正月の絵に、門松は立っていない——湖龍斎・呉彬・ベックマンほか九点
若菜という名の、揃い物
五点目は、錦絵である。

三人が、縦長の紙の中に並んでいる。
いちばん背の高い一人が、大きな包みを抱えている。
その衣には、橋や城や、帆をふくらませた舟が散らしてある。
雲の形の中に、風景の断片が入っている。
供の二人の衣は、花を散らした模様である。
袖の先には、房が下がっている。
右上には、四角い題箋がある。
館の記録では、この房は幼い娘だけが付けるものだという。
三人の肩には、同じ扇を三つ組み合わせた紋がある。
そして題箋には、叢書の名と、季節が書かれているという。
その季節が、正月である。
若菜という叢書の名も、年の初めの行事に由来する言葉である。
館の記録は、先の掛軸との関係にも触れている。
同じ館にある円月堂の掛軸と、同じ季節を描いているという。
肉筆の一点と、版画の一点。
同じ町の、同じ季節の、同じ商売の人々が描かれている。
館の記録は、この二点を互いに参照させている。
番号まで挙げて、同じ季節だと書いてある。
記録の中で、絵と絵がつながっている例である。
そして、二点はどちらも同じ館にある。
同じ棚に並ぶことで、季節の証拠が二重になった。
供の子どもは羽子板を持ち、こちらは大きな包みを持つ。
正月に配る品か、あるいは着替えの包みかは、記録に書かれていない。
来歴の欄は、この一枚がよく旅したことを示している。
日本の収集家の手を離れ、パリの誰かの所蔵となり、1921年の売り立てに出た。
そして同じ年に、館へ入っている。
紙一枚が、三十年ほどで二度海を渡った。
十メートルの巻物で、春を迎える
六点目は、途方もなく長い巻物である。

低い丘と、水辺が続いている。
丘のあいだに、町が抱かれている。
家々の屋根、橋、舟、田畑。
人はどれも小さく、点のように置かれている。
淡い彩色で、墨の線は細かい。
巻を繰るにつれて、場面は次々に変わる。
館の記録では、これは中国東南の水の多い地方の景色である。
丘や湖のあいだの町では、いくつもの春の行事が催されている。
灯籠の飾りや、街での芸能が、新年を祝っているという。
そしてその祝いは、耕作や漁や絹作りの場面と織り交ぜられている。
中景の一場面には、土で作った牛がいる。
天蓋の下に置かれ、行列で建物へ運ばれていく。
春の牛を打つ、と呼ばれる儀式だと記録は書く。
豊かな実りを願うためのものだという。
画面は252.8センチ、表装を含めれば1022.2センチある。
十メートルを超える紙が、正月の行事を端から端まで運んでいく。
九点でいちばん長く、いちばん人数の多い一点である。
上の隅には、作者の書き入れがある。
館の訳では、庚子の年の真冬に描いた、と読める。
その庚子が、1600年にあたる。
そして印が十顆ある。
作者の印のほか、清の三人の皇帝の収集印が並ぶという。
豆知識の欄には、乾隆帝の印が五つあると書かれている。
年始の行事を描いた巻物が、宮廷の蔵で年を越し続けた。
巻物は、一度に全部を見せない。
肩幅ほどずつ繰りながら、右から左へ読んでいく。
つまり、見る行為そのものに時間がかかる。
正月の行事を、時間をかけて追う作りになっている。
十メートルの紙を繰り終えるころには、春も終わっているかもしれない。
門口に、鬼を払う絵を掛ける
七点目は、正月に飾るための絵である。

紙の右のほうに、大きな人物が立っている。
黒っぽい衣をまとい、あごひげを蓄えている。
体は重たげに傾き、足元がおぼつかない。
その体を、小さな者たちが左右から支えている。
支えているのは、角のある鬼である。
上の余白には、細い枝が一本、斜めに垂れている。
墨は淡く、輪郭はにじんでいる。
館の記録では、描かれているのは鍾馗である。
俗信では、悪しきものを退ける強い守り手だという。
とくに元日と、五月五日の節句に、その姿が家に掲げられた。
病や災いを防ぐためである。
つまりこの絵は、飾ることが目的の絵である。
美術館の壁ではなく、家の入り口に掛かるべき一枚だった。
そして面白いのは、その守り手が鬼に支えられていることである。
払うべき相手に、体をあずけている。
記録は、その意味までは説明していない。
銘の欄には、署名と印がある。
さらに、後の持ち主の印が四つ押されているという。
厄を払うための絵が、収集の対象になって印を集めていく。
来歴の欄には、19世紀の画家の名も見える。
同じ国の後の画家が、この軸を持っていた時期があるという。
画家から画家へ渡った、正月の掛物である。
軸は96.9×48.9センチ。
戸口の脇に掛けるには、ちょうどよい大きさだろう。
正月は、芝居の初日でもある
八点目は、役者絵である。