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部屋は、光の落ち方で決まる——デューラー・北斎・グウェン・ジョンほか九点

人は、部屋のどこに置かれるか

九点のうち、人が描かれるのは五点だった。

その五点で、人の立つ位置を見たい。

最初の版画では、老人は画面の左奥にいる。

手前には獅子と犬がいる。

つまり、いちばん近いのは人ではない。

見る人の目は、まず床の獣に当たる。

それから奥の机へ進む。

部屋の奥行きが、順路として使われている。

シナゴーグの油彩では、人は全体に散っている。

中央の壇のまわりに、いちばん密に集まる。

奥へ行くほど、人は小さく、細くなる。

数を数えることは、事実上できない。

パンテオンの水彩では、人は下の縁にだけいる。

十人ほどが、二つか三つの塊になっている。

その上は、すべて建築である。

人は、建物の高さを示す目盛りとして置かれている。

摺物では、人は横一列に近い。

左から右へ、座った姿が並ぶ。

奥行きよりも、横の広がりが強い。

紙の形が横に長いからだ。

そして最後の版画では、人は一人だけである。

画面の中央に、立ち姿がある。

背景がないので、位置を言うことができない。

前後も左右もない場所に、人が置かれている。

五点を並べると、置き方に順序が見える。

手前に置くか、奥に置くか、縁に置くか。

散らすか、並べるか、一人にするか。

その選択が、部屋の広さの見え方を決めている。

人の置き方は、部屋の描き方の一部である。

部屋は、外とつながっている

もう一つ、数えておきたいことがある。

外の景色が見える画面は、何点あるか。

九点のうち、一点だけだった。

摺物の座敷である。

欄干の向こうに、夜の田と月が見える。

内と外が、同じ紙の上に続く。

残りの八点では、外が見えない。

窓が描かれた二点も、外は見えない。

最初の版画の窓は、円形のガラスを組んだものである。

光は通すが、景色は通さない。

暗い油彩の明かり取りも、白く光るだけである。

その先に何があるかは、描かれていない。

これは、偶然ではないと思われる。

外を描くと、画面の主題が外へ移るからである。

部屋を見せたい絵は、外を消す。

窓は、光の入り口としてだけ残される。

そう考えると、開口の少なさにも説明がつく。

三点しかなかったのは、必要がなかったからだ。

ただし、これは推測である。

館の記録に、そう書かれているわけではない。

部屋の中の物を、数えてみる

部屋らしさは、置かれた物の数にも出る。

九点で、画面に描かれた物を数えたい。

いちばん多いのは、最初の版画である。

机、書見台、椅子、棚、櫃、燭台。

瓶、箱、鉢、砂時計、頭蓋骨、上履き。

数えられるだけで、十二はある。

数え落としもあるだろう。

物が多いほど、部屋は使われて見える。

次に多いのは、小さな油彩の机の上だった。

急須が一つ、器が二つ、本が一冊。

布が一枚、机に掛かる。

五つか六つで、部屋が成り立っている。

物が少ないほど、部屋は静かに見える。

そして、物が一つもない画面が二点あった。

列柱廊の写真と、背景無地の版画である。

写真のほうは、柱しか写っていない。

版画のほうは、女性一人しか描かれない。

物がなければ、そこは部屋として読めない。

面よりも先に、物が部屋を作っているのかもしれない。

館の記録は、描かれた物を書かない。

ただし、一点だけ例外がある。

小さな油彩の急須について、館は形と産地に触れている。

赤い土で作られた、丸い形の急須だという。

館の記述は、その急須が茶をよく保つと信じられてきたとも書く。

描かれた物のうち、記録に残ったのはこの一つだけである。

「座敷」と「室内」は、同じ語ではない

日本語の題を並べると、語が二つに分かれる。

「室内」と「座敷」である。

もとの記録は、いずれも英語で書かれている。

英語では、どちらも部屋を指す同じ語にあたる。

だが日本語では、指す範囲が違う。

「室内」は、屋根と壁の内側という意味しかない。

納屋でも、地下でも、居間でも使える。

実際、今回の九点では二点が《室内》という題だった。

一点は暗い納屋のような場所である。

もう一点は、茶の道具の置かれた居間である。

同じ題で、まったく違う場所が並ぶ。

「座敷」は、そうはいかない。

畳が敷かれ、客を迎えるための部屋を指す。

用途が語に含まれている。

だから、座敷という題を見た人は、畳を思い浮かべる。

摺物の一点は、実際に畳を描いていた。

版画のもう一点は、畳を描かなかった。

それでも題は「座敷の図」である。

語のほうが、画面より先に部屋を決めている。

翻訳のときに、この差は消えやすい。

英語の一語を日本語にするとき、どちらかを選ばねばならない。

当サイトの日本語題も、その選択の結果である。

選んだのは当社であって、館ではない。

記録は、部屋を書かない

最後に、記録の欄を見ておきたい。

九点の記録には、部屋についての欄がない。

書かれているのは、技法と寸法と番号と出所である。

天井が見えるかどうかは、どこにも書かれない。

窓の有無も、光の向きも書かれない。

書かれるのは、作品そのものの大きさだけである。

紙が20センチであること。

カンヴァスが33センチであること。

引き出しが37.5センチであること。

描かれた部屋の広さは、記録の外にある。

それを測る手がかりは、画面のなかの人の大きさしかない。

人が小さければ広く、大きければ狭い。

パンテオンの内部が広く見えるのは、人が指ほどだからである。

九点のうち、人が描かれるのは五点だった。

残る四点では、部屋の広さを測る目盛りがない。

だから、あの引き出しがどれだけ深いかは、画像からは分からない。

寸法の欄を読んで、はじめて分かる。

部屋を見るときは、画面と記録の両方が要る。

そして、その二つは別のことを語っている。

画面は光を語る。

記録は大きさを語る。

どちらか片方では、部屋は立ち上がらない。

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