壁は、絵と同じ形をしている——デューラー・アルトドルファー・トライプほか九点
壁は人物の後ろで黙って立つ面である。九点で数えると、人の後ろに壁があるのは五点、そのうち三点で壁はくぼんでいた。壁に掛けるもの、壁を覆うもの、壁の名を持つ通りまで混じる。最大と最小で四千倍の差が出た。

低い石垣が、画面を上下に分けている
一枚の小さな銅版画に、石を積んだ低い壁がある。
壁は画面の左から右へ、ほぼ水平に走っている。
その手前に、女性が地面に直接座っている。
膝の上で、幼子を抱いている。
幼子は左手に丸い実を持ち、こちらへ差し出している。
女性の衣は厚く、襞が幾重にも折り重なる。
腰のあたりに、鍵の束と小さな袋が下がっている。
館の記述によれば、それは当時の家庭で使われていた鍵と財布である。
壁の向こう側には、なだらかな丘が続く。
丘の上に、塔のある建物が小さく見える。
館の記述は、それを当時のニュルンベルクの城と書いている。
版の面は14.7×9.9センチしかない。
紙は15×10.2センチだから、余白は左右に一.五ミリ程度しかない。
その狭い画面に、近景と遠景が同居している。
分けているのは、あの低い壁である。

壁は、絵のなかでいちばん地味な面である。
床のように物を載せず、天井のように高さを示さない。
たいていは、人物の後ろで黙って立っている。
それでも壁がなければ、画面はどこまでも奥へ抜けてしまう。
奥へ抜けた画面は、屋外になる。
つまり壁は、その絵が閉じているか開いているかを決めている。
壁は、後ろを止めるためにある
九点を並べて、壁の働きを数えたい。
集めかたは、館の記録の題によっている。
壁、壁龕、城壁にあたる語が入るものを拾った。
拾った九点は、素材も大きさも極端に違っていた。
いちばん小さいものは6.8×8.9センチの水彩である。
いちばん大きいものは416.4×563.6センチの綴織である。
面積で比べると、四千倍に近い差がある。
同じ壁という語で、この二つが並ぶ。
まず、絵のなかの壁として数えたい。
九点のうち、人物の後ろに壁が描かれるのは五点だった。
そのうち三点は、壁がくぼんでいる。
くぼみのことを、壁龕という。
残る二点では、壁が平らなまま背景になっている。
そして四点には、絵としての壁が描かれていない。
壁に掛けるための物、壁そのものを写した写真、壁の名を持つ通りである。
壁をくぼませると、そこは場所になる
壁龕の三点を見たい。
一点目は、十六世紀のイタリアの板絵である。
額なしで59.5×43.9センチ。
画面の中央に、女性が座り、膝の上に幼子を立たせている。
背後には、灰色の石の枠がある。
枠は上で丸く閉じ、左右で縦の柱になる。
そのくぼみの奥は、暗い茶色で塗られている。
くぼみがあることで、二人は前へ押し出されて見える。
平らな壁の前に立たせるより、はっきりと奥行きが出る。
館の記述には、この板が大きく手を加えられてきたことが書かれている。
かつて幼子の体の一部を隠す布が描き足されたという。
1941年に古い上塗りが除かれ、もとの状態に近づいたとも書かれている。
つまり画面は、五百年のあいだに二度描き替えられている。
見えているのは、その最後の状態である。

二点目は、木版で刷られた祭壇画の図である。
画面は30.2×22センチ。
版と紙が同じ寸法で、余白がない。
画面には、木で組んだ大きな祭壇の正面が彫られている。
中央に、聖母子を収めたくぼみがある。
その左右に、細長いくぼみが四つ並ぶ。
くぼみごとに、聖人が一人ずつ立っている。
四人は、それぞれ違う持ち物を抱えている。
上には三角形の破風があり、そこにもくぼみがある。
つまりこの画面は、くぼみの集合でできている。
祭壇とは、壁をくぼませて人を並べる装置である。
そう考えると、この版画は建築の図でもある。

館の記録の題は、これよりずっと長い。
四人の聖人の名が、一人ずつ書き並べられている。
さらに、上に父なる神がいることまで題に入っている。
つまり題そのものが、画面の目録になっている。
版画の題には、こういう書き方が残りやすい。
一枚ずつ売られる絵では、題が説明を兼ねるからである。
三点目は、ペンで描かれた図面に近い素描である。
紙は20.2×32.8センチ、台紙まで含めると27.2×40.1センチ。
画面は横長で、壁の一面が正面から描かれている。
中央にくぼみがあり、そこに翼のある子どもの像が立つ。
像の下には、四角い台がある。
左右の壁面には、細い縁取りと軽い唐草が描かれる。
線の一部は定規で引かれている、と館の記録は書く。
台紙の下には、鉛筆の書き込みが残っている。
館の記録はその文面も写している。
小部屋の壁龕の細部、十八世紀末の様式、といった内容である。
つまりこれは、実在の壁のための設計図だった可能性が高い。
絵として鑑賞するためではなく、作るために描かれた紙である。

壁そのものを、正面から写す
壁が主題になった写真が一点ある。
インドの大きな寺院の、本殿の壁面を撮った塩紙の印画である。
画面は27.4×36センチ、台紙まで含めると45.3×57.3センチ。
写っているのは、二層に積まれた石の壁である。
壁は左右へ長く続き、画面の外へ出ていく。
壁の面には、規則的にくぼみが並ぶ。
館の記述によれば、そのくぼみには神々の像が収められている。
さらに、この壁の内側には聖なる石が祀られていると書かれている。
つまり、見えているのは外側だけである。
館の記録には、技法についても細かい記述がある。
撮影者はガラスではなく蝋を引いた紙を陰画に使った。
重さと割れやすさを避けるためだったかもしれない、と館は書く。
印画は、食塩と硝酸銀を塗った紙に焼き付けたという。
台紙には、番号を刷った紙が貼られている。
さらに、撮影者の肩書を押した空押しの跡もある。
館は、その文言まで記録に写している。
写真の裏側の事情が、これだけ細かく残されている。

壁に掛けるもの、壁を覆うもの
壁は、描かれるだけでなく、使われる面でもある。
九点のうち二点は、壁に掛けるために作られていた。
一点目は、七宝の大皿である。
皿の直径は28.9センチ、枠まで含めると50.7×50.7センチになる。
中央の丸い面は、金色に光る。
そこに、細い枝が斜めに伸びる。
枝には赤紫と黄の葉が付き、二羽の小鳥が止まっている。
鳥の目は白く、丸く抜かれている。
周りの枠は、緑の地に金の唐草が渦を巻く。
館の記録は、制作にかかわった二人の名を併記している。
館の記述によれば、この時期の西欧の工芸には日本の意匠の影響があった。
草花を余白の多い画面に置く扱いが、それにあたるという。
題に付いた壁の語は、掛ける場所を示している。
描かれているものとは、関係がない。

二点目は、綴織である。
全体で416.4×563.6センチある。
高さが四メートル、幅が五メートル半を超える。
壁を覆うために作られた布である。
画面には、大勢の人が集まっている。
中央の女性が、右手を伸ばして何かを指している。
指す先には、大きな紙を広げた二人がいる。
一人は膝をついている。
館の記述によれば、その紙は都市の城壁の設計図である。
つまり、壁を覆う布の上で、壁の設計が示されている。
館の記述は、これが八点続きの一枚だとも書く。
八点で一つの物語を語る組物だった。
寄贈された当初は、甲冑の陳列室に掛けられたという。

壁になる予定だった絵
もう一点、壁と関係の深いものがある。
半円形の板紙に描かれた油彩である。
42.8×93.2センチで、上の縁が弧を描いている。
館の記録は、この形を半月形と書いている。
内容は、山と川のある風景らしい。
白く光る山が、中央の奥に立つ。
手前には、黄土色の斜面が広がる。
筆の跡は粗く、形は簡単にまとめられている。
館の記録では、これは壁画のための習作である。
東オレゴンの建物に描く予定だった、と書かれている。
半円形なのは、壁の上部の形に合わせたからだろう。
完成した壁画がどうなったかは、記録にない。
残っているのは、この習作だけである。
壁のための絵が、壁から離れて館にある。

壁が、通りの名になる
最後の一点は、語の外れである。
十九世紀のニューヨークを描いた、ごく小さな水彩。
6.8×8.9センチしかない。
名刺より小さい。
画面には、通りの両側に建物が並ぶ。
左の建物は三階建てで、窓が規則正しく並ぶ。
右には、屋根の急な建物がある。
道には、人が十人ほど描かれている。
犬らしい影も見える。
歩道の縁に、街灯が一本立つ。
題にある壁の語は、この通りの名である。
その名は、かつてそこにあった市の壁に由来する。
だが画面には、市壁は描かれていない。
十九世紀には、すでに取り払われていたからである。
残ったのは名前だけである。
そして、その名を題に持つ紙が、館に残っている。

壁の前に座るか、壁に寄りかかるか
人と壁の距離も、数えておきたい。
人物が描かれた五点で、壁との関係は三通りに分かれた。
壁の前に座るのが二点。
壁のくぼみの中に立つのが二点。
壁から離れて歩いているのが一点である。
最初の銅版画の女性は、壁のすぐ手前に座っている。
背中は壁に触れていないが、影の付き方から近さが分かる。
くぼみの中に立つ人物は、壁と一体になっている。
祭壇画の聖人たちは、動くことを想定されていない。
くぼみの幅が、そのまま人の幅になっている。
三通りのなかで、いちばん自由なのは通りを歩く人である。
ウォール街の水彩では、人は道の真ん中にいる。
建物の壁は左右にあり、後ろにはない。
壁が背景でなく、両側の枠になっている。
同じ壁でも、置く位置で働きが変わる。
後ろにあれば背景になり、両側にあれば通路になる。
上にあれば天井に近づき、下にあれば床になる。
面の向きだけで、呼び名が変わっているとも言える。
描かれた壁の材は、五種あった
画面のなかの壁が、何でできているかを見たい。
読み取れたのは、五種類である。
積んだ石が二点。
切り出した石の枠が一点。
木で組んだ祭壇が一点。
漆喰らしい平らな面が一点。
そして煉瓦か石造りの建物の外壁が一点ある。
石が多いのは、壁が残りやすい材だからだろう。
ただし、これは描かれたものの話である。
作品そのものの材は、まったく別である。
紙が四点、板が一点、布が一点、金属と七宝が一点。
板紙が一点、写真の印画紙が一点。
壁を描いた紙は薄く、壁を覆った布は重い。
同じ主題でも、物としての重さは千差万別である。
館の記録が書くのは、後者だけである。
描かれた石の重さは、どこにも書かれない。
壁の面は、たいてい四角い
九点で、壁の面の形を見ておきたい。
平らな四角い面として描かれるのが、五点ある。
くぼみのある面が、そのうち三点を占める。
弧を描く面が一点あった。
半円形の板紙に描かれた習作である。
これは、掛ける場所の形に合わせた結果である。
壁の形が、絵の形を決めている例と言ってよい。
反対に、絵の形が壁を決めることもある。
七宝の大皿は丸いが、枠は正方形である。
丸い皿を四角い枠に嵌めると、壁に掛けやすくなる。
壁は四角い面だから、四角いもののほうが収まりがよい。
綴織も同じである。
高さ四メートル、幅五メートル半の四角い布。
これは、壁の寸法をそのまま写している。
館の記録は、その布が八点続きの一枚だと書いている。
八枚を並べれば、部屋の四方を覆える。
つまり組物の枚数は、部屋の周長から決まる。
作品の大きさは、壁の大きさに縛られている。
そう考えると、寸法の欄は建物の情報でもある。
四メートルの布が掛かる壁は、四メートル以上ある。
記録は建物を書かないが、寸法から建物が推せる。
数え直す
九点を並べ直したい。
人の後ろに壁が描かれるのは、五点だった。
そのうち三点で、壁はくぼんでいる。
壁が主題そのものになっているのは、二点である。
壁に掛ける、または壁を覆うために作られたものが、三点あった。
壁の名だけを持ち、壁が描かれていないものが、一点。
分類が重なる作品もあるので、合計は九にならない。
もう一つ数えておきたいのは、壁の向こうが見えるかどうかである。
見えるのは、二点だけだった。
最初の銅版画では、低い壁の向こうに丘と城が見える。
寺院の写真では、壁の上に空がわずかに見える。
残る七点では、壁の向こうは描かれていない。
壁は、向こう側を見せないためにある。
見せないことによって、こちら側が画面になる。
壁は、絵と同じ形をしている
数えた結果から言えることを、一つにまとめたい。
壁は、絵に似ている。
どちらも平らな面で、たいてい四角い。
どちらも、こちら側からしか見えない。
そしてどちらも、向こう側を隠している。
絵を壁に掛けるという行為は、平らな面を平らな面に重ねることである。
今回の九点には、その関係が何度も出てきた。
壁のくぼみに絵を収める祭壇画。
壁に掛けるために枠を付けた七宝。
壁を覆うために織られた大きな布。
壁に描く予定だった絵の習作。
いずれも、壁と絵の区別が曖昧である。
区別が付くのは、外せるかどうかだけかもしれない。
外せるものが作品として館に来る。
外せないものは、写真に撮って持ってくる。
寺院の壁が写真として館にあるのは、そのためである。
壁は、時間を溜める
壁について、もう一つ言えることがある。
壁は、直されたり塗り替えられたりする面である。
九点のうち、手が加えられた記録が残るのは二点だった。
一点は、板絵である。
館の記述によれば、この板は大きく修復されている。
かつて描き足された布が、1941年に除かれた。
除いた結果、もとの状態に近づいたと館は書く。
もとの状態そのものに戻ったとは書いていない。
その慎重な言い方は、記録として正しい。
除いた上塗りの下に、どこまで元の絵が残っていたか。
それは、除いてみるまで分からない。
もう一点は、壁画の習作である。
こちらは、完成した壁画の行方が記録にない。
建物が残っているかどうかも書かれていない。
壁に描かれた絵は、建物とともに消える。
だから習作だけが、番号を持って残る。
前の回で見た扉上部の彫刻と、同じ事情である。
建物から外せるものだけが、館に来る。
外せないものは、写真か、習作か、記録として残る。
壁は動かせない。
動かせないものを扱うために、絵と写真と記録がある。
記録は、壁の向こうを書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、壁について書かれた欄はない。
壁が石か木か、厚いか薄いかは書かれない。
書かれるのは、作品そのものの材と寸法と番号である。
例外は、写真の一点だった。
館の記述が、壁の内側にあるものに触れている。
見えないものを、言葉で補っている。
これは記録にしかできない仕事である。
画像はどこまでも表面しか写せない。
壁を撮った写真なら、なおさらである。
そして今回、いちばん厚い記述が付いていたのは、いちばん薄いものだった。
蝋を引いた紙の陰画である。
紙の厚さは、記録に書かれていない。
書かれているのは、それを選んだ理由の推測だけである。
割れないから、軽いから。
館は「かもしれない」と書いて、断定を避けている。
その慎重さも、記録の一部である。
壁を見るときは、面そのものより、面の際を見るとよい。
くぼみの縁、壁の上端、壁の切れる場所。
そこに、その絵が何を隠しているかが出る。
九点で確かめられたのは、その程度のことである。
だが壁は、どの絵にも必ずある。
背景と呼ばれて、見過ごされているだけである。


