正月の絵に、門松は立っていない——湖龍斎・呉彬・ベックマンほか九点

二人の役者が、体を寄せて立っている。
左の一人は、太い眉と大きな目で、力をこめた姿勢をとる。
衣には、大きな丸い文様が並んでいる。
右の一人は、赤い衣を重ねて優しく立つ。
線は太く、輪郭は勢いよく曲がる。
色は、赤と黄と緑だけである。
刷ったあとに、手で塗り重ねた色だという。
館の記録は、この一枚の細かい素性を書いている。
演目の名、劇場の名、そして上演の月と年である。
1715年の正月、中村座の興行だとある。
つまりこの絵は、正月の芝居の記録でもある。
演目は、曽我兄弟の物語にちなむものである。
正月に曽我物を掛けるのは、江戸の芝居の習わしだった。
もっとも、そこまでは記録に書かれていない。
書かれているのは、上演が正月だったという一点である。
正月の絵と言えば、飾りと遊びを思う。
だがこの一枚は、正月に売られた興行の宣伝でもある。
年の初めは、商いの初めでもあった。
丹絵と呼ばれる、手で色をさした版画である。
摺ったのは墨の線だけで、赤や黄はあとから筆で塗る。
一枚ずつ人の手が入るから、同じ図でも色の乗りが違う。
細判という細長い判型も、この時期の役者絵の定型である。
30.3×15.6センチ。
芝居の行き帰りに買って帰る紙は、この大きさだった。
1917年の、新年おめでとう
最後の一点は、まったく違う正月である。

顔が、画面いっぱいにひしめいている。
十人以上が、狭い場所に押し込められている。
口を開けて笑う顔、目を閉じた顔、うつむいた顔。
たばこをくわえた口が、いくつも見える。
線は荒く、引っかいたような跡が残る。
右のほうの一人は、片目に当て布をしている。
その顔は、頬がこけ、骨が浮いている。
館の記録では、これは祝いの集まりに集まった人々である。
そして、片目に当て布をした骸骨のような人物は、戦争から帰った兵である。
酔った客たちの一人にすぎない、と記録は書く。
新年を祝うことなど、まったくの愚かしさだと画家は言いたげだという。
技法についても記録は触れている。
ドライポイントは、版を直接引っかいて図を作る方法である。
線のまわりに、ささくれが残る。
そこにインクがたまり、摺ると柔らかい黒になる。
紙にペンで走り書きするように、その場で描けるのが強みだった。
さて、題は新年おめでとう、である。
祝いの言葉が、そのまま題になっている。
ここまでの八点では、正月は飾りと遊びと商いだった。
この一点では、同じ言葉が皮肉になる。
1917年のドイツは、戦争のただ中にあった。
同じ祝いの言葉が、時代によって裏返る。
紙は29.8×37センチ、版の跡は24.2×29.8センチ。
版の外に、広い余白が残されている。
その余白の白さが、詰め込まれた顔の圧を強めている。
この版画も、地元の版画愛好会の寄贈で館へ入った。
祝いの皮肉が、会の贈り物として美術館に納まっている。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
正月の品を描いたものが二点。
贈り物の包みと、飾りを添えた夜具である。
遊びを描いたものが二点。
凧と、羽子板である。
季節を装いで示したものが一点。
行事の全体を描いたものが一点。
厄を払うための絵が一点。
そして、芝居の記録が一点、祝いの皮肉が一点である。
産地でも分かれる。
日本が六点、中国が二点、ドイツが一点。
正月の記録の語は、東アジアの目録に多く残っていた。
飾りの品も数えておく。
松の枝が一点、日の出の屏風が一点、羽子板が二点、凧が一点。
門松は、九点のどこにも立っていなかった。
正月の絵と聞いて思い浮かべる門松が、実は来ていない。
集め方のせいだと考えられる。
門松の絵は、たいてい門の絵として記録される。
正月という語の網には、かからないのかもしれない。
紙の形も数えられる。
摺物が二点、柱に掛ける細長い版画が一点。
掛軸が二点、巻物が一点、錦絵が一点、役者絵が一点、銅版画が一点。
このうち三点は、配ったり貼ったりするために作られている。
正月の絵は、飾られる場所を持っている。
美術館の壁は、その場所ではない。
柱に貼られ、門口に掛けられ、年始に配られる。
そうやって使われた紙が、いま額に入っている。
使い終えたら捨てられてもおかしくないものが、残ってしまった。
寸法の幅も大きい。
いちばん小さいのは19.7×18.1センチの摺物。
いちばん長いのは、十メートルを超える巻物である。
同じ年の初めが、手のひらにも、十メートルにも収まる。
年代は1600年から1917年まで、三百年余りに散らばる。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に正月や新年の語を持つものから集めた。
だから、正月と明記された絵ばかりが並んでいる。
正月と書かれずに正月を描いた絵は、この網にかからない。
冬の暮らしそのものは、冬の回で数えたとおりである。
行列と祭りの側は、祭りの回に譲る。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、その正月が何日続いたかは書かれていない。
飾りをいつ外したのかも、凧がいつ落ちたのかも分からない。
分かるのは、飾られた形と、遊ばれた道具だけである。
祝いの言葉だけは、九点のうち一点で裏返っていた。
同じ言葉が、祝いにも皮肉にもなる。
年の初めは、そのどちらの気分も引き受けてきた。
次に正月の絵に出会ったら、飾りの数を数えてみてほしい。
たいていは、二つか三つで足りている。









