部屋は、光の落ち方で決まる——デューラー・北斎・グウェン・ジョンほか九点
光の入り口は、三点にしかない
九点のうち、窓や戸が写るのは三点だけだった。
意外に少ない。
部屋には必ず開口があるはずである。
なければ、暗くて何も見えない。
それでも、開口は画面から外されやすい。
理由はおそらく、光だけあれば足りるからだ。
窓を描かなくても、明るい面と暗い面を作ればよい。
それだけで、光は来ていることになる。
その例が一点ある。
アメリカの画家が描いた《室内》という題の油彩である。
館の記録に、制作年はない。
画面は暗い。
粗い梁が、上を横切る。
奥の壁の上のほうに、小さな明かり取りがある。
そこから、薄い光が入る。
手前の床には、桶らしいものが置かれている。
画面のほとんどは、茶色と黒である。
明かり取りの一点だけが、白い。
その白があるので、暗さが暗さとして読める。
これは納屋か、地下の作業場かもしれない。
館の記録は、そこまで書かない。
題は《室内》の一語だけである。

もう一点、光の入り口を描かない部屋がある。
イギリスの画家が1915年に描いた、小さな油彩である。
こちらも題は《室内》。
大きさは33×24.2センチしかない。
画面の中央に、白い布を掛けた机がある。
机の上に、赤茶の急須が一つ。
白い器が二つ、その手前に置かれる。
手前には、椅子の背が斜めに入る。
その座に、本らしいものが載る。
壁は赤みの強い茶色である。
扉か戸棚の縁が、縦に走る。
窓は、どこにも見えない。
それでも机の上だけが明るい。
光は左の上から来ている、と読める。
館の記述によれば、画家は生涯に二百点に満たない絵しか残さなかった。
同じ記述は、この主題で四点の連作があったことも書く。
残りの三点は、別の三館にあるという。
同じ部屋を四度描いたことになる。

「内部」の語は、部屋の外へ出る
ここからは、語で拾ったことの結果である。
題に部屋を指す語が入るのに、部屋ではないものが三点あった。
削らずに並べる。
語で記録を引くと、必ずこうなるからだ。
一点目は、家具である。
十七世紀末のフランスで作られた、キャビネットの引き出し。
館の記録の題は《キャビネットの内部の引き出し》という。
つまり「内部」は、家具の内側を指している。
黒檀に、金属と鼈甲の象嵌がある。
正面に、左右対称の唐草が描かれる。
大きさは8.9×26.4×37.5センチ。
引き出し一つだけが、単独の番号を持って収蔵されている。
館の記述によれば、この作者は宮廷の家具師だった。
同じ記述は、もとの箱が後の時代に小さく作り直されたらしいとも書く。
引き出しの内部は、人の入れない部屋である。
だが、囲いであることに変わりはない。

二点目は、写真である。
十九世紀にインドで撮られた、アルビュメン・プリント。
題は《デリー、ピルティ・ラージの列柱廊、内部の眺め》という。
画面には、石の柱が奥へ何列も続く。
上には、石の梁が渡る。
だが、壁がない。
柱と柱のあいだは、すべて抜けている。
外光が横から入り、柱の側面を白く照らす。
これは部屋の内部ではない。
屋根のある通路の内側である。
台紙は62×43センチ。
下の余白に、題が刷り込まれている。
館の記述によれば、撮影者は自分の絵では建物の壮麗さを写しきれないと考えた。
そこで現地で写真を学んだ、と記録は書く。

三点目が、いちばん極端である。
十八世紀末の日本の版画で、題に「座敷」の語が入る。
《扇屋滝川 初売座敷の図》という。
新年の最初の座敷、という意味になる。
ところが画面には、座敷がない。
女性が一人、立っているだけである。
背景は無地で、何も描かれていない。
右上に、題を書いた札のような枠がある。
部屋の代わりに、部屋の名が文字で置かれている。
見る人は、その文字から部屋を想像する。

部屋は、面ではなく光で決まる
九点を並べ直したい。
部屋の面が三つ以上見えるのは、四点だった。
面が二つ以下しか見えないのは、三点である。
面が一つも見えないのは、二点あった。
家具の引き出しと、背景無地の版画である。
それでも、九点のうち七点は室内の絵に見える。
面の数と、部屋らしさは一致しない。
一致しているのは、光のほうである。
明るい面と暗い面が画面のなかで分かれている。
そのとき、そこは室内に見える。
分かれていなければ、面をいくら描いても外に見える。
写真の列柱廊が外に見えるのは、そのためだと考えられる。
柱は多いが、光が全体に回っている。
影が、どこにも溜まっていない。
逆に、窓のない小さな油彩は室内に見える。
机の上だけが明るく、周りが暗いからである。
囲いを示すのは壁ではなく、光の落ち方らしい。
ただし、これは九点から言えることにすぎない。
別の九点を選べば、違う数字が出る可能性はある。