屋根は、遠くから見た家である——レンブラント・呉鎮・北斎の周辺ほか九点
屋根の上から、町を見る
屋根が描かれていない例に移りたい。
一点は、写真である。
館の記録の題は、城塞の宮殿の屋上から見た市街の眺め、という。
つまり撮影者は屋根の上に立っている。
写っているのは、そこから見た町である。
手前に、白い建物の平らな屋根がある。
その向こうに、細い塔が四本立つ。
さらに奥に、丸屋根と尖塔の並ぶ建物がある。
町は霞み、輪郭がぼやけていく。
空は白く飛んでいる。
自分の立っている屋根は、画面の下の縁にわずかに写るだけである。
屋根の上に立つと、屋根は見えなくなる。
館の記録によれば、この写真は五十枚組の写真帖の一枚である。
館の記述は、二十世紀の修復前の姿を伝える記録として価値がある、と書く。
同じ記述は、撮影者がもとは銀行員だったとも書いている。

もう一点、屋根を上から見た絵がある。
繊維板に描かれた油彩で、40.6×55.2センチ。
題は《屋根の連なり》という。
画面には、四角い塊がいくつも重なっている。
灰色の壁、赤茶の屋根、黒い窓の穴。
手前には緑の茂みらしい面がある。
塗りは粗く、輪郭は決まっていない。
どこが屋根でどこが壁か、決めにくい部分もある。
上から見ると、屋根は面になる。
三角形ではなく、四角い板として見える。
だから、家の形は分からなくなる。
分かるのは、面が幾つ重なっているかだけである。

屋根になる前の材
もう一点、変わった例がある。
十九世紀のアメリカで描かれた水彩である。
18.6×27.3センチ。
題は、イトスギ材の屋根板の置き場という。
画面には、細長い木が何本も立っている。
葉は上のほうにだけ付く。
手前に、葉を束ねて掛けた粗末な小屋がある。
小屋の屋根も、葉を重ねただけである。
その周りに、人が四、五人いる。
座っている人、しゃがんでいる人がいる。
地面には、板や道具が散らばる。
館の記録に、詳しい記述はない。
題から分かるのは、ここが屋根板を作る場所だということである。
屋根板は、木を薄く割って作る。
割った板を重ねて、屋根を葺く。
この画面には、完成した屋根がほとんどない。
あるのは、材と、それを作る人と、仮の小屋だけである。
屋根の前段階が主題になっている。

屋根の語だけが残る
最後の二点は、語で拾ったことの結果である。
一点目は、フランスの銅版画。
題を訳すと《屋根の上の牛》になる。
画面には、屋根も牛も描かれていない。
描かれているのは、賑やかな酒場である。
丸いテーブルを囲んで、人が二十人以上いる。
手前には、打楽器を叩く人と、大きな弦楽器を弾く人がいる。
奥の壁には、丸い装飾がいくつも掛かる。
テーブルの上には、瓶と杯が並ぶ。
館の記録は、題をそのままの綴りで書いている。
これは、当時のパリにあった店の名である。
店の名が、そのまま題になっている。
だから画面に屋根がなくても、記録は正しい。
題は、場所の名を指しているのであって、光景を指していない。

二点目は、日本語に訳したときに生じた一致である。
館の記録の題は、老人が家の一軒から出てきた、という一文である。
これは小説の挿絵で、題は本文の一行をそのまま使っている。
日本語にすると、そこに「軒」の字が入る。
家を数える語だが、もとの意味は屋根の端である。
画面には、雪の積もった街路が描かれる。
左に、山高帽の男が立つ。
右には、箒を持った女性がいる。
奥に、建物の壁と窓が霞んで見える。
屋根らしい面は、上の隅にわずかにあるだけだ。
館の記述によれば、この絵は1904年の雑誌の挿絵である。
同じ記述は、黒い外套の輪郭が雪のなかで孤立を示す、と書いている。
軒の字は、日本語の側の事情で入ってきた。
もとの記録に、屋根の語はない。

屋根の下に、人はいるか
屋根が描かれた六点で、その下に人がいるかを見たい。
いるのは、二点だけだった。
画帖の一葉では、草庵の中に一人が座っている。
書物を開き、うつむいている。
顔は米粒ほどの大きさしかない。
屋根板の置き場では、粗末な小屋のそばに人がいる。
ただし、小屋の中に入っている人はいない。
みな外の地面に座るか、しゃがんでいる。
残る四点では、屋根の下に人がいない。
三軒の小屋にも、草亭にも、春雨の草庵にも人はいない。
屋根の連なりを描いた油彩にも、人はいない。
家はあるのに、住人が描かれない。
これは風景画に共通する事情だと思われる。
人を描くと、そこが場面になってしまう。
場面になれば、風景ではなく物語になる。
屋根だけを置けば、人の気配だけが残る。
気配を残して人を描かないのが、風景の作法らしい。
館の記録は、住人について何も書かない。
例外は、春雨の草庵だった。
館の記述が、庭の持ち主の名と経歴を書いている。
官を退いた年、庭を作った土地の名まで記録にある。
絵に描かれていない人が、記録には残っている。