泉の語が、春を連れてきた——ルグロ・コルベ・カランザほか九点

三点目は、磁器の像である。
全体で27×14.5×9.4センチ。
台の上に、少女が立っている。
白い衣に、緑と桃色の飾りが付く。
髪に花を挿している。
腕に、緑の籠を提げる。
籠には、花が盛られている。
足もとの草にも、花が咲く。
館の記述によれば、これも四季の一つである。
そして、十八世紀後半に子どもを季節に見立てる例が増えたという。
館はさらに、こうした像が食卓の飾りに使われたことも書く。
菓子の出る場面で、話の種になったらしい。

四点目は、中国の画である。
全体で31.8×64.5センチ。
横長で、画帖の見開きを巻子に改装したものである。
画面の右のほうに、書き込みがある。
その左に、低い山と木立が広がる。
墨は薄く、点を重ねて描かれる。
木は細く、枝が細かい。
その間に、小さな建物が見える。
手前には、水面と岸がある。
館の記録の題は、春の風景である。
館の記述によれば、この画家は四人の僧のうちの一人である。
そして、この一葉はもと大きな画帖の一部だった。
館の記述はさらに、他の季節の葉の行方も書いている。
夏の葉はドイツの館に、秋と冬の葉はイギリスの館にあるという。
つまり、四季が三つの国に分かれている。

下絵と、金貨
残る二点を見たい。
一点目は、日本の下絵である。
館の記録に、寸法の欄はない。
画面の中央に、人物が一人座っている。
緑の衣を大きく広げ、背を向けている。
頭には、黒く高い冠をかぶる。
衣の裾には、白い花の模様がある。
その周りに、小さな黒い点が散っている。
蝶か、花びらだろう。
背景は、紙の地のままである。
館の記録の題によれば、これは版画集のための下絵である。
そして題に、暮春の語がある。
つまり、ここでも春である。
館の記述によれば、下絵は薄紙に墨と色で描かれた。
そして、完成した版画よりずっと自由な線だという。

二点目は、金貨である。
直径2.9センチ。
九点のなかで、いちばん小さい。
表には、人物の横顔が浮き彫りにされている。
髪は短く、月桂の冠をかぶる。
その周りに、文字が円く並ぶ。
裏には、王冠を戴いた盾がある。
盾は四つに区切られ、模様が入る。
その周りにも、文字がある。
館の記録は、両面の銘文とその訳を載せている。
平和は戦いによって求められる、という言葉である。
館の記述によれば、この金貨は流通しなかった。
肖像を貨幣に使うことに、反対が多かったという。
そして、月桂冠と王冠には意味があるとも書かれている。
王位を勧める動きがあったからである。
なぜこの一点が集まったかというと、人名の綴りである。
その人物の姓の後半が、井戸を意味する語と同じ綴りだった。
前の回でも、姓の綴りによる一致が何度かあった。

磁器が、三点あった
今回の九点には、磁器が三点含まれていた。
浮き彫りが一点、立像が一点、そして金貨が一点。
金貨は磁器ではないが、いずれも型を使って作られている。
浮き彫りは、彫刻家の型から磁器で作られた。
立像も、型に押して作られたのだろう。
金貨は、鋳型ではなく刻印を打って作られる。
館の記述によれば、その打刻には機械が使われた。
外国から持ち込まれ、改良された装置だという。
つまり三点とも、同じ形を複数作れる作り方である。
前に版画や写真を扱った回でも、複製の話をした。
絵の複製は版画と写真、立体の複製は型と鋳造である。
そして複製できるものは、数が増える。
数が増えれば、残りやすい。
九点のうち三点が立体の複製というのは、そういう事情もあるだろう。
もっとも、館の記録は残存数を書かない。
書かれているのは、金貨が流通しなかったことだけである。
流通しなかったのに、摩耗した個体があるとも書かれている。
つまり、誰かが使ったのだろう。
館は、そこも推測として書いている。
数え直す
九点を並べ直したい。
水の出る場所が描かれているのは、三点。
春を主題にしたものが、五点。
人名の綴りによる一致が、一点である。
つまり、題の語どおりの作品は三点しかない。
これは、この連載でも高い外れの比率である。
四季は、四点で一組になる
春を主題にした五点のうち、三点が四季の組の一部だった。
磁器の浮き彫り、磁器の立像、そして中国の画帖である。
三点とも、残る三つの季節が別にある。
浮き彫りは、四つの季節の連作の一つだった。
立像も、四季の像の一つである。
画帖は、四季の葉に分かれていた。
そして館の記述によれば、その四葉は三つの国に散っている。
夏はドイツ、秋と冬はイギリス、そして春がここにある。
つまり、一組が四つの場所に分かれた。
前に組物の欠けを何度か扱った。
三枚続きの中央がない版画、五枚続きの二枚だけ。
八幅一組のうち一幅。
今回も、同じことが起きている。
組物は、売られるときに分けられやすい。
一枚ずつのほうが、買い手が付く。
そして一度分かれると、再び集まることはまずない。
館の記録は、その行方を書けるときだけ書く。
今回は、二点でその記述があった。
書いてあるおかげで、組の全体が想像できる。
書いていなければ、一点だけの絵として見ることになる。