美術史・技法

屋根は、九点に一つも残っていない——ベックリン・コール・ヒラーズほか九点の廃墟

廃墟のそばの狩人たち
ヤン・バプティスト・ウェーニクス《廃墟のそばの狩人たち》1648年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで98.8×129.2センチ。番号は1964.294。クリーヴランド美術館蔵。ヤン・バプティスト・ウェーニクス《廃墟のそばの狩人たち》クリーヴランド美術館蔵

もう一点、廃墟が舞台になった版画がある。

紙は12.2×10.8センチしかない。

九点のなかで、いちばん小さい。

画面の右に、二人が向かい合っている。

一人は座り、一人は立つ。

立っているほうは、腕を前に出している。

二人のあいだに、石を積んだ井戸がある。

左には、崩れた壁とアーチがある。

アーチの下は暗く、奥が見えない。

上のほうには、別の人物が壁の上に立つ。

その足もとには、崩れた石が積み重なる。

右手前には、子どもが二人しゃがんでいる。

館の記録の題によれば、これは聖書の場面である。

井戸端での対話が主題である。

その舞台として、廃墟が選ばれている。

聖書に廃墟の指定はない。

画家が、そういう場所として想像した。

廃墟のキリストとサマリアの女
レンブラント・ファン・レイン《廃墟のキリストとサマリアの女》1634年。館の記録では、エッチング。紙は12.2×10.8センチ。番号は1926.475。クリーヴランド美術館蔵。レンブラント・ファン・レイン《廃墟のキリストとサマリアの女》クリーヴランド美術館蔵

廃墟は、風景の飾りにもなる

廃墟が遠くにある例を見たい。

一点目は、銅版画である。

画面は37.5×48.3センチ、紙は43×56.5センチ。

横長の画面で、線だけで描かれている。

左に、大きな木が数本立つ。

葉は細かい線の塊である。

中央には、なだらかな谷が広がる。

谷の底に、白い道と小さな人影がある。

その奥、丘の上に、崩れた壁がある。

小さく、輪郭だけである。

館の記述によれば、この作者は特定の地方の風景ばかり描いた。

滝と、風景と、廃墟を選んだという。

そして、地形の正確さを保ちながら壮大さを伝えようとした、と館は書く。

同じ記述は、この場所が後に観光地になったことにも触れている。

館の記録には、紙の透かしも写されている。

紙を作った工場の名と、王冠の印である。

タラント城の廃墟のある風景
アドリアン・ツィング《タラント城の廃墟のある風景》1800年頃。館の記録では、簀の目紙にエッチング。画面37.5×48.3センチ。紙は43×56.5センチ。番号は2023.117。クリーヴランド美術館蔵。アドリアン・ツィング《タラント城の廃墟のある風景》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、油彩である。

全体で86.4×116.8センチ。

画面の右寄りに、円い塔が立つ。

塔は崩れかけ、上端が欠けている。

石の面には草が生え、蔦が垂れる。

塔の足もとは、緑の斜面である。

斜面に、小さな人影が二つある。

左には、海が広がる。

水面は金色に光っている。

低い位置に太陽があり、雲を照らす。

奥には、岬と島影が重なる。

空は淡い水色と、桃色である。

塔だけが暗く、他はすべて明るい。

館の記録に、記述の欄はない。

題から分かるのは、これがイタリアの海岸だということである。

廃塔のあるイタリア海岸の風景
トマス・コール《廃塔のあるイタリア海岸の風景》1838年。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体86.4×116.8センチ。番号は1993.55.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。トマス・コール《廃塔のあるイタリア海岸の風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

三点目は、ごく小さな水彩である。

10.5×12.7センチ。

淡い茶色の紙に、水彩と黒鉛で描かれている。

画面の中央に、丸屋根の建物がある。

その上に、細い鐘楼が立つ。

建物の壁には、穴が開いている。

左には、低い壁と塔が並ぶ。

手前は白く、雪か砂のように見える。

そこに、小さな人影が数人いる。

館の記録の題によれば、大砲と兵士がいるという。

つまり、これは戦いの後の建物である。

崩れた原因が、時間ではなく人にある。

館の記録によれば、これはあるアルバムに収められた一枚である。

大砲と兵士のいる廃墟(クロップシー・アルバムより)
ベンノ・フリードリヒ・テルマー《大砲と兵士のいる廃墟(クロップシー・アルバムより)》1849年。館の記録では、淡い茶色の網目紙に水彩の淡彩と黒鉛。10.5×12.7センチ。番号は1970.9.12。メトロポリタン美術館蔵。ベンノ・フリードリヒ・テルマー《大砲と兵士のいる廃墟(クロップシー・アルバムより)》メトロポリタン美術館蔵

北米の遺構を撮った二点

残る二点は、性格が違う。

十九世紀末の北アメリカで作られた作品である。

一点は写真、一点は水彩である。

写真の画面は33.2×25センチ。

台紙まで含めると61×50.8センチになる。

画面の上半分は、巨大な岩の壁である。

砂岩らしく、層が斜めに走る。

その岩がひさしのように前へ張り出す。

張り出しの下、日陰になった部分に、建物の跡がある。

石を積んだ低い壁が、いくつも並ぶ。

四角い部屋の輪郭が読める。

手前の斜面には、崩れた石が散る。

人は写っていない。

館の記録によれば、陰画そのものに文字が書き込まれている。

場所の名と、撮影者の名である。

そして館は、その地名の綴りが誤っていることを注記している。

誤りをそのまま写し、誤りであることを付記する。

記録の扱いとして、丁寧な書き方である。

アリゾナ州キャニオン・デ・シェイの断崖住居の遺構
ジョン・ケイ・ヒラーズ《アリゾナ州キャニオン・デ・シェイの断崖住居の遺構》1879〜81年頃。館の記録では、湿板コロジオンの陰画から作った鶏卵紙印画。画面33.2×25センチ。台紙を含めて61×50.8センチ。番号は1991.308。クリーヴランド美術館蔵。ジョン・ケイ・ヒラーズ《アリゾナ州キャニオン・デ・シェイの断崖住居の遺構》クリーヴランド美術館蔵

水彩のほうは、見える範囲で48.9×71.8センチ。

横長の画面である。

中央に、低い石積みの壁が横に伸びる。

壁は赤茶色で、高さは人の背丈ほどに見える。

その内側に、部屋の仕切りらしい線が並ぶ。

手前は、乾いた草地である。

草は黄と緑で、まばらに描かれる。

奥には、平らな台地の縁が横たわる。

空は淡い青で、雲は薄い。

館の記録に、記述の欄はない。

書かれているのは、題と年と技法だけである。

題には、遺跡の名と峡谷の名と州の名が入る。

いずれも、そこに暮らした人々が築いた住居の跡である。

館の記録は、それを遺構と呼んでいる。

当社も、その呼び方に従う。

ニューメキシコ、チャコ・キャニオンのプエブロ・ボニート遺跡
デ・ランシー・ギル《ニューメキシコ、チャコ・キャニオンのプエブロ・ボニート遺跡》1888年。館の記録では、水彩。見える範囲で48.9×71.8センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。デ・ランシー・ギル《ニューメキシコ、チャコ・キャニオンのプエブロ・ボニート遺跡》スミソニアン協会蔵