暮らしと名画

口は、穴の名である——祇園井特・ルドン・カイユボットほか九点

器の口の、上を渡す

赤像式の壺である。

高さは54.6センチ。

口の直径は12.2センチ。

胴は、細長い。

下へ向かって、すぼまる。

高い脚が、下にある。

肩のあたりで、大きく張る。

首は、長い。

その上に、口がある。

そして、口の上を、大きな取っ手が渡る。

取っ手は、弧を描く。

左右の肩から立ち上がる。

頂点は、口より高い。

胴には、人物が描かれる。

衣をまとった女たちである。

座る者と、立つ者がいる。

肌の白は、ほとんど失われている。

両脇に、棕櫚の葉の文様がある。

赤像式提手付きアンフォラ(貯蔵器):衣をまとった女たち
カの画家《赤像式提手付きアンフォラ(貯蔵器)》紀元前330年から320年のあいだ。館の記録では、陶。高さ54.6センチ、口の直径12.2センチ。番号は1967.245。クリーヴランド美術館蔵。赤像式提手付きアンフォラ(貯蔵器):衣をまとった女たち》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この形の名を書いている。

提手付きアンフォラという。

その名は、口の上に高く渡る取っ手から来ている。

この形は、主にカンパニアで作られた。

紀元前四世紀に、カプアとクーマエで赤像式の壺が作られた。

この壺の画家は、名前がわからない。

クーマエの甲、という記号で呼ばれる。

この地域で最初の重要な画家である。

館はさらに、描かれた女たちにも触れる。

この画家の他の壺にも、よく似た人物がいる。

棕櫚の葉の文様も、同じである。

ここで口は、器の開口部である。

前の回でも、壺の肩と胴を見た。

口は、そのいちばん上にある。

体の名が、上から順に並んでいる。

そして取っ手は、その口をまたいで架けられる。

口をふさがずに、持てるようにするためである。

胴の脇にも、小さな取っ手が付くことが多い。

この形は、そうではない。

上に一本だけを渡す。

だから、提げて運べる。

運ぶための形が、名になっている。

川の口

油彩である。

41×66.3センチ。

横長である。

画面の下半分に、水がある。

水面は、静かである。

対岸が、そのまま映る。

中景に、木立がある。

葉は、濃い緑である。

一列に並んで、奥へ続く。

木立の向こうに、草地が広がる。

草は、黄緑である。

小さな建物が、いくつか見える。

屋根だけが、わかる。

遠くに、丸屋根の建物が立つ。

白く、明るい。

空は、薄い黄色である。

雲は、低いところに横たわる。

人は、写っていない。

ジェームズ・クリークの河口
デ・ランシー・ギル《ジェームズ・クリークの河口》館の記録では、油彩・カンヴァス。41×66.3センチ。制作年は記録にない。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。デ・ランシー・ギル《ジェームズ・クリークの河口》スミソニアン協会蔵

館の記録は、ごく短い。

作者と題と材料と寸法である。

年すら、書かれていない。

地域として、首都特別区とだけある。

題にある河口は、英語では川の口である。

川が別の水に注ぐところを、そう呼ぶ。

水が出ていく場所である。

だから、口という語が当てられる。

日本語でも、河口と書く。

口の字を使う点は、同じである。

前の二点では、器物の口だった。

ここでは、地形の口である。

いずれも、何かが出入りする開口部を指す。

そして九点の最後にして、人の姿が消えた。

口という語だけが、土地の名として残っている。

数えてみると

九点を数え直す。

人の口が画面に見えるのは、五点である。

美人、実験の被験者、黙示録の人物、エバ、煙草をくわえた男。

動物の口が、一点。

解体された頭と舌である。

器物の口が、二点。

地形の口が、一点。

人の口の五点を、働きで分ける。

塗られるのが、一点。

筋肉を動かされるのが、一点。

ものが出るのが、一点。

ものが入るのが、一点。

ものをくわえるのが、一点。

五点が、五通りに分かれた。

出る、入る、留める、塗る、動かす。

口にできることが、ほぼ出そろっている。

そして、器物と地形の三点は、すべて開口部である。

出入りする穴を、口と呼ぶ。

九点を通して、その一点だけは揺れなかった。

言えることと、言えないこと

言えるのは、口が穴の名だということである。

体の中で、外へ開いている穴はいくつかある。

そのうち、いちばん大きく、いちばん自由に開閉するのが口である。

だから、穴の代表として名が使われる。

壺にも、川にも、洞にも使われる。

そして、出入りの向きは問わない。

酒が出る鴨の口も、果実が入るエバの口も、同じ語である。

言えないことも、いくつかある。

まず、口の形は感情と結ばれている。

それを最初に体系立てたのが、九点のうちの一点だった。

ただし、あの写真の被験者は感情を持っていない。

電気で筋肉を動かされているだけである。

つまり、形だけがあって、中身がない。

それでも、題には不満と不機嫌と書かれる。

形から中身を読むことを、あの実験は証明しようとした。

同時に、形と中身が切り離せることも示してしまった。

次に、塗られた口の色は、いま見ても緑ではない。

紅を厚く塗った状態を、絵が描いている。

館の説明がなければ、化粧の色だとはわからない。

最後に、河口の一点には、年の記録すらない。

人も写っていない。

それでも、口という語で機械はこれを拾った。

拾ったものを九点目に置いたのは、こちらである。

体の部分は、こうして土地の名まで広がっていく。

広がった先では、もう体は残っていない。

残っているのは、穴の形だけである。

穴があって、そこを何かが通る。

通るものがあれば、口と呼べる。

体の部分の名は、そこまで薄まって、まだ使われている。

そして、口は閉じていても口である。

目は、閉じれば見えなくなる。

手は、握れば形が変わる。

口は、閉じても線として残る。

九点のうち、開いている口は三点だけだった。

残りは、閉じているか、器の口である。

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