屋根は、遠くから見た家である——レンブラント・呉鎮・北斎の周辺ほか九点
屋根の傾きを、見比べる
屋根の傾きも、数えておきたい。
急な傾きが三点、緩い傾きが三点だった。
急なのは、草を厚く葺いた屋根である。
草は水を通しやすいので、急にして流す必要がある。
三軒の小屋の屋根は、地面近くまで下りていた。
草庵と草亭の屋根も、はっきり傾いている。
緩いのは、平らに近い屋根である。
写真に写った白い建物の屋上は、ほとんど水平だった。
雨の少ない土地では、屋根を平らにできる。
平らなら、そこを床として使える。
だからこそ、その屋根の上から写真が撮れた。
屋根の傾きは、その土地の雨の量を映している。
そう考えると、屋根は気候の記録でもある。
ただし、館の記録に気候の欄はない。
書かれているのは、撮影地と年だけである。
傾きから読めることは、あくまで推測にとどまる。
推測であることを、書いておきたい。
数え直す
九点を並べ直したい。
屋根が画面に描かれているのは、六点。
そのうち草葺きが四点、板や瓦が二点である。
屋根を上から見ているのは、二点。
屋根の材だけが写るのが、一点。
屋根が一切描かれていないのが、二点あった。
そのうち一点は店の名、もう一点は翻訳による一致である。
もう一つ数えたいのは、屋根の形である。
三角の切妻として描かれるのが、三点。
丸みを帯びた草の塊として描かれるのが、三点。
平らな面として描かれるのが、二点。
三角と丸と平ら。
屋根の形は、この三つでほぼ足りている。
巻物は、絵より長い
寸法の欄で、いちばん驚いたのは巻子の二点だった。
一点は全長四百八十九センチ、もう一点は千百六十四センチ。
絵の部分は、それぞれ九十九センチと八十一センチである。
つまり巻物の大半は、絵ではない。
何が付いているのか、記録を読むと分かる。
題字と、後の人が書いた文章である。
春雨の草庵のほうには、十二人ぶんの書き込みがある。
館の記録は、その人たちの名と生没年まで列挙している。
いずれも、絵の依頼主と同じ時代の人である。
さらに、二十世紀初めに書かれた題字が付く。
つまりこの巻物は、二百六十年かけて長くなった。
絵は一度描かれて終わりだが、巻物は伸びていく。
草亭の巻子も同じ構造である。
画家自身の詩が絵の隣にあり、その先に他の人の文が続く。
巻物という形式は、後から足せるようにできている。
紙を継げばよいからである。
板絵や油彩では、こうはいかない。
足すとすれば、額を替えるくらいである。
形式が、その後の扱われ方を決めている。
そして館の記録は、その伸びた分もふくめて一つの番号で扱う。
寸法の欄に二つの数字が並ぶのは、そのためである。
屋根は、遠くから見た家である
数えた結果から言えることを、まとめたい。
屋根が描かれる六点は、いずれも家が小さい。
画面のなかで、家が占める面積はごくわずかである。
三軒の小屋の版画でも、家は画面の四分の一に満たない。
草亭の巻子では、家は画面の十分の一もない。
屋根は、遠くから家を示す記号として働いている。
近づけば、屋根は見えなくなる。
見えるのは壁と戸口になる。
だから室内を描いた絵に、屋根は出てこない。
前に見た室内の九点にも、屋根は一つもなかった。
屋根と室内は、同じ家の別の距離である。
そして屋根を上から見ると、また別のものになる。
面としての屋根には、形の記号としての働きがない。
だから《屋根の連なり》の画面では、家が読み取りにくい。
距離が近すぎても、遠すぎても、屋根は屋根に見えない。
ちょうどよい距離があるらしい。
その距離を、今回の六点はおおむね守っている。
屋根は、家の顔になる
屋根の形は、その土地を示す標識でもある。
九点で、屋根の形と土地の対応を見たい。
草を丸く葺いた屋根は、東アジアの三点に出てくる。
厚く葺いて急に傾けた屋根は、北ヨーロッパの一点に出てくる。
平らな屋根は、南アジアの写真に出てくる。
葉を重ねただけの仮の屋根は、フロリダの水彩にある。
材が違い、傾きが違い、厚みが違う。
その差は、手に入る材と降る雨で決まる。
絵は、その差をそのまま写している。
だから屋根を見れば、だいたいの土地が分かる。
人の顔を見て出身を推すのに似ている。
もちろん、外れることもある。
草葺きは世界中にあるからだ。
三軒の小屋の屋根と、草亭の屋根は、材としては近い。
だが線の引き方はまったく違う。
一方は細かい線を下向きに揃える。
他方は、輪郭だけを一筆で取る。
同じ材でも、描き方の伝統が違えば別のものに見える。
つまり屋根の形から読めるのは、土地と、描く流儀の両方である。
そのどちらであるかは、一点だけでは決められない。
九点を並べて、はじめて比べられる。
記録は、屋根の材を書かない
最後に、記録の欄を確かめたい。
九点の記録に、描かれた屋根の材を書く欄はない。
草か、板か、瓦か。
それは画像から読むしかない。
書かれるのは、作品そのものの材である。
紙、絹、繊維板、印画紙。
そのうち二点は、絵より表装のほうがはるかに長かった。
四百八十九センチと、千百六十四センチ。
絵の部分は、それぞれ一メートルと八十センチである。
比で言えば、五倍と十四倍になる。
巻子の寸法の欄は、二つの数字を並べて書く。
画面の寸法と、全体の寸法である。
この二つを並べる書き方は、巻子と掛軸に特有のものだ。
板絵や油彩では、額の有無が二つ目の数字になる。
いずれも、作品の本体と、それを支える部分を分けている。
屋根も、そういう部分である。
家の本体ではないが、なければ家にならない。
記録がその区別を丁寧に書くのは、扱いが違うからだろう。
表装は替えられる。
屋根も葺き替えられる。
替えられるものは、別に数える。
家は、屋根を替えながら建ち続ける。
絵は、表装を替えながら伝わっていく。
どちらも、上に載る部分が先に傷む。
傷んだ部分を替えることで、下の部分が残る。
九点の巻子が六百年以上残っているのは、その仕組みのおかげである。










