蔵

館の札は「男性たち」と「喫煙」の二つである。

口の札はない。

しかし題には、口という語が入る。

口の中の煙草、という言い方である。

日本語では、くわえると言う。

一語で済む。

英語は、場所を指定する必要がある。

手ではなく、口に、と言わなければならない。

前の二点では、口は出入口だった。

ここでは、口は保持する場所である。

入れたまま、出さず、飲み込まない。

手を使わずに物を持つ方法として、口がある。

だから、両手は腰の後ろで空いている。

素描帳の一枚だから、線は速い。

煙草は、たった一本の線である。

それでも、くわえていることはわかる。

この素描帳は、作者が十代の終わりに使ったものである。

画家になる前の線である。

人物の姿勢を、素早く写すことに使われた。

口の一本の線も、その速さの中にある。

舌が、体から離れる

油彩である。

73×54センチ。

縦長である。

画面に、二つのものが吊るされる。

上から、鉤で下げられている。

左は、仔牛の頭である。

皮が剥がれている。

赤い肉が、露わである。

眼窩が、黒くくぼむ。

耳のあたりに、白い部分がある。

その下に、長いものが垂れる。

舌である。

先が、丸い。

根元は、太い。

右は、牛の舌である。

こちらは、単体で吊るされる。

淡い桃色である。

表面は、なめらかである。

下に、白い台がある。

台には、金具が並ぶ。

背景は、青灰色である。

仔牛の頭と牛の舌
ギュスターヴ・カイユボット《仔牛の頭と牛の舌》1882年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。73×54センチ。番号は1999.561。シカゴ美術館蔵。ギュスターヴ・カイユボット《仔牛の頭と牛の舌》シカゴ美術館蔵

館の記録は、短い。

作者と題と年と材料と寸法だけである。

説明の文はない。

題が、すべてを言っている。

仔牛の頭と、牛の舌。

舌は、口の中にある器官である。

それが、単体で商品になっている。

肉屋の店先の絵である。

ここで口は、解体されている。

頭からは、舌が垂れる。

もう一方は、舌だけである。

前の四点では、口は人の顔の一部だった。

ここでは、口は部品として売られている。

部品になると、それは食べものである。

食べる口と、食べられる口が、同じ画面にある。

この画家は、市場や店先を何度も描いた。

吊るされた肉の絵も、いくつかある。

下の白い台は、大理石らしい。

冷たい面に、肉を置く。

画面は、台から上だけを切り取っている。

鴨の口から、酒が出る

細密画である。

絵の部分は20.6×14.6センチ。

楕円の枠がある。

枠の中に、女が一人立つ。

体は、右を向く。

衣は、緑である。

上に、透ける薄物を重ねる。

頭に、赤い布を巻く。

耳に、飾りが下がる。

首に、真珠が幾重にもある。

右手に、小さな杯を持つ。

左手に、器を持つ。

その器は、鳥の形である。

鴨の頭が、注ぎ口になっている。

嘴が、下を向く。

そこから、赤いものが落ちる。

酒である。

杯は、たいへん小さい。

器の胴には、金の葡萄が描かれる。

酒を注ぐ宮廷の女性(表)
ムハンマド・リザーヴィー・ヒンディー《酒を注ぐ宮廷の女性(表)》1760年ごろ。館の記録では、樹脂テンペラと金・紙。絵の部分は20.6×14.6センチ。番号は2013.348.a。クリーヴランド美術館蔵。ムハンマド・リザーヴィー・ヒンディー《酒を注ぐ宮廷の女性(表)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この器を詳しく書いている。

硝子か水晶の、鴨の頭をもつ酒器である。

金の葡萄の蔓で飾られ、中身を示している。

赤い酒が、鴨の口から小さな杯へ流れる。

そして、こう書かれている。

こうした鳥の形の酒器は、古い儀式の名残である。

かつての波斯の宮廷にあった、血の供犠の名残だという。

館は、裏面についても書く。

草花の飾りが、中央の書を照らす。

まわりには、対の詩句が小さな字で書かれる。

どれも、恋しい人の美しさと、その人への憧れの詩である。

ここで口は、器物のものである。

しかし、鳥の口として作られている。

つまり、比喩ではなく、形そのものが口である。

そして、そこから液体が出る。

人の口と同じ働きを、器がしている。

そして、注ぐ量は口の細さで決まる。

杯が小さいのは、そのためかもしれない。

細い口からは、少しずつしか出ない。