道は、五点で奥へ抜けていく——テリス・ピサロ・ハンマースホイほか九点

三点目は、日本の屏風である。
六曲一隻で、画面は133.1×267.6センチ。
全体では136.5×271センチある。
九点のなかで、いちばん大きい。
地は金である。
その上に、緑と朱の丘が置かれる。
丘のあいだを、細い道が蛇行して奥へ延びる。
道は白っぽい灰色で、幅は狭い。
道の上に、二人の人物がいる。
一人は黒い衣で、荷を背負っている。
もう一人は青い衣で、笠をかぶる。
丘には、蔦らしい葉と、赤い実が描かれる。
左端に、丸い赤い印がある。
館の記述によれば、これは十世紀の物語の一場面である。
蔦の茂る峠で、旅の途中の人が僧に出会う。
そして、都にいるかつての恋人への手紙を託す。
そういう場面だという。
館は、その山の名が別の語と同じ音であることにも触れている。

通りの名が、室内の題になる
語の外れに移りたい。
一点目は、二十世紀初めの油彩である。
額なしで50.5×56.2センチ。
画面は室内である。
正面に、白い両開きの窓がある。
窓から入った光が、床に長方形を作る。
その右に、白い扉がある。
扉にも光が当たり、明るい。
左のほうは暗い。
暗がりに、女性が一人立っている。
灰色の服で、こちらに顔を向けない。
手前には、白い布を掛けた机の角がある。
壁は灰色で、装飾はない。
館の記録の題は、ある通りの名と「陽光」である。
館の記述によれば、それは画家の住まいの住所である。
その部屋を、画家は何度も描いた。
つまり通りの名は、住所として題に入っている。
画面に通りは写っていない。
窓の外も、白く飛んでいて見えない。

二点目は、1920年の油彩である。
額なしで41×48.5センチ。
画面は、真上に近い角度から街を見下ろしている。
建物は、色の面として単純化されている。
桃色、白、灰、濃紺。
窓は、白い小さな四角が規則的に並ぶ。
輪郭線はほとんどない。
面と面の境で、色が切り替わる。
右下に、暗い帯が斜めに走る。
その上に、小さな四角がいくつか載る。
館の記録の題によれば、それが高架鉄道である。
通りの名は、その鉄道が走る道の名である。
館の記述によれば、この画面はある短編映画の一場面に基づく。
画家自身が写真家と共同で作った映画だという。
つまり、これは映画の画面を油彩に移したものである。
道は上から見ると、建物のあいだの隙間になる。
歩く場所には見えない。

綴りの偶然で、一点が混じった
三点目の外れは、少し事情が違う。
十九世紀のアメリカの油彩である。
154×128.3センチ。
九点のなかで、二番目に大きい。
画面の左に、細い木が数本立つ。
葉は上のほうにだけ付く。
その右に、開けた土地が広がる。
地面は暗く、水たまりらしい光がある。
奥には、低い丘が霞む。
空は白く、雲が厚い。
道は、はっきり描かれていない。
館の記録の題は、広く静かな谷、という。
道の語は入っていない。
ではなぜ集まったのか。
英語の題の最初の語に、道の語と同じ綴りが含まれていたからである。
広い、という語の中に、道の四文字がそのまま入る。
機械で語を探すと、こういう一致が起きる。
前後を確かめずに拾うと、まったく関係のない作品が混じる。
今回は、その一点を削らずに残した。
語で記録を引くことの限界を、そのまま示すためである。

道の上の人は、たいてい小さい
道に人がいる四点で、人の大きさを見たい。
町の通りの一点では、人は画面の三分の一ほどの高さがある。
数えると、十数人いる。
顔の造作までは描かれていない。
写真の通りでは、人は画面の五分の一ほどである。
二人しか写っていない。
長い露光のあいだ、動かなかった二人である。
田舎の道の二点では、人はさらに小さい。
銅版画の人影は、爪の先ほどしかない。
屏風の二人は、もう少し大きい。
それでも、画面の高さの十分の一ほどである。
つまり、道の絵では人が小さく描かれる。
理由は、道の長さを見せたいからだろう。
人を大きく描くと、道が短く見える。
小さく描けば、その先の距離が伸びる。
例外は、街頭で歌う人を描いた油彩だった。
こちらは、人が画面いっぱいに描かれている。
その代わり、道は一切見えない。
人を大きくするか、道を長くするか。
一つの画面で、両方は成り立たない。
九点は、その選択の結果に分かれている。