美術史・技法

屋根は、九点に一つも残っていない——ベックリン・コール・ヒラーズほか九点の廃墟

石は、どこまで積まれているか

崩れた壁の高さを見たい。

九点で、残っている高さを目分量で比べる。

いちばん高いのは、海辺の油彩の壁である。

人の背丈の四倍か五倍はある。

次が、修道院の廃墟の素描。

こちらもアーチが高く残っている。

塔の一点は、人の背丈の三倍ほどだろうか。

低いのは、北アメリカの遺構の二点である。

石積みは、人の背丈ほどしかない。

もっとも、これは崩れた高さではない。

もとから、そういう高さの建物だったのかもしれない。

館の記録は、もとの高さを書かない。

だから、どれだけ失われたかは分からない。

分かるのは、いま残っている高さだけである。

それも、人と比べての目分量にすぎない。

人が描かれていない画面では、それすらできない。

九点のうち四点が、その状態だった。

高さの手がかりが、まったくない。

そういう画面では、崩れの程度も測れない。

測れないまま、画面を見ることになる。

数え直す

九点を並べ直したい。

崩れた建物が描かれているのは、九点すべてである。

外れは一点もなかった。

人が描かれているのは、五点。

植物が建物に生えているのは、六点。

海が描かれているのは、二点。

そして、崩れた原因が分かるのは一点だけだった。

大砲と兵士のいる一点である。

残る八点では、なぜ崩れたかが書かれていない。

戦いか、地震か、火事か、ただの放置か。

記録にも、画像にも、その手がかりはない。

廃墟は、観光地になる

九点のうち一点の記録に、面白い注記があった。

銅版画に描かれた城の廃墟についてである。

館は、この場所が後に観光地として人気を得たと書く。

そして、この画家が友人と写生に訪れたことも記録されている。

つまり、絵が描かれた時点では、まだ人が少なかった。

絵が広まり、人が訪れるようになった。

廃墟は、描かれることで場所になる。

同じことは、他の点にも言えるだろう。

イタリアの海岸の廃塔も、繰り返し描かれた主題である。

修道院の廃墟も、同じ時代に何人もが描いた。

館の記述が、比べられる画家の名を挙げている。

崩れた建物は、それ自体では何も生まない。

だが、絵の主題としては強い。

時間、はかなさ、自然の力。

そういう言葉と結びつけやすいからである。

十八世紀から十九世紀にかけて、その結びつきが流行した。

九点のうち六点が、その時期に集中している。

これは偶然ではないだろう。

主題の流行が、作品の数を決めている。

そして作品の数が、公開データに残る数を決める。

語で引いて集まる九点は、その流行の残りでもある。

廃墟は、二種類に分かれる

九点を見て、はっきりした違いがあった。

ヨーロッパの廃墟が六点、北アメリカの遺構が二点である。

もう一点は、聖書の場面の舞台だった。

この二つは、扱いがまったく違う。

ヨーロッパの六点では、廃墟は風景の一部である。

狩人が休み、旅人が通り、木が生える。

館の記述も、壮大さや、はかなさに触れる。

つまり、眺めるための対象になっている。

北アメリカの二点は、記録として作られている。

一点は、政府の調査に同行した写真家の作である。

もう一点も、地形の記録に近い。

いずれも、人物や物語を入れていない。

建物の跡だけを、正面から写している。

同じ「崩れた建物」でも、目的が違えば画面が変わる。

前者は絵になり、後者は資料になる。

館の記録は、その差を分類では示さない。

示されるのは、部門の名だけである。

一方は絵画の部門、他方は写真の部門に入っている。

廃墟は、判型を選ばない

判型を並べておきたい。

横長が五点、縦長が四点だった。

これは、これまで扱ったどの主題より均等である。

道の絵も、港の絵も、横長に偏っていた。

塔の絵は、意外にも横長が多かった。

廃墟だけが、半々に分かれている。

理由は、廃墟の形が定まらないからだろう。

塔なら縦、海なら横と決まる。

崩れた建物には、決まった形がない。

高い壁が残れば縦になり、低く広がれば横になる。

九点でも、その両方があった。

縦長の油彩では、壁が高く残っていた。

横長の水彩では、壁が低く広がっていた。

崩れ方が、そのまま画面の形を決めている。

これは、廃墟の絵に特有のことだと思われる。

記録は、崩れた理由を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、建物が崩れた理由を書く欄はない。

書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。

記述の欄には、画家の関心や、その後の観光地化が書かれる。

だが、建物そのものの歴史は書かれない。

いつ建てられ、いつ使われなくなったか。

それは、美術館の記録の範囲外である。

例外は、地名の注記だった。

写真の一点で、館は綴りの誤りを指摘している。

これは、作品に書き込まれた文字についての記録である。

つまり、作品の表面にあるものは記録される。

作品の外にある歴史は、記録されない。

その線引きは、はっきりしている。

だから当社も、崩れた理由には踏み込まない。

書けるのは、いま何が残っているかだけである。

壁が五点、アーチが四点、柱が二点、塔が二点。

屋根は、九点に一つも残っていない。

そして、九点のうち六点に植物が生えていた。

石が残り、木が育ち、屋根が消える。

その順番が、どの廃墟でも同じである。

材の耐久の差が、そのまま崩れ方の順序になる。

木は腐り、鉄は錆び、石は残る。

だから古い建物ほど、石だけの姿になる。

前に扱った神殿の遺構も、柱と壁だけだった。

城の廃墟も、壁と塔だけだった。

残っているものを数えると、その建物の材の順位が見えてくる。

九点で数えた結果は、その順位と一致していた。

そして、いちばん長く残るのは記録である。

建物が消え、絵が残り、その絵の記録が残る。

今回の九点も、いずれ絵そのものは傷むだろう。

そのとき、寸法と材と番号の欄だけが残る。

廃墟を描いた絵の記録が、いつか廃墟の記録になる。

そう考えると、記録の欄の素っ気なさにも意味がある。

書かれていることが少ないほど、書き換えられずに済む。

崩れないものを書く。

それが、記録の欄の設計なのだろう。

寸法は変わらない。

材の名も変わらない。

番号は、館がある限り変わらない。

その三つが、いちばん頑丈な部分である。

屋根から先に落ちる建物と、よく似ている。

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